静かなる侍女の助走
「おい、ヨハンナ。夜会がある日の昼食はスープだけでよかったな? お嬢様の好きな果物もお出しするか」
昼食前の慌ただしい厨房。忙しく動く料理長とは反対に、ヨハンナはどこかを睨んだまま、腕を組んで微動だにしない。
「ヨハンナ、返事をしろ!」
料理長はいぶかしそうにヨハンナのもとまでやって来る。いつもはきびきびと動くヨハンナが明らかにおかしいのである。
「朝もほとんどお召し上がりになりませんでした」
「お前……」
「朝から冷やした瞼も、ようやく腫れが引いたところです」
「……」
「料理長」
「何だ? 果物水か、菓子か?」
「殺害予告の書き方を教えて下さい」
「……」
殺害という言葉に、近くにいた使用人がギョッとする。料理長はヨハンナの肩をぎゅっと掴むと、その耳元でこう囁いた。
「ここだけの話だ……あの執事なら知っていると思うぞ」
どんよりとしていたモスグリーンの瞳に光が差す。ヨハンナは料理長に頭を下げると、ものすごい速さで厨房から出て行った。
「すまん、執事のおっさん」
ヨハンナはもう自分の手には負えない……賢明な判断をした料理長は、悪いと思いながら執事にヨハンナを丸投げすることにした。
コンコンコン……
ノックと同時に執事のいる部屋に入ったヨハンナを見て、初老の執事は眉間に皺を寄せた。しかし、顔を上げたヨハンナを見ると、驚いたようにモノクルを掛け直した。
「ヨハンナ。泣くのはこの部屋の中だけですよ」
ヨハンナは頷くが、涙はまだまだ止まりそうにない。執事は静かにヨハンナのそばへと歩み寄った。
「お嬢様の話は聞いています。皆、やりきれない思いでいます」
ヨハンナは黙って鼻を啜る。
「しかし、ヨハンナ。今、一番悲しくて泣きたいのは誰ですか? その方が気丈にされているのに、お前が泣いてどうするのです」
静かに言い聞かせながらも、執事も内心は揺れていた。ヨハンナはどれだけ叱られても、人前で泣いたことがない。そのヨハンナがこんなに動揺しているのだ。
それと共に少し安心もしていた。年齢以上に冷静すぎるヨハンナの、年相応の感情が見られたのだ。執事はヨハンナに自分のハンカチをそっと渡した。
ハンカチを受け取ったヨハンナは、それでブーッと勢いよく鼻をかむ。その行動には少し驚いたが、いつものヨハンナに戻った、と執事は胸を撫で下ろした。
「それで、私への用は?」
「殺害予告の書き方を教えてください」
そう言いながら、ヨハンナは鼻をかんだばかりのハンカチを執事に渡した。返されたハンカチを受け取りながらも、執事は冷静を装いつつヨハンナを理解しようと頑張った。
「そんなもの書いてどうするのです?」
「脅します。脅して、今日の夜会を欠席させてやります」
「問題を先送りにするだけですよ」
「一生、送りつけます」
「……お前は頭が良かったはずですが」
言いながら、執事はハンカチをゴミ箱にそっと捨てた。前から思っていたが、ヨハンナはエレオノーラのことになると知能が下がる。執事はため息を吐いた。
「そんなこと、許せるはずがないとわかっているでしょう」
ヨハンナは黙り込んだ。きっと、行き場のない怒りをここにぶつけにきたのだ。執事はそう思った。
「さあ。エレオノーラお嬢様にスープをお運びしなさい。それから、いつも以上にお嬢様を綺麗に飾って差し上げなさい」
ヨハンナの涙はもう止まっている。ヨハンナは執事をじっと見ていたが、頭を下げるとその部屋を後にした。
ホッとして、手を洗いに向かおうとした執事の耳に、聞き慣れない音が飛び込んだ。
「チッ」
音の原因を理解した執事は、静かに天を仰いだ。
「……あれは、納得していませんね」




