登城の馬車(ローゼンベルク侯爵家)
侯爵家の馬車の中。目を閉じて動かないエレオノーラを、ヨハンナは向かいの座席からじっと見つめていた。
お嬢様はきっと眠っていない。平穏を装っているのか、それとも不安に抗っているのか。どちらにせよ、ヨハンナにはその姿が痛々しく見えた。
車窓からは王宮が小さく見える。王宮を睨みながら、ヨハンナは先ほどの出来事を思い返していた。
昼食後から始めたエレオノーラの支度は、短時間で終わった。もともと、飾らなくても綺麗なお嬢様だ。いつもより力を入れたとて、時間はさほどかからない。
エレオノーラから休憩をもらったヨハンナは、すっかり人気のなくなった厨房にそっと忍び込んだ。辺りを見渡し、誰もいないことを確認したヨハンナは、刃物類が収納されている扉に近づいた。
「……読まれていたか」
鍵など付いていないはずの扉が、開かないよう取っ手同士チェーンで結ばれていた。さらには南京錠まで掛けられている。試しに手当たり次第に棚を開いてみる。しかし、どこにも刃物はない。
ヨハンナは少し考えた末、踵を返すと侍女控え室へと向かった。ここにも誰もいない。ヨハンナは小さなテーブルの上にお目当ての物を見つけた。
それは、休憩中に食べる果物を剥くためのペティナイフだった。
ヨハンナは鞘に収まったナイフをスカートのポケットに入れると、今度は厩舎に向かい、急用だと嘘をついて厩舎長から馬を一頭借りた。
馬に跨がった時には、ヨハンナの心は決まっていた。後は目的地に向かうのみ……ヨハンナは馬の腹を軽く蹴ると、鐙に立ち前傾姿勢をとった。
男爵家まであと半分ほどのところまで来た時、ヨハンナは一台の馬車が立ち往生しているのを見つけた。無視しようとも思ったが、馬車に印された家紋を見た途端、忠実な侍女として動くことが最優先となった。
「どうされましたか?」
馬から下りた侍女に話し掛けられ、御者らしき男性は一瞬驚いた顔をした。ヨハンナと同じ年頃だろうか。
「車輪に蔦が絡まったようで。夜会に遅れてはいけないので困っていました」
軽微な故障なら対応できる道具を積んでいるはずなんですが、と男性は困ったように言った。
子爵家には年頃の令嬢がいる。きっと夜会に向かうため、この馬車に乗っているのだろう。ヨハンナは令嬢を安心させるために馬車の外から声を掛けると、スカートからペティナイフを取り出した。
男性が息をのんだようだ。ヨハンナは蔦を切り落としながら説明した。
「軽微な不具合に対応するための道具です。お気になさらず」
「はあ……」
男性はどこか納得していない様子だが、ヨハンナは気にしない。
「不自然に絡まっていますね、蔦」
「……やはり不自然ですね」
故意だろうな、とヨハンナは思ったが、よそ様の事情に口を挟むのもよろしくない。男性も心当りがあるのか、黙って考え込んでしまった。
しばらくの格闘の末、蔦はすべて取り除くことができた。
ヨハンナはナイフを仕舞うと、馬車の中に声を掛ける。眠ってしまっているのか、反応はない。大した度胸だとヨハンナは感心した。
「では、私はこれで」
ヨハンナがヒョイッと馬に跨がった。御者はヨハンナの勤め先を聞こうとしたが、結局何も聞かずに馬車を走らせた。
馬車とヨハンナの乗った馬は、反対方向へと向かう。
御者席では、ヤーコプが先ほどの侍女を思い出していた。その背中には嫌な汗が流れる。
仕立ての良い侍女服に身を包み、立ち居振る舞いやクララへの気遣いからして、爵位の高い屋敷で教育された侍女なのだろう。
だからこそ、ポケットから取り出したペティナイフに違和感を覚えた。なぜ普通の侍女がナイフなど持っているのか……。
もしかすると、侍女を名乗る破落戸か何かではないだろうか。そう考えるとしっくりくる。
ヤーコプは侍女の勤め先も聞かず、すぐさま立ち去った自分の判断が正しいと確信した。
一方、肝心の男爵家が留守なのを確認したヨハンナは、すぐにローゼンベルク侯爵家に戻った。そこでヨハンナを待っていたのは、鬼の形相をした料理長と執事だった。




