#100.ぼくがいればそれでいい
神々と魔神の戦いが終わってから、いかほどが経過したか。
一時は滅亡の危機に陥った人類は、勇者たちの活躍によりその命をつなげる事に成功し、繁栄を確かなものにしていった。
「どうしても行っちゃうの? 大天使ちゃん?」
それは、大天使の旅立ちの一幕であった。
一人、神界を旅立とうとする大天使の背に、少女神の声が向けられる。
「ベラ様。お見送りはおねがいしていませんが……?」
「だって、寂しいんだもの! お父様もお母様もいなくなったのに、大天使ちゃんまでいなくなっちゃったら、私……っ」
「……魔神様の封印が緩んでしまいますよ。今すぐに寝所にお戻りください」
「大天使ちゃんは私と離れて嫌じゃないの? 私はすごく嫌だわ! 寂しい! 辛い! こんな我儘一つ言うのはだめなの!?」
まだ神としては幼かったベラは、役割の為だけに自分ひとりが我慢しなくてはならない現状に酷く嫌気が差していた。
尊敬する母も、憧れていた父も失い、どうしたらいいか解らない中、一人、生き残った神々を指揮し、これからは封印も維持していかなければならなかった。
「……そんなベラ様と一緒にいるのは、正直疲れます」
「えっ!?」
そして、親友だと思った、妹分だと思った相手からの容赦のない突き放しに、ベラは驚きと共に涙目になってしまう。
「ベラ様。私は貴方の事を尊敬しています。すごく強くて、すごく賢くて、すごい力を持った女神様のはずです!」
「それは……そうかもしれないけれど。でも、私はまだ半人前で……」
「それでも、他の神々よりずっと力が強いではありませんか! 私が尊敬する先代様や、私が憧れた光の神様の娘として、何一つ恥ずかしくない、立派な娘のはずです!」
私はそう思っています、と、はっきりと言って聞かせ。
そして、勇ましく微笑んで見せた。
少女のような外見の、けれど美しくすら思えるその自信に満ちた顔は、自分にこそ向けられていたのだと、ベラは気づき。
やんわりと、胸が温かくなるのが解かったのだ。
「私が信じるベラ様を、どうかお守りください。私が信じた以上のベラ様を、どうか次に会った時に、私にお見せください。私はそれをこそ、楽しみにしております!」
「……嫌よ。いかないで。地上になんて行ってもしょうがないわ」
「そんなことありません! ウォレスたちと約束したのです! いつか、彼らの夢の先にある地上を、その世界を見せてもらうと!!」
だからこそ、私は向かうのです、と。
逃げ去った神の魔物達の追跡の為、大天使は、女神に笑いかけながら「それでは」と、小さく手を振り。
「大天使ちゃん……」
「しばしのおさらばでございます、私の尊敬するお姉さま。私の親友。そして、私の一番の理解者であった、ベラ様に」
「……うん」
「必ず戻ってきます。必ず……そして、ウォレスたちの作り上げてくれた世界がいかに素晴らしいものであったか。彼らの理想の先にあった世界について、共に語らいあいましょう! それでは!!」
「――あっ」
背を向けたままに飛び降り。
そうして、ベラは最後の言葉を告げられずに、いなくなった親友を、妹分を、理解者を……永遠に失った。
「どうして、こんなにも世界は争いに満ちているのでしょうか」
地上世界は、長らくの人同士の戦いによって穢れていた。
かつて地上に降り立った頃の、あの美しかった世界は、どこへいったというのか。
「なぜこんなにも、沢山の人が苦しみ、嘆いているのに……誰も助けもしないのですか?」
多くの弱者が生まれ、その弱者を踏みにじる為に強者が徒党を組み、奪い、穢し、ねじ伏せ、殺し、破壊した。
罪なき者達が罪を着せられ、何一つ悪意なく生きた者が、悪意を以て正義を騙る輩に神罰の名の元成敗された。
飢えたもの達が一時の生の為に他者から奪い、弱者が弱者から奪うようになっていく。
強者はそんな弱者たちを見てあざ笑い、ゲームのように弄び、人生とは、強く生まれるか弱く生まれるかの二極化に満ちてゆく。
「なぜみんな、神々にばかり頼って、自分たちでなんとかしようとしないのですか? なんとかしようと立ち上がった者たちを、何故邪魔するのですか?」
そんな狂った世界の中では、正しく在ろうとする者は赦されなかった。
その世界において正しき者とは強者であり。
その世界において赦されるものとは強者に阿るものだけである。
在り方を正そうとする者は反逆者であり、在ってはならぬ者であった。
だから、次々に狩られていった。
「どうして、皆、欲望ばかりを優先するのですか? 隣に居るものと手を繋ぎ合えば、愛しいものを守ろうとすれば、きっと、きっと世界は綺麗になるのに」
隣人すら信用できない世界があった。
隣に居る者を狩るのは、とても容易な事だから。
他者を愛するより、騙す方が楽な世界があった。
愛を貫くことは、守り抜くことは、とてもとても大変な事だったから。
「どうして、どうして、どうして――」
大天使は、理解できなかった。
大事な人達が作り上げた、理想的な世界。
きっとそんな世界が広がっているのだと思いながら、そう信じて降り立った地上の世界は、争いに満ちて、犯罪に満ちて、欲望にまみれ、疑心に、嫌悪に、憎悪に満ち溢れていた。
国家と国家が壮絶な潰し合いをし、人間同士が絶滅戦争を繰り返し続ける、救いようのない絶望しかない世界。
友情も愛も勇気も消え失せて、あらゆる悪徳が正義と呼ばれる世の中に、大天使は、困惑しかできなかった。
何もしなかった訳ではなかった。
戦争が原因ならばと戦争を抑止する為、戦う者たちを攻撃して争いを止めようとした。
だが、どのような事をしても人間たちは戦うのをやめようとしなかった。
原因となる何かがあるに違いないと思い、世界中を見て回った。
だけれど、その原因となるのはどう見ても人間という生き物としての業でしかなかった。
目の前に広がるありとあらゆる物事が、全て、「人間なんて生きてるからこんな事になるんだ」とばかりに現実を突き付けてくる状況に、大天使は当初の目的など忘れてしまいそうになっていた。
ミノスとローレンシアの居場所を見つけ出し、可能なら他の神の魔物たちも討伐し。
そういう名目で地上に来たというのに、それすらおざなりになったまま。
大天使は、「地上はもうだめだ」と諦めを受け入れようとしていた。
「……でも」
だが、諦めきれなかった。
諦めきれなくて、原因をどこか別の場所に見つけようとした。
なんとかして、自分を納得させられるような、そんな何かを見出そうとした。
そんな矢先だった。
「あ、ははは……大天使サマさあ、随分、辛そうなお顔になってるじゃなぁい?」
ローレンシアだった。
人里で人間たちを操って何か企んでいたのを見つけ出し、即座に殺そうとした。
神の魔物と言っても、ケットシーに次いでとても非力な元人間の娘である。
最強の天使である彼女には、勝てるはずもなく、あっさりと瀕死に追い込まれる。
「――黙れっ! お前が、お前がやったんだ! お前が人間たちを堕落させっ、この世界を狂わせてっ」
「あはは……何言ってんのか訳わかんなぁい……」
「言い訳するなっ! お前がっ、お前がっ!!」
「……ああ、そっか。何かこう、理想、みたいなものを持ってたのね? 人間に」
胸に光の剣を突き刺して、今すぐにでも絶命させようと聖典奇跡を全開し。
けれど、その手がローレンシアの言葉で止まった。
止まってしまった。
「そんで……今のこの世界見て、なんかこう、八つ当たりしたくなっちゃったんだ? 私に」
「……っ、八つ当たりなんかじゃっ」
「八つ当たりよぉ……だって、私がどうにかした訳じゃないもの」
「嘘だっ、お前は嘘をついて――」
「じゃあなに? 私がこの世界を操作して、人間たちを同時に争わせたとして……じゃあ聞くけど、大天使ちゃんさあ。私の権能、知ってるわよね?」
「……それ、は」
「そう、欲望よ。欲望」
仮にそうであったとしても。
それに適うという事はつまり。
それ自体が、人類の欲望であった、という事。
「白状するなら、確かに一部私が欲望を叶えてあげた人たちもいたわよ? でも、それって別に全員じゃないし。世界そのものに干渉するほどの影響力なんて、ある訳ないでしょ」
「そんなっ、そんな、はず……だって、だって、ウォレスは……ウォレスたちは……っ」
「ねえ、何に傷ついてそんなに苦しんでるのか知らないけどさあ……『もう居ない人たち』の事、いつまで引きずってるの? 私、知ってたわよ? 貴方、地上に降りてから千年以上、世界に干渉し続けてたわよね?」
もうその世界にウォレスたちがいないことなど、大天使だって解っていた。
それでも、彼らが残した世界が美しいものであるに違いないから、きっとそうに違いないから、現状が何かの間違いなのだと、そう思いたくて、犯人探しをしていただけ。
間違いを犯した、その張本人を倒せば、きっとまた、美しい世界にもどるはずだから、と。
「人間たちは、美しい心を持っている、はずです……決して、悪に、心の闇に、欲望に等負けない、美しい心を……」
「ああ、そうねえ。でもそれは半分よ。もう半分は、欲望を持って生きてるのよ? 貴方のだぁい好きなウォレスも、シェンナも、みんなみんな、欲望なしでは生きていけないの」
それこそが人間なのだから。生物なのだから、と。
元人間の神の魔物が言う言葉を、けれど大天使は受け入れられなかった。
「そんなはず、ない。ウォレスたちは、とても尊く、正しく、そして美しい心を持って――」
「英雄ウォレスの物語、知らないの?」
「え……」
「晩年の彼はね、痛みと苦しみに気が狂いそうになりながら、妻の名を叫びながら逝ったんですって。子供は何とか残せた。けれど、その子供も呪いが振りかかり、彼の家系は狂気に染まったと、中央から放逐されてしまったの」
「……英雄、なのに?」
「だって必要なくなったんだもの。魔神様が封印されて、そんな化け物とまともに戦える勇者なんて、怖くて怖くて仕方ないでしょう? 為政者なら、誰だってそう考える」
「だって、でも……」
「ウォレスは確かに人類に貢献したわ。でも、その貢献は全て『国家の指示で』そうなったことになった。どこかの国の王様の箔付けの為に。今じゃ世界中の国の王様が、ウォレスの血を継いだ英雄の子孫だって名乗ってるわ」
バカみたいよね、と笑いながら。
死にかけの神の魔物は、大天使の心を取り込んでゆく。
「……どうして。どうしてそんなことが、できるんですか……?」
「それをしたいと思っちゃうのが、人間の欲望だからじゃないかしら? よく解んないわ。私元はその辺に居る娘だったし。政治とかよく解んない」
知らない事は素直に知らないという女だった。
殺せばいつでも殺せる。
そう思いながら、けれどその唇から出る言葉の全てが抗いがたい猛毒のように思えて。
「――死ねっ」
「うっ、ぐぁっ!!」
ざくり、刃がより深く突き刺さり。
法典奇跡がローレンシアの神性を剥奪してゆく。
ただの女に過ぎなかった頃の姿に戻りかけ、けれど……奇跡は展開できなくなった。
「死ねっ」
ざくり、刃が地面まで貫通してゆく。
もうとっくに女の身体を貫いて、致死に至る傷を負わせているはずなのに。
なのに、手が止められない。
「死ねっ、死ねっ、お前の所為だっ、お前がっ、きっとお前がっ」
(――何てかわいそうな子なのかしら)
殺している側こそが何の救いも無く、殺されつつある者が同情してしまっていた。
救いがたく辛い思いをしているこの大天使を、ローレンシアは救いたいと思ってしまった。
「おまえたちっ、神の魔物などが存在するからっ! 人間たちはきっと惑わされてっ、こんなっ、こんな狂ったっ、おかしな世界にっ!!」
「――ええそうね、狂ってるわよね。おかしいわよね、こんな世界」
「そうだっ、狂ってるんだ! 全部全部っ、何もかもっ、狂い果てているっ、こんな世界っ、こんな世界をっ、ウォレスたちが望んでいた、はずがないっ!!!」
「そうよ、ウォレスたちが、こんな世界を望んでたはずないわ。きっとあの英雄君たちは、もっともっといい世界を、望んでいたはずよ」
「――私はっ、私はこんな世界っ、認めたくないっ!!!!!」
「そうでしょうとも。こんな世界、誰だって認めたくないわ。認めちゃいけないの」
「壊れろっ、死ねっ、壊れろっ、壊れてっ、壊れてっ、壊れてっ、もとにっ、もとにっ――」
最早何をしているのかも自分ではわからなくなっていた。
ただ、救いがあればと思い、救いがない世界に絶望ばかりが胸を締め上げ、嗚咽し、涙を流すしかできなかった。
こんな気持ち、生まれて初めてだったのだ。
「どうして――」
こんな酷い気持ちになって、どうしたらいいか、全く分からなくて。
「どうしてっ――」
涙を流しながら、止まらないしゃっくりに苦しさを覚えながら、胸が締めあげられる苦痛に顔をゆがませながら。ただ泣くしかできなかったのだ。
「どうして……私は、私は……こんな世界を、信じてしまったの……?」
誰も答える相手などいなかった。
絶命したと思しき元神の魔物が一人。
けれど意識も途絶え何も返答せず。
ただ、一人嗚咽を漏らす事しかできない。
「もう、嫌だ……嫌だよ……耐えられないよ……っ」
穢れが酷すぎた。
あまりにも人の業が醜すぎた。
耐性があるはずの大天使でさえ耐えがたいほどに、人々の欲望は救いのないものとなっていた。
人が人を殺す。人の業が人を殺す。人の欲望が人を殺す。
では、何が人を救うというのか。
救いなど、どこにもないのだろう。
誰も助けないに違いない。
よしんば手を伸ばす者がいたとしても。
きっとそのものの手すら穢して、人は人を殺し続けるのだから。
「なにもかも、わすれたい……なんにも、しらないままでいい……」
いっそのこと。何もかも忘れてしまいたかった。
何にも知らずに、ただぼんやりと。
そう、ぼんやりとしていたかったのだ。
「『私』なんて要らない……もう、『私』なんて、必要ないんだ……っ」
愛した人たちの世界すら救えない、何の役にも立たない自分が、心底憎い。
大事な人たちの遺した世界を、その世界が歪んでいくのに気付くこともできず、あの日の約束にばかりうつつを抜かした愚かな自分を、忘れ去りたい。
そんな自分、無かったことになっていい。
「ごめんなさい、ウォレス……ごめんなさい、シェンナ……貴方達の、貴方達の世界を、守れなかった、私を……っ」
謝罪の言葉は何のためにあるのか。
何一つ救いのなくなった世界に、何の意味をもたらすのか。
(叶えてあげるよ、それ)
微かに残った力の残滓を使い、その願望は叶えられた。
それは純然たる欲望。
自分の都合のいいように、自分の人生を改変したいという、その願いを。
神の魔物は、叶えた。
どんな形で適うかなど知らなかった。
そのまま、ローレンシア自身も意識を失ったからだ。
大天使による願いは、神の魔物にとってすらキャパシティオーバーの、あまりに過大な奇跡の代替となってしまった。
「――それで、『ボク』が生まれたの」
壮大な昔語りであったが、それはフレースベルグの背中での内緒話の内訳である。
最初は神の魔物についての不満や確執などを愚痴っていただけだったのが、いつの間にか過去の語りになっていったのだ。
「す、すごいお話になってしまいましたが、これほんとに私が聞いてよかったんですの……? 皆に話すべきことなのでは……?」
「ううん、シャーリンドンだけでいい。皆に話すのは……ちょっと恥ずかしい」
思った以上に込み入ったお話過ぎて困惑が隠せないシャーリンドンだったが、名無しにとってはむしろ、他の人に聞かせたくない話だった。
今にして思えば、それこそ全部ローレンシアの言う通り「八つ当たりしていただけ」だったのだから。
神の魔物に、ローレンシアに、そして何より……自分自身に。
「今はもう、全部思い出せてますの?」
「ん……神界に戻って、ベラ様とも話して……空を飛んだりして。思い出したくない事も、沢山思い出したの」
「……私、子供の頃、意地悪な男の子にすごく怖いお話を聞かされて、夜おトイレにいけなくなったことがありますの」
「……?」
「……そのっ、恥ずかしながらっ、私も、その……お漏らししてしまった事、あるんですのよ」
何それ、と目が点になっている名無しだったが。
シャーリンドンなりに「自分の恥ずかしい話」を聞かせてきたのだと解かり、嬉しくなって抱き着く。
「わっ、ポーターちゃん……?」
「シャーリンドン」
「な、なんですの?」
「偉いから、すごくいいスラムに住まわせてあげる」
「相変わらずスラムからは脱せませんのね……」
がくりとしながら、それでも名無しの頭を撫でてあげて。
そして幸せそうにぎゅっとしがみついてくるその様に、シャーリンドンは安堵するのだった。
『そろそろ目的地だ。各自、降りる準備をするのだ。気圧が――変わるぞ?』
フレースベルグの声が聞こえ、シャーリンドンは名無しをぎゅっと抱きしめるようにしながら、着陸を待った。




