婚約破棄とプロポーズ
王太子夫妻、レオンハルトのダンスが終わった夜会会場では、数組のペアが入れ替わり立ち替わりダンスを楽しんでいた。飲み物を手にして歓談に花を咲かせる者も多く、会場は賑わいを見せていた。
しかし、本日の主役は二人。招待客は澄ました顔で夜会を楽しみながらも、常にエレオノーラとクララの行動に注目していた。
レオンハルトとのダンスを終えたクララは、涼しい顔をして果実水で喉を潤している。以前なら嫌味な笑顔で話し掛けていた令嬢たちも、あのダンスを見た後にクララに近づく勇気はない。
クララは果実水を楽しみながら、上がる息を整えた。
一方のエレオノーラは、終始壁の花に徹していた。お化粧直しを口実に、不躾に向けられる好奇の目から逃げようとも思ったが、ヨハンナを見つけられない。先ほどまで仁王立ちしていたのに、急用でもできたのだろうか。仕方なく、エレオノーラは笑顔を貼りつけたまま、ヨハンナが戻って来るのを待つことにした。
楽団の演奏が止まる。招待客たちは、何かを期待しながらなんとなく会場の中心を空けた。
王族席にいたレオンハルトが立ち上がる。皆、一斉にそちらを向いた。賑やかだった会場の空気が変わった。
レオンハルトが堂々と会場中央まで進む。そして、立ち止まったレオンハルトは、まっすぐに一人の女性に視線を送った。視線の先には、クララがいる。招待客が誰ともなく道を空ける。クララは空けられた空間をゆっくりと進み、レオンハルトの元に向かった。そして二人は並んだ。
エレオノーラはその様子をただ見つめていた。手が小さく震えている。すぐ後ろは出入口。逃げてしまおうか……弱気になったエレオノーラの耳に、誰かが囁いた。
「このヨハンナがお守りいたします」
ヨハンナの声を聞いた途端、エレオノーラは震える手を握りしめ、ぐっと前を見た。なぜだろう、ヨハンナが後ろにいると思うだけで、震えと共に弱気な気持ちも消えていく。エレオノーラはまっすぐ前を見据えたまま、しっかりと頷いた。
「エレオノーラ・フォン・ローゼンベルク」
レオンハルトがエレオノーラの名を叫ぶ。静まる会場の中に、レオンハルトの声はいつもよりよく通った。
「はい」
一拍おいてから返事をすると、エレオノーラの前に道ができた。エレオノーラはしっかりとした足取りで、その間をゆっくりと進む。エレオノーラの左後ろには、侍女服のヨハンナが歩いていた。その異様な光景に、周囲からは息を吐く音一つなかった。
エレオノーラは、レオンハルトの少し前で止まった。そこでようやく二人は視線を合わせた。
レオンハルトはエレオノーラの後ろにいる侍女に一瞬だけ目をやると、すぐにエレオノーラに視線を戻した。
レオンハルトが一歩前に出る。クララはレオンハルトに隠れるように身を縮めた。エレオノーラは視線を落とした。
「ローゼンベルク侯爵令嬢。お前との婚約を、破棄……」
そこまで言うと、なぜかレオンハルトは言葉を止めた。何が起こったのかわからない周囲が、次第にざわつきだす。エレオノーラもレオンハルトを見上げた。
レオンハルトは会場の後方を見ていた。その目は驚きのせいか見開かれている。エレオノーラは急いで振り返ると、レオンハルトの視線の先を辿った。
「!?」
レオンハルトの視線の先には、人を掻き分けながらこちらに進んで来る青年の姿が見えた。白いシャツを着たその青年は、茶色の髪を振り乱しながら招待客を押しのける。あちこちからは小さな悲鳴があがった。
エレオノーラが恐怖で固まる。ヨハンナは咄嗟に両手を広げ、守るようにエレオノーラの前に出た。
それとほぼ同時に、一人の近衛騎士がレオンハルトの前に飛び出した。
「ルーカスっ」
「前方!」
ルーカスがレオンハルトを庇いながら大声で叫んだ。
「不審者! 王族席入口付近に一人っ!」
全員が咄嗟に前を見る。そこでは、既に数人の近衛が王太子夫妻を守るように囲んでいた。王太子の前には、使用人の制服を着た男が立っている。男は忌々しそうにルーカスを睨みつけると身を翻した。
「チッ」
男が舌打ちをして、前方の扉から逃げ出す。が、すぐに騎士たちがその後を追いかけた。
王太子夫妻の無事に安堵したレオンハルトは、こちらに歩み寄る青年のことを思い出した。レオンハルトが慌てて振り返ると、青年がポケットから何かを取り出しながらエレオノーラに向かっているところだった。
「ルーカスっ!」
レオンハルトは叫んだ。ルーカスは小さく頷くと、青年とエレオノーラの前に躍り出た。
青年とルーカスは、既に手が届く距離。周囲からは悲鳴が上がった。
エレオノーラの前に出たルーカスは、ひらりと体の向きを変えると素早く跪いた。そして、エレオノーラを庇うように立っている侍女に向かって、リングケースを掲げてニコリと笑った。
「結婚しよう! ヨハンナ」
周囲が静まり返る。
レオンハルトには、ルーカスがまるでプロポーズをしているように見えた。……プロポーズ? ハッと我に返ったレオンハルトが胃を押さえながら叫んだ。
「ルーカス! 今じゃないっ!」
その隙をついて、青年がレオンハルトの前に立った。レオンハルトが、腰の剣に手を掛けたその瞬間。
青年もレオンハルト……の後ろに向かって跪いた。
「結婚してくれ! クララ!」
まるで音を失ったかのように、会場が沈黙に包まれる。
「……え?」
跪いたままのルーカスが、首だけ動かして青年を見た。
「……え?」
ルーカスの声に驚いたように、青年も首だけで振り返るとルーカスを見た。
「え?」
会場の誰かが呟いた。そして、会場にレオンハルトの叫び声が響いた。
「誰だか知らんが……お前も今じゃないっ!」




