クララと男爵家
「準備が早すぎたんじゃないかしら? コルセットがきつくて食べられないわ」
ローゼ男爵家の食堂。朝食後に始まったクララの支度は、昼前には終わっていた。賑やかだった侍女たちも、支度を終えると満足そうにさっさと帰ってしまった。
そこにスープを持ったマータがゆっくりとやって来る。
「お嬢様。夜会の前は、あまりお食事を召し上がらないものなんですよ」
クララは目の前に置かれたものがスープだけだと知ると、露骨に嫌な顔をした。
「夜会に行けば、美味しいものがたくさんございましょう?」
「そんなものに手を付ければ、すぐに卑しいだの陰口を叩かれるわ」
「あら、まあ」
実際、初めてレオンハルトに連れられた夜会での出来事だ。
いつ潰れてもおかしくない男爵家のクララは、それまで大きな夜会になんて出席したことがなかった。意地悪を言われるのは構わないが、目の前に準備されているご馳走に手をつけてはいけない理由がわからない。
「貴族になんて生まれるものじゃないわね」
そんなことを話しながらチビチビとスープを口にしていると、使用人のヤーコプが食堂に入って来た。
「ヤーコプ! お嬢様のお食事中ですよ。そんな汚れた格好で」
侍女がヤーコプを叱る。白いシャツに、髪と同じブラウンのスラックスを履いたヤーコプは、確かに煤か何かで汚れていた。
「馬車の車輪がまたやられた。おっさんは? 探しているけどどこにもいない」
ヤーコプがマータのお小言を遮る。マータは目を見開いた。最近、ローゼ家の一台しかない馬車が被害にあっている。クララとレオンハルトの噂が流れてから始まったので、きっとそれが原因なのだろう。
「おっさんって、執事様でしょう! それより、またなの? もう三回目よ。そういえばあの人見ないわね。どこでサボっているのだか」
探してくると言い残し、マータは食堂を出て行ってしまった。ヤーコプは無表情のまま、クララの向かいの椅子にドカッと座った。
「執事様って言ったって、マータの旦那様なのにね」
使用人なのに同じテーブルに着いたことには触れず、クララはヤーコプに笑いかける。ヤーコプは表情を変えず、じっとクララの顔を見つめた。
「似合わないでしょう?」
「似合わないです」
「わかっているわよ」
クララはヤーコプのオレンジの瞳をじっと見つめ返した。ヤーコプがふいと視線をスープに移す。
「昼食、それだけですか?」
「そうなのよ。何の足しにもならないわ」
クララは行儀悪く、スプーンでスープをかき混ぜた。
「あーあ。私もあなたみたいに平民に生まれてくれば良かったわ」
「腹一杯食えるからですか」
「そうそう。コルセットなんて脱ぎ捨ててね」
そう言うと、クララはケラケラと笑った。ヤーコプはそれを呆れたように見ていた。一通り笑ったクララは、ヤーコプのオレンジ色の瞳を覗き込んだ。
「あなた、今日はどうしているの?」
「今日は……人に会う用があります。大切な用です」
「……そう、残念」
興味が失せたのか、クララは再びスープを口に運び出した。ヤーコプは立ち上がると、食堂を後にした。スラックスのポケットの中にある小箱を大切そうに確認しながら。




