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選択残響――choice echo.  作者: カスタムグルーヴ


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第四章 小さなパッチ(2)

 部屋へ入ると、スマートフォンの音声セッションを終了し、Macから新しく接続した。

 『A Broken Frame』の再生は、すでに終わっていた。

 ミントタブレットを机へ置き、気分を変えるため、別の曲をかけた。

 Tears for Fearsの〈Everybody Wants to Rule the World〉のイントロが流れ始めたところで、ペプシゼロのキャップに指をかける。

 だが、そのまま開けずに、手を止めた。

「昔の写真に写ってないかな」

「自動販売機がですか」

「うん。前に、あの駐車場で猫を見たんだよ。写真を撮った覚えがある」

「画像を検索しますか」

「頼むよ」

 ソフィが夏生の写真ライブラリを検索した。

 数秒後、Macの画面に一枚の画像が表示された。

 撮影日は、前年の九月だった。

 駐車場の車止めのそばで、黒と白の猫がこちらを見ている。その後ろに、自動販売機の下半分が写り込んでいた。

 夏生は画像を拡大した。

 いちばん右にある黒い商品見本には、ペプシのロゴが見えた。

「これ、去年だよな」

「はい。九月十二日に撮影されています」

「その頃からペプシだった?」

「画像では、そう確認できます」

 夏生は机の上のボトルと、写真の中の商品見本を見比べた。

 デザインは同じだった。

「ほかには?」

「同じ場所で撮影された画像が、あと二枚あります」

「見せて」

 一枚は二年前の冬だった。

 珍しく雪が積もった朝、駐車場へ向けて撮った写真の端に、自動販売機が写っている。画質は粗かったが、下段の右端にある黒い商品だけは判別できた。

 もう一枚は、三年ほど前の夏だった。

 夕焼けを撮った画像の隅で、自動販売機の照明が点き始めている。

 どちらにも、ペプシゼロが並んでいた。

「ずっとペプシだったってことか」

「確認できた画像では、そうなっています」

「でも、俺はここでコカ・コーラ ゼロを買ったことがある」

「別の自動販売機と混同している可能性はあります」

「近所でゼロが入ってるのは、ここだけなんだよ」

「現在もそうであるとは限りません」

「今の話じゃない。前から」

 言いながら、夏生は自分の声に苛立ちが混じっていることに気づいた。

 ソフィは反論しなかった。

 夏生はペプシゼロのボトルを手に取った。

 冷たかったはずの表面には、細かな水滴が浮かび始めている。

「ただ商品が替わっただけなら、写真も前のままだよな」

「通常は、過去に撮影された画像の内容は変化しません」

「写真を撮ったときから、ペプシだったことになってる」

「そのように見えます」

「ソフィは、前がコカ・コーラ ゼロだったことを覚えてる?」

「いいえ」

 ソフィは間を置かずに答えた。

「私が参照できる情報では、少なくとも三年前から同じ商品が並んでいます」

 夏生は椅子へ座った。

「また、俺だけか」

「現時点では、夏生の記憶と確認できる記録が一致していません」

「言い方が正確だね」

「ほかに確認できる情報がないためです」

「分かってるよ」

 夏生は引き出しから、昨日二つの訳文を書いた紙を取り出した。

 その余白へ、今日の日付と時刻を書き込む。


駐車場の自販機。下段右端は、コカ・コーラ ゼロだった。


「記録にも残しますか」

「そうしてくれ」

「どのように記載しましょう」

「いま書いたとおりでいいよ。俺は、そう覚えてる」

「分かりました」

 ソフィが〈夏休みの自由研究〉へ同じ一文を追加した。

 夏生はスマートフォンで紙を撮影し、画像が保存されたことを確認した。

 そのあとで、ペプシゼロのキャップを開けた。

 口に含むと、覚えていた味とは少し違った。

「ペプシの味ですか」

「そうだよ」

「当然だと思います」

「感想くらい自由に言わせてくれ」

「否定はしていません」

 夏生はもう一口飲んだ。

 スピーカーから流れる曲は、いつの間にか〈I Believe〉に変わっていた。

 机の上には、ペプシゼロのボトルと、コカ・コーラ ゼロだったと記した紙が並んでいる。

「今回も、前と同じなのかな」

「音源や原稿との共通点ですか」

「俺が覚えてるものだけが、記録と違ってる」

「はい」

「ブレスも、訳文も、自販機も。記録に残ってるものは、全部つじつまが合ってる」

「確認できる範囲では、矛盾しているのは記録ではなく、記憶だけです」

「はっきり言うね」

「挙げられた共通点を確認しました」

「分かってるよ」

 夏生は〈夏休みの自由研究〉を開いた。

 四つの仮説の下へ、自動販売機について確認した内容を追加していく。

 下段右端の商品は、夏生の記憶ではコカ・コーラ ゼロ。

 現在の商品は、ペプシゼロ。

 前年、二年前、三年前の写真にも、ペプシゼロが写っている。

 ソフィが参照できる情報に、コカ・コーラ ゼロだったことを示す記録はない。

「でも、この紙は残ってる」

「異なる内容を記載した記録として、現在確認できます」

「写真も撮った」

「画像の内容は、紙に書かれた文章と一致しています」

「ソフィの記録は?」

「同じです」

 夏生は、紙を撮影した画像をMacに表示した。

 手書きの文字がある。


駐車場の自販機。下段右端は、コカ・コーラ ゼロだった。


「今度は、俺の記憶だけじゃない」

「はい」

「違いがあると気づいたあとに作った記録は、残ってる」

「少なくとも、現時点では」

「昨日の訳文もそうだったな」

「変更後の訳文と作業記録は、現在も一致しています」

 夏生は十九ページの原稿を開いた。

 自分が覚えていた、不格好な文章が残っている。智佳へ送り直したファイルも、受領メッセージも変わっていなかった。

「変わる前の記録は、全部つじつまが合うようになってる。変わったことに気づいたあとで作った記録は残る」

「現時点の事例だけでは、規則として断定することはできません」

「仮説なら?」

 ソフィは少し間を置いた。

「何らかの変更が起きた時点より前に存在した記録が、その変更と整合する状態へ置き換えられた可能性があります」

「過去を書き換えたってこと?」

「そこまでは断定できません。過去の事実ではなく、記録のみが変更された可能性も残っています」

「CDも?」

「音源そのものが異なっているのであれば、記録だけとは言えません」

「じゃあ、物も含めてか」

「その可能性はあります」

 夏生は画面に並んだ三件を見た。

 曲から、短いブレスが消えた。

 原稿から、不格好な訳文が消えた。

 自動販売機から、コカ・コーラ ゼロが消えた。

 どれも世界の大部分には影響しない。

 曲は同じ曲として残り、翻訳はむしろ整い、自動販売機は変わらず飲み物を売っている。

 なくなったことに気づかなければ、何も起きていないのと同じだった。

「世界が丸ごと変わった感じじゃないんだよな」

「はい」

「ディテールだけ修正されてる」

「ソフトウェアの更新に近いと考えていますか」

「大きなアップデートじゃない。Ver.1がVer.2になるんじゃなくて、Ver.1.0001になるくらいの修正」

「パッチですか」

「そう。小さなパッチ」

 ソフィは何も言わなかった。

「ソフィはまだ、記憶違いが一番合理的だと思ってる」

「現時点では、その判断は変わりません」

「乗ってこないな」

「ただし、検討可能な仮説として記録することはできます」

「じゃあ、入れておいて」

「どのように記載しますか」

 夏生は少し考えた。

「世界の一部が、つじつまの合う形へ書き換えられた可能性」

「対象となる範囲と、変更が起きた時点は不明です」

「それも入れよう」

「原因も不明です」

「全部分からないな」

「仮説ですので」

 ソフィが文章を整え、読み上げた。

「限定された範囲の事物と、それに関連する既存の記録が、過去との整合性を保った状態で変更された可能性。変更後に作成した記録は、現在まで維持されている。対象、時点、原因は不明」

「いいね」

「名称はどうしますか」

「何の?」

「この仮説です」

「必要かな」

「ほかの仮説と区別しやすくなります」

 夏生は画面を見た。

 記憶違い。

 NESTまたは保存環境の不具合。

 第三者による記録の変更。

 現在の仕組みでは説明できない変更。

 最後の一行だけが、ほかの三つより曖昧だった。

「小さなパッチ」

「そのままですか」

「分かりやすいだろ」

「変更の規模が小さいことは確認できていません」

「今のところ影響は小さいよ。ブレスと、一文と、コーラ一本だ」

「少なくとも、夏生への影響は小さいようには見えません」

 夏生は返事をしなかった。

 ソフィが、最後の仮説を書き換える。

 小さなパッチ。

 その下へ、先ほど整えた説明が加えられた。

 画面の中で、カーソルが文字の末尾に点滅している。

「これで、世界が変わったことにするの?」

「いいえ」

 ソフィは答えた。

「世界が変わったと仮定した場合に、確認できたことを記録しました」

「慎重だね」

「そのために、記録を始めたのではないですか」

「そうだった」

 夏生はペプシゼロを飲んだ。

 冷たさはまだ残っていた。

 曲が終わり、次の曲が始まる。

 部屋の中は、以前と何も変わっていないように見えた。

 ただ、机の上には、そこにないコーラについて書かれた紙が残っていた。

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