ヨハンナと二人の不審者
「許すまじ。消しておけばよかった」
控え室まで小走りに向かうヨハンナの、呟きというには大きな声にすれ違った使用人や侍女たちはギョッとした。
先ほどのレオンハルトと男爵令嬢のダンスを眺めるエレオノーラの後ろ姿。それを凝視していたヨハンナは、エレオノーラの心境を考えると奥歯が砕けそうなほどに歯を食いしばった。
ダンスが終わった瞬間、ヨハンナは走った。
このままでは、お嬢様はきっと泣いてしまう……侯爵令嬢として今日まで精一杯生きてきたエレオノーラに、人前でそんな醜態をさらさせたくない。
ヨハンナは不測の事態に備えて、エレオノーラに被せるストールを取りに控え室へと向かったのだ。
夜会が始まるとお付きの侍女たちは、会場入口で控えるか、控え室で待機するかのどちらかである。控え室に進むに連れて、段々使用人や侍女たちともすれ違わなくなった。
この先にローゼンベルク家の控え室がある……気が緩んだ瞬間、ヨハンナの目に部屋を覗き込もうとする男の姿が映った。
ヨハンナは咄嗟に身を隠そうと辺りを見る。が、長い廊下しかないこの場所に、隠れられるような場所などない。
男はあちらを覗き、こちらを覗き、手当たり次第に控え室の扉を開けようとしていた。
が、こちらに気がついたようで、ヨハンナに気づくと固まった。
ヨハンナは覚悟を決めた。
「何をお探しで」
冷静なヨハンナの声に、男は黙ったままだった。ヨハンナも相手の動きが読めないうちは、安易に動けない。二人はしばらく睨み合った。
均衡を破ったのは、男の方だった。
「あ」
男が間抜けな声を上げる。ヨハンナは眉間に皺を寄せた。
「あなたは、ペティナイフの侍女……」
男の言葉で、ヨハンナは男が夕方出会った御者だと思い出した。
「ああ、あの時の」
男の表情が緩んだ。確か男は、ヘルマン子爵家の御者だったはず……ヨハンナの緊張も少しだけ解ける。
「あの時は助かりました。急いでいたばかりに、お礼も言えず……」
「いえいえ。無事、間に合われたようで安心しました。ヘルマン子爵家とは浅からぬご縁、お力になれて光栄です」
ヨハンナはニッコリと笑みを浮かべた。しかし、鋭い目つきで男に質問した。
「ところで、御者は立ち入れないこの場所で、一体何をされているのでしょうか」
男の顔が一瞬で強ばる。
その表情を見た瞬間、ヨハンナはためらわずに大きな声を上げた。
「誰かっ! 不審者です!」
廊下の向こう側から足音が聞こえる。男は何か言いたそうにしていたが、踵を返すと足音とは反対の方向に走り去った。
ヨハンナは一瞬、男を追いかけようとスカートをたくし上げた。しかし、すぐにエレオノーラの顔を思い出す。ヨハンナが今やるべきことは、不審者を捕まえることではない。
ヨハンナが葛藤していると、一人の近衛騎士が走り寄って来た。
「不審者はどこに……って、ヨハンナ?!」
近衛騎士は一瞬オレンジの瞳を見開いて、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「……ルーカス」
ヨハンナは場違いなルーカスの笑顔に呆れたが、すぐに今までの状況を早口で説明した。
そんなヨハンナを見て、ルーカスは嬉しそうに笑っているだけだった。
「早くあいつを捕まえて! エレオノーラお嬢様にもしものことがあったらどうするの?!」
さすがのルーカスも、ヨハンナの叫びに我に返った。深刻な顔になるルーカスを見て、ヨハンナはすぐに不審者を追いかけるものだと思った。
「んー、今がチャンスか? しかし、殿下の合図がまだだからなぁ」
何やらブツブツと言っているルーカスに、ヨハンナはいよいよ堪忍袋の緒が切れそうになる。そんなヨハンナの表情を見て、さすがのルーカスもまずいと感じたようだ。
「わかった! じゃあ、行ってらっしゃいのキ……」
「誰かー!」
ルーカスの言葉を最後まで聞くことなく、ヨハンナがさっきよりも大きい声を出した。
よほど大きかったのだろう、今度はすぐさま、五人の騎士が走って来た。
「どうされましたか……って、え?」
騎士の一人がルーカスを見て困惑する。
「不審者です。この人も」
「俺もっ?!」
騎士たちは困惑しつつも、すぐにルーカスを引きずってどこか連れ去った。
「ね、冗談だよね? ヨハンナー!」
ルーカスの叫び声が遠ざかっていく。
ヨハンナはやっと控え室へと入った。そして、ストールを手にしながら呟いた。
「不審者が多すぎる……」




