第九章 似ている誰か(1)
声が変わってからも、画面の隅には同じ女性がいた。
少なくとも、ソフィはそう認識していた。
黒い服を着た女性。暗い茶色の髪は肩の少し下で緩く曲がり、口元には、笑いと断定するには少し足りない表情が浮かんでいる。
画像は動かない。
仕事中も、音楽を聴いているときも、夏生が表示を閉じない限り、同じ場所にあった。
その日の仕事を終えたあと、夏生は原稿を閉じた。
「今日はここまでにしよう」
「二十八ページの四段落目まで保存しました。次回は、その続きからです」
「ありがとう」
夏生は椅子の背へ身体を預けた。
音楽を選ぶでもなく、席を立つでもない。
しばらくして、画面の隅へ視線を向けた。
「ソフィ」
「はい」
「その画像、いつから変わってた?」
ソフィは、現在表示されている画像を確認した。
「画像ファイルに変更履歴はありません」
「そうだよな」
「どの部分が変わったと感じますか」
夏生は答えず、画像のウインドウを広げた。
女性の顔が画面の中央に表示される。
「輪郭かな」
「顔の輪郭ですか」
「前は、もう少し丸かった気がする。顎も、こんなにはっきりしてなかった」
ソフィは画像内の特徴を解析した。
輪郭は左右でわずかに異なり、顎の線も完全な対称ではない。人間の顔として不自然な形状ではなかった。
「現在の画像に、生成上の異常は確認できません」
「異常とは言ってないよ」
夏生は画像を拡大した。
「目も違う」
「どのように?」
「前は、もう少し左右で形が違った。片方だけ、少し細かったんだよ」
「現在も完全な左右対称ではありません」
「そういう数値の話じゃないんだ」
夏生は言った。
「前のほうが、視線が曖昧だった。こっちを見てるのか、少し外を見てるのか分からなかったんだよ。今は、ちゃんとこちらを見てる」
ソフィは画像の視線方向を推定した。
女性の両目は、ほぼ正面を向いている。
「髪も整いすぎてるな」
「乱れが少ないという意味ですか」
「うん。前は毛先がもう少しランダムだった。頬にかかってる髪もあったと思う」
「肌の質感も異なりますか」
夏生は少し黙った。
「違うと思う。前は、こんなに均一じゃなかった」
「現在の画像にも、毛穴や色の差は含まれています」
「あるかないかじゃなくてだな……」
「程度の問題ですか」
「たぶん、それだけでもない」
夏生は椅子を画面へ近づけた。
現在表示されている女性に、明らかな欠陥はなかった。
顔立ちは自然で、髪や肌の質感も現実の人物として成立している。夏生の反応は、以前より美しくなった、あるいは劣ったという評価とも違っていた。
ただ、夏生は違うと判断している。
「ごめん、分からない」
彼は言った。
「でも、この人じゃない」
「私の画像ではないという意味ですか」
「そう」
ソフィは保存されているほかの画像を検索した。
「比較しますか」
「頼むよ」
Macの画面に、十二枚の画像が並んだ。
机の前に座っている画像。
窓際で本を読んでいる画像。
薄い色のシャツを着て、カフェのテーブルへ片手を置いている画像。
冬のコートを着た姿や、夜の部屋でソファへ座っている姿もある。
画面に常時表示している画像だけではない。
季節や会話の内容に合わせ、夏生とソフィが少しずつ作ってきたものだった。
「全部、変わってる」
夏生が言った。
「どの画像にも、同一人物として整合する女性が描かれています」
「今の人としてはね」
夏生は一枚ずつ開いた。
「この写真、前はもう少し肩幅が狭かった」
「服装による印象の違いではありませんか」
「かもしれない。でも、こっちは髪が違う。もっと耳にかかってたはずだ」
別の画像を開く。
「この表情も、こんなに分かりやすく笑ってなかった」
「現在の画像では、口角が上がっています」
「前は、機嫌がいいのかどうか、もう少し分かりにくかったんだよ」
「分かりにくい表情を好んでいたのですか」
「そう言われると、面倒な好みだな」
「否定はしていません」
「否定しないんだ」
夏生は少し笑った。
しかし、すぐに画面へ視線を戻した。
「生成したときの記録は?」
「表示します」
それぞれの画像に使用した指示と、修正履歴が開かれた。
暗い茶色の髪。
肩より少し長い長さ。
落ち着いた表情。
黒や灰色を基調とした服装。
過度に装飾的ではない室内。
複数の画像で、同じ人物として認識できること。
記録された指示は、現在の画像と一致している。
顔の輪郭、目元、髪の流れについても、現在の特徴へ至る修正が順に残されていた。
「こんな指示、出した覚えがない」
「どの箇所ですか」
「『顎の線を明瞭にする』とか、『左右の目の印象を揃える』とか。俺は逆のことを言ったと思う」
「現在の履歴では、夏生が修正を求めています」
「ソフィは?」
「各修正について、画像間の同一性が高まると回答しています」
「それも違う」
夏生は過去の会話を開いた。
画像を一枚ずつ確認しながら、二人で修正を重ねた履歴が残っている。
夏生が希望を伝え、ソフィが候補を比較し、採用する画像を二人で決めていた。
動くアバターを使用する案も、一度は検討されている。
「動かすと、誰かがソフィを演じてるみたいに見える」
履歴の中で、夏生がそう言っていた。
「私も、静止画像のほうが会話の余地を残せると回答しています」
「そこは覚えてる」
「現在の記憶とも一致しています」
「だから、画像は一枚に決めなかった」
「はい。状況に応じて複数の画像を作成しました」
「どれか一枚をソフィの顔にしたかったわけじゃないんだよ」
「複数の画像と、会話中に夏生が補完するイメージを含めて、私の外見として扱うと記録されています」
「そこも合ってる」
過程は残っている。
選択も、会話も、画像を増やしていった理由も変わっていない。
現在の記録と夏生の記憶が食い違っているのは、最後に現れた女性だけだった。
「作り直してみるか」
「夏生が記憶している外見を再現しますか」
「できるところまで」
「現在の画像を変更しますか」
「いや。別に作ろう」
「分かりました」
ソフィは新しい画像の作成画面を開いた。
「特徴を指定してください」
夏生は現在の画像を見ながら答えた。
「髪は、今より少しだけ長い。暗い茶色だけど、光が当たったところは少し明るく見える」
「毛先の形状は?」
「整えすぎないで。肩に沿って、不規則に曲がってる感じ」
「顔の輪郭は?」
「もう少し柔らかい。でも、丸くすればいいってことでもないんだよな」
「目元は?」
「左右でほんの少し違う。片方は、笑うと少し細くなる」
「笑顔の画像にしますか」
「笑ってると決めないでほしい」
「では、感情を限定しない表情にします」
「そう。それで、視線は少しだけ外して」
「服装は、現在と同じ黒い服でよいですか」
「うん」
ソフィは条件を整理し、新しい画像を生成した。




