幕間 砂漠の聖女3
砂の混じった乾いた空気が漂う大砂漠の南端の夜空。
1機の黒いステルス輸送機が誰に気づかれることもなく進んでいた。
微かに振動する薄暗いカーゴルームの中で、
第9の門「イェソド」サブマスター・ヒルデガルドは静かに目を閉じていた。
耳を澄ませば、輸送機の駆動音に混じって、
数日前に聞いたイェソド門主・オフィーリアの沈痛な声が蘇ってくる。
『残念ながら――間に合いませんでした。
長年探してきた”全知の巫女”。
ようやくサリアの貴族邸にいると突き止めたというのに……』
未来を見通す”幻視”の能力を持つオフィーリアは、
イェソドの精鋭エージェントをアッザリア連邦の深部へ送り込んだ。
予見によって事の顛末を把握していたエージェントは、
リリアがすでに高熱に犯されていることを知り、
この任務にあまり時間が残されていないことを焦った。
オフィーリアの指示を待たず、独断で異教の神父に偽装し、
リリアの両親に接触を試みた。
間もなくこの家に『原罪の烙印』が顕現すること。
そうなれば国家は掌を返し、娘は恐ろしい実験の果てに自我を失うこと。
だから、今すぐ国を捨ててイギリスへ逃げてほしいと。
だが、結果は無惨なものだった。
由緒正しき貴族の矜持と、アッザリアという国家への絶対的な信頼が、
異教の神父の警告を「狂人の戯言」として弾き返したのだ。
『彼は強行手段に出ることも考えました。
ですが、敵の心臓部で上級貴族の娘を攫えば、即座に軍が動き、
リリア様もろとも全滅していたでしょう。
……血を吐くような思いで撤退を決意しました。
その直後に……アッシャーの光輪が動いたのです』
『悔やまれてなりません。
私の予見があと少し早ければ保護できたかもしれないというのに……』
普段感情の見えないオフィーリアの表情に焦燥が垣間見えた。
自身の力の及ばなさから幼い少女が今もアッザリアの、
最も深く冷たい地獄の底に繋がれている。
一刻も早く救い出したい。
慙愧に堪えない思いと、一人の少女の安否を気遣う気持ちが、
彼女の表情を曇らせていた。
(……全知の巫女。レイブンスウッドの……世界の希望となる人。
必ず救い出して見せる)
ヒルデガルドは、漆黒のボディースーツ越しに自身の両腕を強く抱きしめた。
この作戦は、単なる任務ではない。
レイブンスウッドが長い年月を掛けた探し求めた、世界を、人を救う為の鍵。
いかなる犠牲を払ってでも、あの少女を救わなければならない。
「間もなくサムラト台地。アッザリア連邦空域に入ります」
パイロットからのアナウンスが、薄暗いカーゴルームに響く。
そこには、シグネチャーズ専用のドローンが7台、所狭しと並んでいる。
その傍ら、漆黒のボディースーツに身を包んだ7つの人影があった。
張り詰めた空気の中、長い金髪を後ろで一つに束ねる青年――
第6の門「ティファレト」の門主、レグルス・アウレリウスが静かに口を開く。
「……アラステア様の合図と同時に降下する。
各自、手順の最終確認を」
「了解」
短く答えたのは、巨岩のような男、ガレス。
その隣で二丁のハンドガンを整備している優男、パーシヴァルが軽口を叩く。
「へいへい。しかし、あの”グランドマスター”を攻城兵器代わりに使うたぁ……
全知の巫女ってのはそれほど重要なんですかね」
呆れ半分、畏怖半分といった様子で肩をすくめる。
「だいたい、総大将ってのは後ろで踏ん反り返ってるもんでしょうに。
俺たちのボスは規格外すぎて、護衛のオレ達が商売あがったりですよ」
「無駄口を叩くな、パーシヴァル。あの方は『個』にして『軍』。
我々は我々の仕事をするだけだ」
レグルスがたしなめる横で、まだあどけなさの残る少年ルカが、
緊張で指を小刻みに震わせていた。
「……大丈夫、大丈夫……。シミュレーション通りにいけば……」
「ルカ! ビビってんじゃないの。
私の火球で全部燃やしてあげるから!」
強気な少女クロエがルカの背中をバシッと叩く。
その光景を見つめながら、ヒルデガルドは静かな決意を確かめ、
小さく息を吐いた。
「……もうすぐよ。そろそろ地上が騒がしくなる」
――同時刻。
アッザリア連邦、サムラト台地の北。
アッザリア軍が厳重に警備する軍事施設、第零区の正門ゲート。
「おい、ありゃあ、何だ?」
監視塔の兵士が双眼鏡を覗き込む。
砂塵の向こうから現れたのは、装甲車でも戦車でもなかった。
一頭のラクダと、その手綱を引く現地民のガイド。
そしてラクダの背に揺られる、黒いフードを目深に被った一人の老人。
「……こんなところに観光客か? ここが軍事施設だと知らないのか?」
「追い払え。従わなければ射殺しろ」
警告射撃が乾いた砂を巻き上げる。
ガイドが悲鳴を上げて逃げ出す。
だが、老人はその場でゆったりとタバコをふかし、紫煙を夜風に溶かした。
フードの奥の老人の顔を、雲間から現れた月の明かりが照らし出す。
深く刻まれた皺と古傷。猛禽のような鋭い眼光。
左目の深い傷はすでに光が失われて長い時間が経ったことを物語っていた。
老人は片手に持った盃に並々と酒を継ぎ足した。
盃の酒に映りこんだ月を老人は見つめ掲げる。
「栄華を誇った幻の都ニスタール……今はその欠片も残らぬか」
そう言って老人はその酒を飲み干すと再びタバコを深く吸い込む。
「……聖都の再臨を謳うには、些か硝煙の匂いが強すぎるな」
老人は空になった盃をひっくり返し水気を切る。
「ありゃあ……頭がいかれてるぜ。一杯引っ掛けはじめたぞ?」
「もう少し脅してやるか……」
双眼鏡を覗き込んだ兵士が呆れたように零した。
すると、もう一人の兵士が銃を構え、照準を合わせて引き金を引いた。
無数の銃弾が老人の足元から砂を跳ね上げながら迫る。
あっという間に激しい発砲音と猛烈な砂塵が彼らを飲み込んだ。
だが、砂塵が晴れた後も、
そこには変わらず空の盃を掲げる老人とラクダが佇んでいた。
不思議なことに、酒の残り香が漂う盃には砂の一粒も入り込んではいない。
よく見れば、巻き上がる砂塵が老人とラクダの周囲だけを、
不自然に避けて流れていた。
「栄枯は移る……世の姿……か」
第0の門「ダアト」のマスター、アラステア・ヴォーン。
サーチライトに照らされた堅牢な軍事施設を、
まるで『既に朽ち果てた廃墟』でも見るような、哀愁を帯びた瞳で見上げた。
「興り廃れる定めは必定とはいえ……それが今とは露とも思わぬか」
アラステアが虚空に向けて、静かに指を弾く。
瞬間。
夜空を覆っていた分厚い暗雲が、内側から異様な形に膨れ上がった。
『……な、なんだあれは……?』
雲海を押し退け、ゆっくりと、
しかし絶対的な質量を持って「何か」が降りてくる。
星明かりを遮るほどの巨大な影。
空そのものが落ちてくるような根源的な恐怖。
兵士たちは銃を構えることすら忘れ、ただ呆然と天を仰いだ。
ズ、ズズ……と空間を軋ませながら姿を現したのは、巨大な黒い円柱。
それが臨界点を越え、自由落下を始めた刹那。
地殻そのものが悲鳴を上げるような轟音と共に、
軍の正門ゲートが蟻のごとく圧し潰された。
凄まじい衝撃波が円形に広がり、重装甲の戦車が枯れ葉のように宙を舞う。
阿鼻叫喚の無線が飛び交う中、濛々と立ち込める砂煙の中に聳え立つのは、
巨大な黒い墓標。その傍らをアラステアが悠然と歩み出る。
だが、その静寂な歩みを阻むように、
周囲の空気が突如として異常な帯電を始めた。
――バチッ、バチバチッ……!
オゾン臭が鼻をつき、空中に青白い稲妻が網の目のように奔る。
アラステアの足元の砂が、
異常な高熱と圧力によって瞬時に青い結晶へと変異していく。
異様な気配に、アラステアが足を止めた。
「何かと思えば……噂に聞くダアトの番人か。随分と派手な『ノック』だな……」
異常な雷光と結晶の嵐の中心。爆心地で袖の埃を払う男がいた。
黒字に金糸の刺繍が施された軍服に翻る外套。
短い金髪に青い瞳の屈強な体躯。
アッザリア軍事顧問、第3座『蒼耀卿』リチャード・クレア。
彼の周囲には、”異相”から瞬時に精製された、
巨大なサファイアの結晶刃が、青い雷を纏いながら殺意を持って浮遊している。
落下した巨大な黒い円柱は青い稲光に包まれ、熱崩壊するように霧散していく。
「ここから先は通さんよ、古き亡霊」
リチャードの言葉に、アラステアは深く被ったカウル(頭巾)を少しだけ上げ、
隻眼を細めた。
「……亡霊、か。言い得て妙だな。
なにせ私は、とうの昔に『深淵』の底に半身を置いてきた身だ」
アラステアの言葉に呼応するように、周囲の空気が静かに吸い寄せられていく。
そのただならぬ重圧に、リチャードの眉が微かに動く。
「……深淵を知らぬ雛鳥が、私の道を塞げるとでも?」
アラステアの背後で重力が唸りを上げ、
空間を歪ませ漆黒の口をゆっくりと開く。
サファイアの刃が雷鳴と共に煌めき放電を巻き散らし砂を溶かしていく。
地上で規格外の怪物同士が激突した、その頃。
アラステアの揚げた狼煙を確認したヒルデガルド達。
「今だ! 降下!!」
レグルスの号令と共に、輸送機の後部ハッチが重々しい音を立てて開く。
鼓膜を打つ強風と肌を刺す砂漠の夜の冷気。
漆黒のボディースーツを纏った7つの影が、
次々とドローンのハンガーグリップを掴む。
彼等は躊躇うことなく夜闇の空へと身を投じた。
眼下に広がるのはアラステアの重爆撃によって、
防衛網が完全に崩壊した軍事施設。
そこから少し離れた奥地に穿たれた、コンクリートの巨大な縦穴。
――『スタティック・ウェル』の開口部だ。
赤い緊急警報のランプが不気味に明滅する円筒形の奈落へと、
彼らは音もなく急降下していく。
スタティック・ウェルの中は、警報音と、兵士たちの怒号で満たされていた。
螺旋状に張り巡らされたキャットウォークを駆け回っていた守備隊が、
上空から降ってくる侵入者に気づく。
「上だ! 侵入者降下!」
「撃ち落とせェッ!!」
無数のアサルトライフルの銃口が、落下してくる7つの影へ向けられた。
だが、風圧の中で先頭を落ちていくレグルスの表情に、焦りは微塵もない。
「……私の背を追え。露払いは引き受ける。
ステラ・レギス・イグニッション」
レグルスが腰のレイピア――『ステラ・レギス』を抜き放つ。
彼が柄の機構を弾くと、レイピアの先端が分かれ、異相へのブリッジが開く。
刀身の間から溢れ出した莫大な黄金の粒子。
粒子は空中を漂い再集合し、レグルスの背後に神々しく輝く巨大な『光輪』
を現出させる。
「撃て! 撃ち落とせェッ!!」
兵士たちの放った無数の銃弾が、殺意を伴って下から撃ち上げられる。
しかし、弾丸が彼らに届くより早く、
レグルスの背の光輪が圧倒的な輝きを放った。
「ステラ・レギス、展開しろ」
『了解。星陣、展開します』
ステラ・レギスが機械的な音声で応答すると同時だった。
背後の光輪を形成する粒子が一斉に質量を持った黄金の剣へと物質化し、
流星群となって階下へ降り注ぐ。
悲鳴を上げる間もなかった。
無数の光剣が、銃弾を弾き落とし、兵士たちの武器を、装甲を。
そして身体を、容赦なく床ごと貫いていく。
圧倒的な飽和攻撃。
一瞬にして制圧された静寂の縦穴の中へ、
レグルスはただ一人、悠然と舞い降りた。
ブーツが床を叩く軽い音。
ふわりと舞い降りた彼の周囲には、もはや立っている兵士は一人もいない。
完全なる静寂がそこにあった。
「さすがレグルス様……」
ルカが感嘆の声を漏らしながら、
クロエやガレスたちと共に次々とレグルスの背後へ着地する。
最後にヒルデガルドが静かに降り立ち、
7名の侵入部隊は敵の心臓部・中層エリアへの到達を完了した。
だが、ヒルデガルドは油断なく通路の奥を睨み据えていた。
「……油断しないで。妙な気配がします。先ほどの兵士たちとは違う」




