ひと月前『ローゼ男爵家執事の捕物帖』
夜会からひと月ほど前。
ローゼ男爵家に長年勤める老いた執事は、痛む腰を叩きながら厨房の勝手口から表に出た。もともと使用人の多い屋敷ではなかったが、それでもここ数年の男爵家の経済状況はとても悪く、使用人は年々減っていき、今では妻のマータとヤーコプだけになってしまった。
執事は月を見上げた。
まさか老いてから仕事量が増えるとは思わなかった。それは妻のマータも同じで、与えられた自室に戻ってからは毎晩マータの足を揉まされている。それでも夫婦が男爵家を去らないのは、クララがいるからだ。
しかし、それももう長くはないだろう。執事は欠けた月を眺めながら、男爵家の終焉を感じていた。
その時、一台の小さな馬車が敷地に入って来るのが見えた。食品を納入している業者だろう。執事は思い足取りで馬車に近づいた。
馬車から素早く降りた男は、執事の脇腹に固いものを押し当てた。執事の顔が強ばる。
(しまった!)
疲れのあまり注意を怠った。よく見ると、馬車も男もいつもの業者のものとは違う。借金取りか……執事は固まった。
「動かないでください。王太子殿下の命で来ました」
男が執事の耳もとで話す。執事は自分の脇腹に当たっていたものを見る。それは、王家の紋章が彫られた勲章だった。
執事が男を見上げる。男はケープを纏っていたが、息子ぐらいの年に見えた。
「殿下から大事な話を言付かっています。今から一時間後、フェラートというバーでお待ちしています。こなければクララ嬢の命は保証しない。くれぐれも、内密に」
そう言うと、男は馬車から野菜の入った木箱を下ろし去って行った。
しばらく呆然としていた執事だったが、クララの命を人質にされては行かざるを得ない。幸いなことに、最近マータは休むのが早い。執事は時間を見て、そっと屋敷を抜け出した。
あまり治安がいいとは言えない飲み屋街に、そのフェラートというバーはあった。
執事が薄暗い店に足を踏み入れると、狭い店には男だけがいた。店を貸し切ったのだろう。ケープを脱いだ男は、いかにも身分が高そうだった。
「あのう、私に話とは……」
「ローゼ男爵を尾行して欲しい」
男は単刀直入にそう言うと、執事に小さな麻の袋を渡した。報奨金だろうか。執事が袋を覗くと、そこには付け髭とカツラが入っていた。想像していなかったものに戸惑う執事に、男は淡々と話す。
「ローゼ男爵がクララ嬢と共に犯罪行為に巻き込まれている。このままではクララ嬢まで罪人となってしまう」
短い説明だったが、執事は納得してしまった。なんせ、最近の男爵の行動は目に余る。それにクララまで巻き込まれるなんて、絶対に阻止しなければならない。執事は震える唇を噛みしめ、力強く頷いた。
「最近、男爵は週末の夜に商人風の男と会っている。あなたには男爵を尾行して、商人が借りている家を突き止めて欲しい」
「……しかし、こんな老いた私に務まるでしょうか」
「そこで、その袋だ」
男は袋を取り返すと、テーブルの上に中身を出した。
「あなたは白髪だから、この黒髪のカツラはいいと思う」
「はぁ。付け髭は、ひげの上からつけるのですか? だいぶボリュームが出ます」
「剃るか?」
「剃ったとて、付け髭をしたら元通りの顔になるかと」
「……任せる」
その夜遅くに帰宅した執事は、こっそりと屋敷に入るところをヤーコプに見つかってしまった。言い訳をしようとあたふたする執事を一瞥しながら、ヤーコプは興味なさそうに言った。
「侍女殿にバレないように、ほどほどにしろよ。おっさん」
こうして二度の失敗を経て、執事は夜会の当日、無事に男爵たちのアジトを密告することができたのだった。
じいさん良くやった! と思われた方、応援頂けましたら幸いです。




