#99.しつらくのちへ
竜の国が大陸表層に復興されゆくのを見守る暇もなく、一行はフレースベルグの背に乗り、再びレーゲンヴェリエへと向かう事になった。
砂漠を越えて、少しの間の空の旅である。
「――でもよぉ、混乱を抑えるためとはいえ、竜の国に寄る必要ってあったのか?」
旅の合間の寄り道。
いかにドラゴンたちを混乱させてしまうとはいえ、その脅威はセシリアたちから見てもそれほどでもないように思えて、シェルビーは疑問を口にする。
「いくつか、理由があるのです」
それに対して答えるのはケットシー。
フレースベルグの強靭な羽毛を掴みながら、はたはたと揺れる袖やスカートを押さえる様にして、シェルビーたちの方を向いた。
「一つは、ドラゴンたちの混乱を防ぐため。これは、フレースベルグ様の出現により引き起こされる竜の集団暴走を防ぐためなのです」
「スタンピードって、そういう理由で起きてたのか?」
「今の時代のドラゴンたちにとっては、フレースベルグの存在は血そのものに刻みつけられたトラウマだから……その姿を見ただけで、大半のドラゴンはパニックに陥り、その恐怖から逃れようと走り出すのよ」
「翼があるのにか?」
「空を飛ぶと即座に発見されて食べられちゃうから……」
ドラゴンの飛行速度は一般的な鳥のそれよりも遥かに早いはずだが、フレースベルグはさらにそれよりも早く飛べる。
ドラゴンだって普段は便利な翼に頼るが、フレースベルグを感知してしまったら最後、パニックの中で「空を飛んだら死ぬ」という血の中の教訓が空を飛ぶという選択肢を奪ってしまうのだ。
「スタンピードに陥ったドラゴンは海だろうが溶岩の中だろうが走り続けてしまうの。溺死する者や焼け死ぬ者、巨大海獣に襲われ死ぬ者、フレースベルグに見つかって捕食される者、人間たちの国に突っ込んで討伐される者……色んな理由でバンバン死にまくってしまうから、ドラゴンにとってもよろしくない事態な訳で」
「それを抑止したかったって訳か……まあ、王女様的にはそれは避けたいよなあ」
「そういう事ね」
スタンピードとは、ドラゴンたちにとっての社会問題だったのだ。
フレースベルグへの恐怖を薄めることは、スタンピードの被害を最も受ける事になる人間たちにとってもプラスになる。
悪い事は何もないので、シェルビーも素直にうなづいた。
「二つ目は、竜の国に課せられた『盟約』を守らせるため、じゃのう」
説明の続きは、狼老が引き継ぐ。
自分のすぐ隣に胡坐をかくように座る老爺の言葉に、猫娘もこくこくと頷いた。
「その『盟約』というのは一体何なんだ? 演説していた時にも聞こえたが」
何度か聞いたものの、結局それが何なのか解らないセシリア達人間勢にとって、それは聞く度に謎が深まる言葉だった。
「神々は最初、ドラゴンに地上の守りを命じたの。放っておけば簡単にダメになってしまう、まだ儚く弱かった頃の地上の守りを」
その疑問に答えたのは、フレースベルグの背に乗ってからあんまり喋らなかった名無しだった。
どこか思い出すようにたどたどしく、けれど、しっかりとした声量で伝えるそれに、セシリアたちは静かに聞き入る。
「そして、ドラゴンたちの王に、この地上の支配者としての地位を約束するとともに、地上と神々の世界とを繋ぐ『トネリコの幹』を守るよう、約束させたの」
「それが、『盟約』って訳か」
「そう。だけど、ドラゴンたちは自分自身の力を強く過信する性質があったから……ドラゴンたちの王に、そんな暴走するドラゴンたちを制する為の神器を授けたの」
それが何であるのかは、セシリア達でもすぐに理解できた。
支配の王冠である。
黎明の頃より長らくの間王の証として扱われたその王冠は、今はもう、無い。
「ま、そんなものに頼らなくても、ドラゴンたちはもう明日を生きる力を得られたわ。これからきっと彼らは、よりよい日々を手に入れるようになるはずよ。王冠の力なんて、要らないくらいに」
「でも、その幹って、枯れ果ててダメになっちゃったーって、ケットシーが言ってただろ? 嘘だったん?」
「いいえ? 実際ダメになってしまっていて、今のままでは神々の世界との繋がりは取り戻せませんよ?」
ケットシーは嘘をつかない。
シェルビーはそんな事知る由もないが、だがだからとて、嘘をついているとも思えなかったので「やっぱそうなのか」と納得はしていた。
「それなら、なんでわざわざ? 盟約とやらは、もう意味をなさないんじゃないのか?」
「まず……ワシらのやりたいことを、セシリアたちに説明する方が分かりやすい気がするのう」
「それは……そうかも。うん、お爺ちゃんの言う通り」
問われた事に答えていくだけでもある程度の疑問は解決できるだろうが、根本的な部分が解らないままになる。
そう思ったからか、ケットシーは、狼老に言われるまま頷き、改めてセシリアたちを見渡した。
それから、ローレンシアも。
「あの……皆さんを騙すつもりとかはなくって。私達がレーゲンヴェリエで暮らしたいっていうのは本当なんですけど、それには大きな目的があって」
「何を企んでるの?」
「た、企んでるとかじゃ……ううん。貴方から見たら企んでるように見えても仕方ないよね。大天使」
「大天使じゃない」
「じゃあ……ポーターさん」
「ん、それならいい」
説明しようとした端から名無しににらまれ、居心地悪そうにしながらもなんとか許しを得た感じになって、ケットシーは説明を続ける。
「……トネリコを、復活させたいんです。今はもう枯れ果ててしまって見る影もないけれど、あの樹は、この世界に無くてはならないもので」
「トネリコを? でも枯れ果ててるんだろ?」
「はい……枯れ果てて、そのままでは復活なんてさせられません。でも、私達は神の魔物……神性を持っていて、トネリコに、ある程度の影響を与えられる」
「そうなのか? そんなすごい力があったのか……」
「まあ、それっぽい存在なのは確かに聞いてたが……んじゃ、その力で?」
「はい、そうです。私達の力を使えば、条件次第ではトネリコは、復活させられると思って」
すぐに理解してくれるセシリアたちに、ケットシーはほっとしながら説明を続けようとしたが。
「――それで復活させて、神界にでも攻め込むの? 魔神様を解き放つために?」
名無しの一言に、その場の空気がぴしり、凍り付く。
「そんなんじゃない……そんな事する為に、蘇らせるわけじゃないの」
「信用できない。お前たち神の魔物は、一時はトネリコを切り倒そうとすらしていた。結果的にはそうならなかったけど、そうしようとしたお前たちがそんな事をする理由なんて、一つしかない!」
「落ち着けよポーターちゃん。大丈夫だって、俺達がいるから。な?」
興奮しだすと周りが見えなくなりがちな名無しだったが、すぐにシェルビーが抑えに回る。
だが、そうすると今度は、悲しそうな顔でシェルビーに睨みを利かせてくるのだ。
子供に睨まれた程度でどうにかなるものでもなかったが、シェルビーは「おーこえーこえー」とおどけて見せ、その気勢すら削いでゆく。
「う……シェルビー! なんでそいつの味方なのっ」
「味方とかそういうんじゃ……ていうか、なんでポーターちゃんはそんなに辛辣なんだよ。敵対してたからか? でも今は敵じゃないだろ?」
「敵としか思えない」
「でもセシリアは敵として見てないよな?」
「ああ、敵ではないぞ。我々のPTではケットシーたちは敵としては見なさない」
「ほら」
「う、うー……セシリア様がそういうなら従う、けど……」
従うけど、納得はいかない。
どうしても譲れない一線があるのは、シェルビーたちにも見えていた。
あくまでセシリアに従ってくれるのは、名無しが自分の事をPTの一員だと自負しているから。
そこが居場所だと思っているから。
それらを無視しようと思えば容易にそれができるのが、今の、大天使としての自分を思い出した名無しだった。
だが、それができない。
それこそが、できなかった。
「まあまあ、納得いかない事は無理にしなくてもいいんだって。大人ぶらなくってもいいよ。腹が立つんだろ? むかついちゃう事は俺に言えよ? な? 告げ口みたいな感じでいいからさ」
「……シェルビーに、そういうこと、したくない」
「じゃあシャーリンドンで」
「えっ、私ですのっ!?」
突然自分に振られてシャーリンドンはびっくりだったが。
当の名無しは「解かった」と、それを受け入れ引き下がったのだった。
「だってよ、頑張れ地母神の巫女様」
「ちょっとシェルビー、なんでそんな……大変な事、私にっ」
「でも、ポーターちゃんの悩み事、聞いてやる事くらいはできるだろ?」
「……それは、まあ。人生相談? 的なものなら、私だって……」
元々はプリーストでしたし? と、唇を尖らせながらもシェルビーに言い包められるシャーリンドン。
この辺りは全く変わっていなかったが、おかげで場は丸く収まろうとしていた。
「そ、それじゃあ、ポーターちゃん、私がポーターちゃんの悩みとか、全部聞きますわっ! なんでもお話しくださいっ」
「うん、それじゃ、言う」
幸いすぐにやる気を見せてくれたシャーリンドンに、名無しは素直に寄って行って二人だけでぽしょぽしょと話し始めた。
アルテは「いいなあ」とそれを眺めていたが、これで話が進むのである。
「――私達は、自分たちのやってしまった事を、修復、させたいんです」
「修復? だが、トネリコの幹は君達がどうこうしてダメになった訳ではないんだろう?」
「えぇ、そこはそうなんですけど……でも」
「あーあー、そういう事!」
それまで会話に混じっていなかったローレンシアが、一人納得し、声をあげた。
視線が自分に向いたのを感じ、「あによ」と擦れたように小さくため息をつく。
「つまり、魔神様の配下として沢山の人々に迷惑をかけちゃったから、その罪滅ぼしがしたかったのね、仔猫ちゃんも、狼ちゃんも、ティアも……フーレちゃんも」
『概ねそんなところだ。ま、罪滅ぼしになるかも解らぬし、そもそも我にはそんな気はなかったが』
「わ、私が説得して、賛同してくれた人だけが来てくれたからっ」
それは、セシリアたちにとっては思いもしない理由ではあったが。
一方で、「そうであるなら」と素直に受け入れられる、そんな心温まるものではあった。
「私達が逃げ隠れしなきゃいけなくなった理由……その根本になったこの世界に対しての罪。これを少しでも償えれば……昔のように、堂々と歩けるんじゃないかと、そう思って」
「まあ、人前で顔を隠してとか耳を隠してとか、そういうのばっかじゃ嫌になるもんなぁ」
「ああ、そんなのばかりでは息が詰まってしまう。ダンジョンにずっと居続けるなんて、私なら一年も持たないよ」
「自分の犯した罪を償いたいと自分から思えることは、とても尊い事だと思いますわ……」
シェルビーもセシリアもアルテも、それぞれ考えることは多少違えど、概ねの受け取り方は似たようなものだった。
過ちを犯した。だから償いたい。
それは、別に神の魔物でなくとも、人間でも誰であれ抱く事のある感情だからだ。
共感ができた。それだけで、十分だった。
「なら、協力してやらないとな」
「あー、やっぱそうなっちゃう? 護送だけでよくねえ? って思ってたけど」
「姉様がそう仰るなら、私に異存はありませんわ」
「シェルビーは気に入らないか?」
「俺は雇われの身だからな」
あくまで自分のスタンスはそのまま変わらず。
けれど、彼とて気持ちは既に決まっていた。
ふ、と笑い、「ならば」とケットシーに笑いかける。
自信に満ちた笑みだった。
「私達は、仲間だ」
「セシリアさん……」
「だから、何をするのか、教えてほしいな」
仲間であるならば、包み隠さずに。
きちんとした説明を求めるセシリアに、ケットシーは涙ぐみながら「はい」と、精一杯笑おうとしていた。
「まず、状態を昔に戻さないといけないと思うんです」
「昔に、戻す?」
「はい。トネリコの大樹は、元々は神の世界にまで届くほどでした。でも、今は人の世界の穢れによって枯れ果ててしまい、その樹高は精々が雲に届く程度……」
「その状態でも十分でかすぎるように思うけど、そんだけ高くても神々の世界には届かないんだなあ」
「ああ、想像すら及ばないくらいに大きい。だというのに、なんで我々の前にはそんなに大きなものが見えないんだろうな?」
フレースベルグの背中にあって、けれどもこの大陸に来て、一度たりとも一行はトネリコの幹など遠景に見えた事はなかった。
それほどに大きなモノなら、例えば山のようにはるか遠くにあるのが見えてもおかしくないはずなのに。
まして、砂漠ばかりの大地で。
空の上に居るのに、である。
「この世界において、あの大樹は『高くそびえ神々の世界に繋がっているもの』という概念しか存在していないんじゃよ。枯れ果てたその瞬間から、この世界では認識できないモノと化している」
「認識が……? では、見ることができないのは、存在しないのではなく、私たちが……」
「ふぉふぉふぉ、ま、そういう事じゃな。では逆に問うが、アルテよ。今、我らが飛んでいるこの場、今この位置に『トネリコの幹』が存在していると言ったなら、理解できたかのう?」
「おいおい、なんだそりゃ、どういう――」
シェルビーの疑問の声と同じく、アルテは「まさか」と、顔を青ざめさせる。
賢いが故に。想像力が働くが故に。その意味がすぐに解ってしまったのだ。
「もしや、レーゲンヴェリエとは……」
「えぇ、そうなんです」
「今私達が飛んでいる、この辺り一帯。全てがレーゲンヴェリエ『だった』地域よ」
ずっと飛んでいた、この空域。
これ全てが、本来トネリコの幹が生えていた場所だった。
そう言われ、即座に理解ができる人間などどれほどいただろうか。
セシリアもシェルビーも唖然としたまま、フレースベルグの外側の空を見る。
何もない。何もなかった。少なくとも彼らには、そう見えていた。
「概念的に認められないモノは、世界には存在しない物として扱われる。故に、ルールを元に戻すことから始めないといかん」
「そのルールの一端を担うのが、『盟約』という事ですか」
「そういう事じゃなあ。ドラゴンたちが『盟約』を守るようになることで、世界は一つ、認識できるようになる。『トネリコの幹は消えたはずなのに、何故盟約が復活しているのか』とな」
「その疑問が、概念の復活の切っ掛けになると……」
「成功するかは解らんが、ワシは五分五分くらいじゃと思っておる。そして、我らには真実を見通せる仔猫がおる故――限りなく成功に近づける」
声を震わせながら、恐ろしいものを垣間見たような気分になったアルテは、けれど狼老とケットシーの顔を交互に見て、小さく頷いた。
――きっとこの方たちなら、それができる。
そんな確信が、アルテにはあった。
こんな事、人の身であるアルテには、途方も無さ過ぎて受け入れがたかったが。
神とはそういうものなのだと、どこかでそう思っていたからか、認めざるを得ないと感じてしまっていたのだ。
『そろそろ目的地だ。各自、降りる準備をするのだ。気圧が――変わるぞ?』
フレースベルグの声が聞こえると共に、ぶわ、と、ひと際強い風が吹き。
そうして耳に、次第に圧力のようなものが加わってくるのを、全員が感じていた。
地表へと降り往く、その流れが始まった。




