エレオノーラの心配
夜会の支度を終えたエレオノーラは、ヨハンナが呼びにくるのをじっと待っていた。しかし、いつもより呼びに来るのが遅い。それに、廊下が騒がしい。
エレオノーラが不安に思っていると、部屋の扉が開いて初老の執事が顔を覗かせた。
「何かあったの?」
エレオノーラの問いかけに執事は一瞬息を飲んだが、すぐにいつもの優しい笑顔を浮かべた。
「ヨハンナが……その、まだ支度中と申しますか……」
ヨハンナの支度? エレオノーラは首を傾げた。夜会に同行する時のヨハンナは、いつもの紺色に白い襟の着いた侍女服のままだ。今まで聞いたことのない理由に、エレオノーラはますます混乱する。
執事はいつもとは違い、歯切れ悪く続けた。
「旦那様に叱られ……いや、旦那様の指導を受けていると言いますか」
「お父様が? 侍女に指導……」
二人がちぐはぐな会話を続けていると、廊下からさらに大きな声がした。
「おーい、執事よ! あったぞ! 消えたペティナイフ、あいつが持っていやがった」
慌ただしくやって来たのは料理長だ。料理長はよほど焦っていたのだろう、執事の向こうにエレオノーラの姿を見つけると、目を見開いて固まった。
「お久しぶりね、料理長。お昼のスープ、とても美味しかったわ」
「と、とんでもねぇです!」
料理長は慌てて帽子を取り、大きな体を縮ませた。ナイフと言う不穏な言葉に、エレオノーラは説明を求めるように執事をまっすぐ見た。そして口を開こうとしたが、先に言葉を発したのは執事だった。
「お嬢様! 旦那様が見立てたそのドレス、本当にお美しい! 今までも十分お美しかったですが、私が見てきた中で一番お嬢様に似合っています。ねぇ、料理長」
エレオノーラに話させまいと矢継ぎ早に話し続けていた執事が、突然料理長に話題を振った。執事の鋭く光るモノクルに、料理長は一瞬で状況を理解した。
「は、はい! 俺はいつも厨房にいますが、そんな俺でも今日のお嬢様が王都で一番美しいのはわかります!」
「そうでしょう、そうでしょう。そのドレスのお色。旦那様はわかっていらっしゃる」
「お嬢様と奥様の瞳の色ですな。薄紫がこんなに似合うのは、お嬢様親子だけですよ!」
いかにもとってつけたような賛辞だったが、褒められるとやはり嬉しいものだ。特に母のことを言われて、エレオノーラはくすぐったくなった。
「美しいだなんて、そんな……。でも、お父様が作ってくれたドレスは本当に綺麗なの」
「旦那様にそんな才能があったとは」
「ああ、何作っても美味いしか言わない旦那様が」
異様な光景に、他の使用人たちが不安そうに廊下の向こうから遠巻きに見ている。その人だかりを押しのけて、ヨハンナがキビキビと歩いてきた。
「ヨハンナ、遅かったわね。あなた、一体何をしていたの?」
いつも通りの無表情を浮かべたヨハンナを、執事と料理長が何とも言えない目で迎える。
「人助けで草刈りをしておりました。ペティナイフで」
「お父様の指導って?」
「ペティナイフの正しい使い方です」
「そう」
「さあ、馬車のご用意ができました。お嬢様、参りましょう」
そう言うとヨハンナは、扉の近くに立つ執事と料理長をチラリと見た。二人はさっと道を空ける。
「では、行きましょうか」
「はい。お嬢様」
部屋を出るエレオノーラに、執事と料理長は深く礼をした。ヨハンナはもう二人を見ることもなく、エレオノーラの後ろについて退室した。
廊下の使用人たちもエレオノーラに道を空け、深い礼をする。執事と料理長は、エレオノーラとヨハンナが見えなくなるまで黙って見送った。
「あいつ、まったく反省してねぇな」
「旦那様の説教も、ヨハンナのお嬢様至上論に押されていましたからね」
「夜会が終わるまで持つか?」
執事は深くため息を吐いた。
「……ヨハンナですよ」
二人は遠い目をして、しばらくその場に佇んでいた。




