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幕間 ミオとリリア2

 修道院の最下層。

 厳重にロックされた隔離隔壁に再びミオは訪れていた。


「……はあ」


 病室のベッドの上で、両目を包帯で覆われたヒルデガルドは、

 静かに傍らの気配に向けて口を開いた。


「……随分と、重たいため息だこと」


 ベッドの脇の椅子に腰かけたミオは、項垂れるように肩を落とした。

 いつもの太陽のような活気は鳴りを潜め、

 その背中はひどく小さく丸まっている。


「私、何がいけないのかな……。リリアに、嫌われてるのかも」


 ポツリとこぼれ出たのは、ミオの弱音。


「ミオらしくないわね。何を悩んでるの?」


 ミオは俯くと、これまでの経緯を話した。

 そして、今の自分の想いを語り始めた。


「私、ここに来て、皆が優しい笑顔を向けてくれたのが嬉しかった。

 ここにいてもいいんだって思えた。

 だから、リリアにも、そう思ってほしくて……」


「……うん、そうね。ミオは優しい子だものね」


 ヒルデガルドはミオに優しく微笑みながらそう答える。


「リリア様とミオは確かにとても似た過去を経験してる。

 でもね、ミオが感じた事を他の人もそう感じるとは限らない。

 皆それぞれ感じ方は違う。それが人間だもの。」

 

 ヒルデガルドはそう言って、ミオの頭を優しく撫でた。


「うん、そうなのかもって今ならちょっとだけ思う。

 でも、だとしたら、私どうすればいいか分からないよ……」


 自分もエヴァやヒルデガルドのように、

 誰かの心に光を灯すことができるかもしれないことが嬉しかった。

 けれど、それが今のミオにはとても難しいことのように思えていた。

 ヒルデガルドはそんなミオの気持ちを察したように、静かに口を開く。


「ミオ、自信を持って。オフィーリア様の幻視は絶対。

 彼女の心に光を灯せるのは、あなたしかいない」


「でも、ごめん……やっぱり自信がないよ」


 語るうちにミオの中の感情が昂っていく。

 ミオは今にも泣きだしそうな声色に変わっていた。

 ヒルデガルドは咎めるでもなく、静かな声で語り掛ける。


「これは私の推測に過ぎないけれど……」


「……もし、今のあなたが彼女に拒絶されているのだとしたら、

 あなたはまだ『本当のミオ』を見せていないのでは?」


「本当の、私……?」


 その言葉に、ミオはギュッと膝の上のスカートを握りしめた。


「そんなことないよ。私は……ちゃんと見せてるよ?

 今日だって目一杯明るい笑顔で……

 今の私にできる精一杯のことはしてるはず……」


 ミオの言葉に、ヒルデガルドは静かに首を横に振る。


「他の孤児達と同じように振る舞う必要はないの。

 リリア様と同じ思いを抱えていたあなただからこそ、

 あなたにしか見せられないものがあるはずよ?」


「そんなの……」


 そんなのないよ、と言いかけたミオの口が止まる。

 きっと、いつかは向き合わなければならないことだと、

 どこかでわかっていたのかもしれない。


「誰も望んでないよ……本当の私なんて……」


 俯いた彼女の口から、今まで誰にも見せなかった、

 ひどく脆い感情が溢れ出す。


「……私の本当の姿なんて、何の価値もないんだよ」


 沈黙が流れる。

 ヒルデガルドは何も言わずにミオの次の言葉を静かに待った。


「私はただ……いつも、頭の中で響く声に怯えて、

 私を気味悪がるお母さんに怯えて……世界中が怖かった。

 自分の居場所なんて、どこにもないって思ってる、ただの臆病者なの……

 そんな本当の私は誰も必要としてくれないよ……」


 修道院ここに来て、エヴァに拾われて、

 自分の力は呪いではなく「誰かの役に立つ」物なのだと知った。

 大好きな仲間ができた。

 けれど。


「本当は、今だって怖いんだ。……ずっと、不安なの」


 ミオの表情からいつもの明るい笑顔は消え失せていた。


「もし私が失敗したら、どうしよう。

 能力が役に立たなくなったら、どうしよう。

 ……エヴァに見捨てられるかもしれない。

 エリザ姉にアリサ姉にも愛想を尽かされるかもしれない。

 ……そんな『役立たずで臆病な私』を曝け出したら、

 みんな、私のこと好きでいてくれなくなるんじゃないかって……」


「だから、笑うの。

 せめて、誰よりも明るい太陽みたいな私でいようって」


 それが、ミオが過去のトラウマから自分を守るために作り上げた”鎧”だった。


「いつも明るく振る舞って……役に立つ自分でいようとするのって、

 ダメなのかな……?」


 震える声で問うミオに、ヒルデガルドは包帯越しの顔を優しく向けた。


「ダメなんかじゃないわ。

 それは、あなたが生き抜くために自分自身で身につけた、立派な強さ。

 私が初めて会った時と比べて、ミオは驚くほど成長したのね」


 包帯に覆われたヒルデガルドの手が、手探りでミオの頭をそっと撫でた。


「でもね、きっと今の辛さは、

 もう一段階成長する時が来てるってサインかもしれないわ」


「成長……今より?……できるかな、私に……」


 ミオは不安そうに涙ぐんだ瞳で首を傾げる。


「うん、ミオならできると私は思う。

 だから、私の考えを少しだけ聞いてくれる?」


「……うん」


 ミオのか細い返事に、ヒルデガルドは優しい声で続ける。


「ミオが身に着けたその強さは、時には人を遠ざけてしまうこともある。

 心が凍え切ってしまった人にとって、あなたの立派な防具は冷たすぎるの」


「……笑顔が、冷たく感じるってこと?」


「そうね、例えるなら鎧を着込んだまま抱きしめても、

 凍えきった誰かを温めることはできないもの。

 相手の心に触れたいなら、時には傷つく覚悟で、

 鎧を脱がなければ暖かさは伝わらないと思わない?」


「そう言われてみれば、分かる気がする。けど……」


「……怖い?」


「うん……」


「ミオは嫌われたら、愛想を尽かされたら、って言ってたわよね?

 でも、考えてみて。貴方の傍にいる人達はそんな心の狭い人?」


「そんなこと……思ってないよ!ただ、私が臆病なだけで……」


「『相手を信じる』ことも必要なのよ?」


「相手を、信じる……」


 その言葉が、足りていなかったピースとなって、

 すとんとミオの胸の奥に嵌った。

 

「そう……だね。

 勝手に嫌われるって思って、それで取り繕って……

 皆は口も利けない私にも、ずっと優しかったのに……

 そんな皆を私は信じられてなかったんだ……」


 ミオは瞼を袖でごしごしと拭うと、赤くなった目でしっかりと頷いた。


「……うん。私、もう一回リリアと向き合ってみる」


 扉の外。

 最近元気がないミオを心配して、

 様子を見に来ていたエヴァンジェリンとエリザ。

 二人は顔を見合わせ、小さく頷くと、そっとその場を離れていく。


「ミオ……そんなこと考えていたんですね……全然気づいてあげられなかった」


 エリザがそう呟きながら、悔しそうに唇を噛む。


「そうだね、私もさ。

 初めて神殿に連れて行った時に、

 あの子は本音を見せてくれてたってのに……」

 

 エヴァンジェリンの脳裏にその時のミオの言葉が蘇る。


『役に立てないほうが……いらないって言われるほうが……もっと怖いもん』


 そう言って涙を浮かべていた6歳の頃のミオの姿。

 それから必死に役に立とうと今まで見えないところで、

 歯を食いしばる代わりに笑顔を作って耐えてきたのだろう。

 


「後悔しても仕方ない! 

 あの子ならきっと答えを見つけてくれるさ。支えてやろう。皆で」


「はい!!」


 エリザとエヴァンジェリンは再び顔を見合わせると力強く頷くのだった。


 そして迎えた後日。


 リリアの部屋の前。

 ミオは扉のノブに手をかけたまま、深く、深く深呼吸をした。


(大丈夫、大丈夫、大丈夫……)


 いつものように、バンッ! と勢いよく開けたりはしない。

 笑顔の鎧を脱ぎ捨て、飾らない等身大の自分として、静かにノブを回す。


 ――カチャリ


 扉が開く音に、ベッドの上にいたリリアがビクッと肩を震わせた。

 リリアが身構え、ギュッとシーツを握りしめた、その時。


「……」


 部屋に入ってきたミオは、いつものように大声を出すことも、

 満面の笑みを浮かべることもなかった。

 どこか他人行儀で、少しだけ居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。

 その姿は、まるで叱られるのを待っている子供のようだった。


 ミオはベッドから少し離れた椅子にちょこんと座ると、

 自分の膝の上でモジモジと指を絡ませた。

 そして、ひどく心細そうな、今にも消え入ってしまいそうな声で、

 ポツリとこぼした。


「……あのね。リリアは、私のこと……嫌い?」


 勇気を振り絞って口にした、ミオの震える本音。

 それは、リリアが今まで見てきた彼女とはまるで違う、

 一人の不器用で臆病な女の子の姿だった。


 部屋は静まり返っていた。リリアはベッドの隅でシーツを被ったまま、

 その隙間から様子が変わったミオをじっと観察している。

 紫紺の瞳に浮かんでいるのは、明らかな警戒の色だ。


 (何?……攻め方を変えたの?)


 大人たちの嘘を見てきた彼女らしい、そんな欺瞞を疑う冷たい視線。


 その視線を受け止めながら、ミオはおずおずと口を開く。


「私さ、今までリリアの気持ちをちゃんと考えてなかったかもって。それで……」


 ミオはもじもじと膝の上で指を絡ませながら続ける。


「ちゃんと、向き合いたくて……。私のことを……リリアに知ってもらいたい!」


 少しだけ声が大きくなってしまったミオに、リリアがビクッと肩を震わせる。


「あ、ごめん……! 怒ってるわけじゃなくて。その……私ね」

 

 ミオは一度言葉を区切り、深く息を吸い込んだ。


「私ね、親に捨てられたの」


 シーツを握るリリアの細い指が、きゅっと白くなるほど強く握り込まれた。


「小さい頃から頭の中でずっと声が聞こえてたんだ。

 四六時中、鳴りやまない囁く声。

 お母さんの声も、自分の声も何も聞こえなくなるくらい煩くて。

 だから……いつのまにか言葉も話せなくなって、ずっと頭を抱えて、震えてた。

 お母さんは、いつの日か、そんな私を気味悪がって遠ざけるようになった」


 気づけば、リリアの目が、シーツの隙間からミオを真っ直ぐに見つめていた。

 自分と同じように、頭の中に響く「異常な何か」に苦しめられていた存在。

 今まで誰一人として理解してくれなかった痛みを語るミオを、

 リリアは瞬きもせずに見据えている。


 ミオは、少しだけリリアに視線を向けたが、

 またすぐに自分の膝を見つめたまま続ける。


「お母さんはね、結局、私を修道院に預けることを決めたんだ」


 ミオの瞳から、ポタッと大粒の涙がスカートの裾に落ちた。

 長い間、胸の奥にしまい込んでいた痛みと初めて向き合っていた。


「あれ?ごめん、泣くつもりじゃなかったのに……」

 

 思いがけない涙につい取り繕ったいつも笑顔を浮かべてしまう。

 でも、彼女はそれ以上はいつものように誤魔化して笑ったりはしなかった。

 そんなミオの姿を、リリアはただ静かに見つめている。

 ミオはリリアに初めて現れた変化にも気づかず、

 ただ、等身大の弱さを曝け出して、言葉を紡ぐ。


「エヴァに拾われて、ここに来てからもね……本当は、ずっと怖かったんだ。

 いつかまた『気味が悪い』って、捨てられちゃうんじゃないかって。

 ……だから、必死に笑ってたの。

元気で、明るくて、誰かの役に立つ子でいれば、

 みんな私を好きでいてくれる。ここに居てもいいよって、

言ってくれるって思ったから」



「……私の笑った顔、きっと、うるさかったよね。

 本当は……ずっと心から笑えてなかったのかもしれない。

 だから……リリアを、怖がらせちゃったんだと思う。

 今までごめんね……」


 ミオはそう言って頭を深々と下げる。

 そしてこう続けた。


「けどね、こうも思うんだ。

 それに気づけたのはリリアのおかげだって」


 ミオは、ぎゅっと自分の胸に両手を当てた。


「ありがとう。リリア」


 ミオはゆっくりと顔を上げる。

 涙で滲んだ瞳。

 しかしその表情には今まで見たこともないような優しい笑みが浮かんでいた。

 あの液槽の外から向けられた、恍惚とした笑み。

 それとはまるで逆の、慈愛に満ちた笑みだった。


 リリアの中に複雑な感情が浮かぶ。

 もう誰かに裏切られるのは嫌、だから疑わなければ。

 けれど、直感が彼女を信じたがっている。

 リリアはふと思う。

 きっと今すごくみっともない顔をしている。

 

「うぅ……」


 バサッ。


 リリアはシーツを掴むと頭から被り潜りこんだ。

 今、目の前の少女に顔を見られるのが躊躇われたのだ。

 何故だか頬が熱い。


 声を発したい衝動を必死に堪えながら、シーツの中で悶えていた。


「……」


 ミオはシーツに隠れてしまったリリアを、悲しそうに見つめている。

 そんなミオを僅かに開いたドア越しに見ている人影。

 エリザが見ていられないといった様子で顔を覆う。


「やっぱり駄目か……」


 エヴァンジェリンが苦渋を浮かべ、小さくそう呟いた時。


「まだだよ……諦めたらそこで終わりなんだから!」


 なぜか瞳を輝かせたアリサがエヴァンジェリンの背後から、

 ひょこっと覗き込んでいた。


「アリサ……いつの間に?」


小声でエリザがアリサに話しかける。


「え?あ、えっと……ほら、リリア様、ちょっといつもと違うんだってば」


「そう……?」


 言われてエヴァとエリザが覗き込んだが見えるのは、

 シーツに包まれたリリアの姿だけ。



 外のやり取りなど、ミオは知る由もない。

 しばらくして、ミオは取り繕うようにシーツの中のリリアに声をかけた。


「ごめんね……やっぱり迷惑だよね」


 シーツの塊がビクっと震えた。

 それを見たミオは、またリリアを怯えさせたのだと思い込んだ。

 静かに立ち上がり、扉へと向き直る。


「やばっ」


 アリサが慌てて隠れる。

 エヴァンジェリンとエリザも身を隠そうと慌てて扉から離れようとしている。

 ミオが扉のノブに手をかけようとした、その時。


「ま……待って」


 シーツの中から、か細い声が聞こえた。


「さっきの笑顔は……その……」


 声。

 初めて聞くその声にミオは顔を上げ振り返る。


「悪くない……と思う」


 ようやく聞き取れるほどの小さな声。

 だが、ミオにははっきりとそう聞こえていた。

 シーツの塊はさらに小さく縮こまってしまっていた。


「今日はもういいでしょ……早く行って」


 ミオは、もぞもぞと動くシーツの塊を呆然と見つめる。


「……」


 シーツの中から声はもう返って来なかった。

 けれど、ミオはじわじわと湧き上がる喜びを嚙みしめた。

 初めて聞いたリリアの澄んだ声は天使のように聞こえた。


(今日は……って言った?そっか……それって……)


 ミオはやがて満面の、だがいつものとは違った笑みを浮かべる。


「また、来るね!」


 部屋を後にしたミオの背中を、エリザとアリサが抱きしめる。


「エリザ姉、アリサ姉!」


 驚くミオを、二人はぎゅっと抱きしめる。

 姉達の腕の温度は、いつもと同じはずだった。

 けれど今日は、その温度が、ずっと深いところまで届いた気がした。




 ミオの気配がゆっくりと遠ざかっていく。


 部屋に静寂が戻った後。

 シーツの山が、もぞ、と小さく動いた。

 シーツから顔を覗かせたリリアは、ミオが座っていた椅子を見つめた。


「少しくらいなら……いいよね」


 リリアは呟くと、ベッドから距離の離れた椅子を、

 ほんの少しだけ引き寄せるのだった。



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