#83.ぎりぎりまにあった
一方、天界にて。
鏡騒ぎが収まりつつある中で、名無しは、今日もまたぼんやりとしていた。
もう、遊びまわる事すら止めてしまって。
ただ、ぼんやりとしていたのだ。
「大天使ちゃーん♥ 地上の食べ物が食べたいっていうから私、パンケーキ作ってみたんだけど食べなーい? 天上の蜂蜜はほっぺたとろけちゃうくらい甘くておいしいわよー?」
『……』
「我ながらすごくよくできたと思うわ! ねえねえ、一口食べてみなさいよ~♪ ほらほら~♪」
《ぐにぐにぐに》
『食べる』
ぼんやりしていることなどお構いなしに構ってくる運命の女神ベラであったが、この子としては珍しく、素直にパンケーキと向き合っていた。
『天上の蜂蜜』『ほっぺたとろけちゃうくらい甘くておいしい』
そんな事聞かされたら、我慢できなかったのだ。
「んふふー♪ 今日は素直ねー♪ はいあーん♪」
『はむっ』
《んにゅっ、もにもにもに……》
『美味しいっ!? すっごく甘い!! なにこれすごい!!』
「えー? そんなにぃ~? なによなによ大天使ちゃんったら、こういうのが好きだったの~? もっと食べたい?」
『食べたい!!』
「パンケーキ好き~?」
『好き、大好き!!』
「じゃあ私は好き~?」
『ふつう』
「うーん、普通かあ……まあ、嫌われてないだけマシかなあ」
一口頬張ったらもうキラキラと眼をしいたけが如く輝かせる名無しに、ベラも「ちょーかわいいし!!」と、ご満悦になっていた。
「はい、あーん♪」
『はむっ……おいしい♪ あまい♪ すごくあまい♪』
(あああ、大天使ちゃんが私の作ったパンケーキでめっちゃきらきら笑顔になってる……かわいい。かわいいぃ。ちょーかわいぃぃぃっ♥)
大天使ちゃんやっぱり超天使だったわ、と、ベラは顔が蕩けそうになるのを両手で抑えながら幸せな気持ちに浸っていた。
……のだが。
「……作戦成功」
「な、なんだかベラ様を騙すのはすごく気が引けますわ……」
『はわわわ……ポーターちゃんが、今まで見たことないくらいに可愛らしいお顔に……』
女神とポーターとが寝室でいちゃいちゃしているのを、不穏な三人組がのぞき見していた。
本来の名無しと、シャーリンドン×2である。
つまり、今女神ベラの相手をしているのは、鏡人の方の名無し。
前日までは司祭服をまとっていた鏡人シャーリンドンも、今日は本物と同じく巫女の出で立ちであった。
「いいんでしょうか? こんな形で……」
『でも、あんなポーターちゃんの姿を見たら、騙されてしまうのも無理はないですわ。私も頭撫でたい……♥』
「気にしない。それより早くサナキのところに行く」
「あ、そうでした……」
『うーん、もうちょっと見て居たい気もしますが、仕方ないですわ』
こうして気を惹くことで、一時的に本来の名無しは知覚されずにいられるのではないか、と考えたサナキによる計略である。
上手くいったが、鏡人名無しは哀れ、ベラのおもちゃとなった。
「貴重な犠牲。ぜったいにむだにしない」
「あー、うん、そうですわねえ……あれはあれで、幸せそうですが……」
『こっちのポーターちゃんも、よだれが零れてますわよ? ほら、拭きましょうね』
「あれは離れてても匂いがすごくよくって危なかった。ボクだけを動けなくする罠」
「ベラ様ほどではないですが、パンケーキなら私が後で作って差し上げますわ」
「……うん。セシリア様とシェルビーと、アルテと一緒にたべたい」
『私も作ったら……多過ぎるかしら?』
「そんなことない。二倍あれば二倍幸せになれる。だからどっちもつくって」
「解りましたわ♪」
『そういうことでしたら♪』
ベラはともかく、二人のシャーリンドンが思い切り甘やかしてくれるので、名無しは少し甘えん坊になってしまっていた。
一人ならなんてことないのに、二人一緒だとどんどんとその溢れ出るふわふわとした雰囲気に呑まれそうになってしまうのだ。
挟まれて歩きながら、名無しは「こんなのずっと体験してたら赤ちゃんになっちゃう」と、ちょっとした危惧を覚えていた。
ほどなく、地母神の神殿につくと、入り口で既に地母神サナキとボルトアッシュが待っていた。
『ここにこれたという事は、計画の第一段階は上手くいったようだね?』
「うむ。首尾よくいったようじゃな?」
「うん。うまくいった。流石地母神。すごい」
「ふふん。そうであろうそうであろう♪」
地母神様は褒められた経験が乏しいので些細な賞賛でもニコニコである。
開口一番に「すごいすごい」と満面の笑みでこられては、名無しをなでなでしたい欲を抑えるのも大変であったが。
こほん、と咳をつき、三人を見やる。
「――では計画の第二段階じゃ」
『上手くやれますでしょうか……』
「同じ私ですもの、きっとなんとかなりますわ」
サナキに合わせ視線が集まるのは、鏡人のシャーリンドンであった。
今は本物と全く同じ姿の、地母神の巫女装束の。
『基本的な部分は全てオリジナルと変わらないはずだ。なに、シャーリンドン嬢なら上手くやれるさ。君はやればできる娘だからね?』
『そ、そう言われてしまうと、上手くやってみせなければと、そんな気になってしまいますわね……!』
「頑張ってくださいまし。貴方ならきっとできますわ」
「頑張れ鏡人シャーリンドン」
『むん……! わたくし、頑張りますわ!』
計画の第二段階。
それは、本物のシャーリンドンが消えても違和感が残らないように、鏡人の方がサナキの元に残り、修行を続行する、というものである。
元々ベラはシャーリンドンにはさほど意識を向けていなかったが、名無しが逃げた時だけ、シャーリンドンの元に高確率に向かうのを知っていたので、居場所を見るために知覚しようとするのだ。
だが、わざわざ鏡人の方まで見ようとはしない。
つまり、二人いようとベラが認識するのは一人だけ。
これにより、「私の手元に居ない大天使ちゃんはどこかしら?」と調べ始めた時にわずかばかり時間を稼げる。
「今のあ奴はかなり精神的に不安定になっておる。お前が戻って来て尚、自身の拠り所に中々できぬ故に」
「まるでボクが悪いかのような言い草」
「そんな事はない。あくまであの娘が、いつまでも成長できぬからじゃ。ずっと自分の殻に閉じこもって引きこもっておった代償じゃな」
『とはいえ、それだって必要でやっていたことなのでしょう? 魔神とやらを封印する為に』
「まあなあ……それはそうなんじゃが」
ボルトアッシュの問いに、サナキも苦々しく思い口元を歪めるが。
そんな話題を続ける気は両者ともないようで、合わせて「それはそうと」と、すぐに打ち切ってしまう。
「今ならば、地上に戻る事ができるかもしれぬぞ、お前たち」
「例の転送陣を使うの?」
「いんや? アレはもうベラめが安易に使えぬように完全に管理下に置いておる。ベラの許しなくしてアレでの帰還は無理じゃろうな」
「その、肝心の戻る方法だけ聞かせてもらえませんでしたが……サナキ様、一体どのような……?」
元はといえば、いつまでも天界に馴染めないまま地上に戻りたいセシリアと会いたいと言い続けていた名無しに、いい加減限界を見ていたサナキが言い出した事であった。
シャーリンドンの修行もある程度進み、完全とはいかずとも、ここに来た時と比べれば見違えるほどには成長していたのもある。
弟子の成長具合を見るにも都合がいい時期と考えていたのだ。
そこで、帰りたがっていた名無しともども、セシリアたちの元に戻そうとしていた。
「方法はな? 地上に逃げた神の魔物たちの方法を参考にさせてもらう」
「神の魔物の……?」
『それって、もしや、宝物庫の……?』
脱走したミノスら、神の魔物たちと同じ逃走経路。
一種の力場となった宝物庫を利用しての地上への離脱。
それ自体は可能だとはサナキから聞いてはいたが、自分たちがその手段を使う事になるのは、流石に考えもつかなかったのだ。
「というか……それって、流石に封印されてる」
「ふふふ、そうじゃな。そのまんまは無理じゃ。流石に神々もバカではない。同じことは繰り返させんように力場として使えぬように修復し、安定させておる」
『では、どのように……?』
『つまり……安定しそのように使えなくした『場』を、不安定にさせてしまえばいい』
鏡人シャーリンドンの問いに、うきうきした様子でボルトアッシュが答えた。
サナキと並ぶとまるであくどい事をやってそうな夫婦のようで、二人してにやりと笑う。
『私もこれで魔導の心得があるからね。安定した次元や時空を破壊する方法は、この頭にいくつも記憶されているのだ』
「さらっとすごいこと申してませんか……?」
『次元とか時空とか……小説とかの読み物の世界のお話では……?』
『くくく、元々はロスベル殿らと出会ったばかりの頃は、この魔導の力で世界を席巻すべく暗躍していたものだ! いやあ、あの頃は若かったな私も!!』
「こやつ、人間にしては驚くほどに見識深くてなあ。よくぞ時空と次元と知識の壁を乗り越えたものじゃ。生き続けておれば神の域にたどり着けたやも知れぬ」
「ちょーかっこいい……」
名無しの目はキラキラと輝いていた。
二人のシャーリンドンは「ええぇ」と困ったような顔をしていたが、少女にはとても格好いい若かりし頃のボルトアッシュがイメージされたのだ。
暗躍・ライバルとの戦い・そして爆発。
決めポーズと共に謎のシルクハットと黒いマントを羽織ったちょい悪怪盗風の魔法使いだった。
「……さて、あまり時間を使ってはおられん。ボルトアッシュ。よいな?」
『うむ! 任せていただこう! ではお嬢さんがた、参ろうか?』
「んっ! 今度会ったら格好いいポーズ教えて!」
『ははは、いいとも! ロスベル殿を前にして見せつけてやった決めポーズを披露しよう!』
「決めポーズはともかく……地上に戻れるのは嬉しいですわ。シェルビーと、セシリアさんと、アルテさんと……婆やにも早く会いたいですし」
『……? なんでシェルビーがセシリアさんやアルテさんより前に来ますの? 婆やはともかくとして』
「……えっ?」
『えっ?』
ナチュラルな変化過ぎて、シャーリンドン同士で首を傾げ合ってしまう。
ミルヒリーフ時点でのシャーリンドンと、今現在のシャーリンドンと。
その明確な違いは何か……と言われれば、ダンジョン二つ分の経験と時間である。
(……はれ? 私、なんで……)
自分でも解らなかった。
優先順位など変わっていないはずなのに。
何故その名が先に出たのか。
いや、何の事のない、些細な、そう、気にするような事ではないはずだった。
「な、なんでもないですわよ? 別に、誰が前でも同じでは?」
『うーん、それは確かにそうなのですけれど……』
「それとも、貴方はそんなにシェルビーの事が気になりますの? 名前が出ただけで?」
『は、はぁーっ? 何言ってますの!? 同じ私とも思えませんっ、なんでそんな、シェルビーなん……はっ』
シェルビー『なんか』と言おうとして、はっとして口をふさいでしまう鏡人シャーリンドン。
そんな、バカにするような人ではないのに、と。
雑に扱うようなほど、嫌っている相手でもないのに、と。
軽々に粗雑な言い方をしようとした自分を恥じたように、眼を見開いてそれ以上言わないように押し黙ってしまう。
結果、二人して沈黙する。
「……? どうしたの?」
「はっ、な、なんでもありませんわっ」
『そうですわ、なんでもありませんっ』
ふとした疑問。
けれど、その差は感情の差。経験の差。好感の差。
名無しに返す言葉は同じでも、そこに込められた気持ちは全く異なるものとなっていた。
(甘酸っぱいのう……)
(ああ……まるで若かりし頃のようだ。かつては私も旅先で出会った商人に恋し……沢山、色々と買わされたな……)
神の視点でニヤニヤするサナキに対し、ボルトアッシュはどこか苦々しそうな思い出を胸に、二人のシャーリンドンを見守っていた。
『では二人とも。準備はよろしいかな? これから我が魔導の力、全開放でお見せしよう!』
かくして、宝物庫に移動した名無しとシャーリンドン、そしてボルトアッシュとサナキは、ネクタルなどが大量に並ぶ部屋に移動していた。
「がんばれボルトアッシュ」
「お、お願いしますわ……っ」
『うむ! ではゆくぞ! かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!』
《ばちりっ》
《びしっ》
ボルトアッシュが両の腕を頭上に掲げ、力を籠めはじめてすぐ。
その両腕を中心に、ばちりばちりとプラズマが発生し、魔力の渦がボルトアッシュを中心に発生し始める。
「すごいっ、すごくかっこいい! ボルトアッシュすごい! 騎士の部屋に住まわせてあげる!!」
『はははっ、魔導騎士ボルトアッシュか! それもいいかもしれんなあ! はあああああああああっ!!!』
「凄まじい魔力じゃなあ。これだけでも一級品……じゃが、時空と次元が歪み始めておるな。壊れるぞ。すぐ壊れる」
サナキが呟いたのに合わせるかのように、ばりん、と、鏡が割れるかのような音が鳴り響き。
何もない空間に、風が起こった。
「え……これ……」
「いける。サナキ、安定させてっ」
「うむ。短時間しか無理じゃからな、急いで飛び込め。それーっ」
《ガッ……シャーン》
ボルトアッシュの力の余波で粉々になったガラスのような『場』が、サナキに操作され、氷のように凝固してゆく。
それでいて、再構築され固まっていった『場』は、水面のように揺れ、並々と床に満たされていった。
二人同時に飛び込めそうなくらいに広く、そして、淡い光を漂わせるそれは、ポータルのようで。
「いくよシャーリンドンっ」
「あっ、はいっ……いざっ」
名無しの声を合図に、ぽーん、と、二人して飛び込む。
ぎゅっと眼を閉じ、息を止めながら飛び込んだシャーリンドンは、自分の身体が水のような何かに包まれ……やがて、それが抜けていくと、風に巻かれている事に気づいた。
「っ……えっ? えっ、えっ――」
真っ逆さまである。
頭から雲間を抜け、凄まじい勢いで落下していた。
「――えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「シャーリンドンっ」
落ちているのは、名無しも同じだった。
冷静に等なれるはずも無く、雲を抜けた先に見えた遥かな大地が、瞬く間に近づいてくるのが見えてしまい、シャーリンドンは涙目になりながら「うそでしょぉっ」と、現実逃避しそうになっていた。
「捕まって……手っ!!」
「えっ……あっ、ポーターちゃんっ」
名無しの声が聞こえ、わずかばかり理性が勝り。
目の前に差し出された小さな手を握りしめると、名無しは「にぃ」と、笑った。
「思い出した……落ちてる時は……こうすればいいっ」
ぎゅ、と抱き着いてくる名無しに、しがみつくように抱き着き返し。
その小さな背に、ふわふわもこもことした何かが触れている事に、今更気づかされる。
「えっ、えっ、あっ、ポーター、ちゃんっ」
「空は……飛べばいいのっ」
ぶぉん、と、不意に視界がブれ。
落ちるばかりだった身体が、急に風を切って進路を変え、下から横へ。
「……ポーターちゃん」
「むんっ」
眼を見開き、抱きしめたその小さな体には、二対の翼が生えていた。
天使だった。
紛うことなく、天使だった。




