Hot Hot spring
暫しのうたた寝の後、サンドラに起こされノブ夫妻の待つ食堂へと足を運んだ。テーブルに並べられたご馳走に舌鼓を打ち、話を交えながら明日の朝にはアルメダ諸島から発つ事を伝えた。
会話の弾む楽しい時間が流れ、どれくらいの時間が経っただろうか、並べれていたご馳走は綺麗に無くなり、いつしかローラが食器を片付け始めていた。サンドラに至ってはいつの間にか隣の席でコクリコクリと眠そうに頭を揺らしている。貴族の娘としてここで寝てしまうのは問題ないのだろうか?そんな事を横目で見ていると、徐にノブが口を開いた。
「どうでしたかな?わしの料理は」
「気の利いた言葉が出なくて申し訳ないんですけど、本当に美味しかったです。腹にも心にも染みる様な食事でした」
「美味しいと言って貰える。普通の言葉かもしれませんが、料理人としてはその言葉が何よりの喜びですなぁ。ほほ、サンドラちゃんも少し疲れてしまったのか気持ち良さそうにしておる…。この子がまだ小さかった時もここで眠ってはお父上様も困り顔をしていたもんです」
そう言ってノブの皺だらけの顔が破顔する。サンドラを見るノブの目は自分の孫を見ているのと変わらず、きっと昔のサンドラも、今のサンドラの姿もノブやローラにとっても大切な物なんだろう。
そんな風にテーブルに座ってノブとサンドラを見ていたら、食器を片付けていたローラがテーブルに戻って来る。
「あらあら。サンドラちゃんったら。すっかり大人になったと思っていたけれど、うふふ。変わりませんねぇ」
ローラもサンドラを愛おしそうに見つめる。そんなローラを見て、ふとさっきまでの事を思い出し、ある事をお願いをする事にした。
「ノブさん、ローラさん本当にご馳走様でした。先程もお話しましたが、明日の朝の便でここを発ちます。それで申し訳ないのですが、さっきサンドラが用意してくれたお湯が冷めてしまったので、代わりのお湯を用意してもらえないでしょうか?出発前に綺麗に身体を洗っておこうと思いまして」
食事の前にサンドラが、桶にお湯を入れて部屋まで用意してくれていた事を思い出したのだ。俺の言葉にローラはある提案を唱えた。
「あらあら、それでしたらディオさん。傷口が大丈夫でしたら、うちの自慢の露天温泉に入ってくださいな」
「おぉ!そりゃいい!身体が大丈夫なら是非とも入って行ってくだされ。大きな温泉ではありませんが、源泉をふんだんに流していますので、疲労回復は勿論の事、万病に効きますぞ」
「それじゃあ、温泉の方をお借りします」
思ってもいなかった提案に少し驚いたが、素直に享受する事にした。傷口が障ると思って心配してくれているが、今のところ気怠さ以外に、痛みらしい痛みは感じていない。この島の治癒士や医者はとても腕が良いのだろう。
「こんな状況で他のお客様もいませんし、せっかくですので貸し切りで堪能していってください」
「ありがとうございます」
ノブに短く頭を下げると、ローラがどうぞと、手招きをして案内してくれた。食堂から少し歩いた別棟に露天風呂はあった。男湯と女湯が分かれているのは、やすらぎ亭の本館にあるらしく、今いる露天温泉は小さな入り口と囲いに覆われており、大人数では手狭に感じる様に見えた。家族や親しい者向けの温泉なのだろう。
脱衣所で衣服を脱ぎ、タオル片手に浴場へと足を向ける。
「おー…凄い」
確かに広くはないが、丁寧に手入れされた石畳の浴場はぬめりの一つも無い。湯煙が辺りの風景を包む様が、また一層の趣を演出していた。掛かり湯が出来る場所へと移動し、桶に湯を溜めて身体を丁寧に洗っていく。
「うん、傷の痛みもあまり感じない。これなら湯に浸かっても問題ないだろう」
小奇麗にした身体を桶に溜めた湯で洗い流す。さっぱりとしたところで温泉へと向かい、静かに身体を休めた。
「はぁぁぁぁ…最高…」
恍惚の溜息が自然と漏れる。これは思った以上に良い。本当に身体の疲労が吹き飛んでいく様な気がする。掌に湯を溜めてはさらさらと流れてゆく湯を見つめ続ける。
「お湯は貴重だからな。こんなにも贅沢に使えるなんてちょっと驚きだな。しかもこの島なら割とどこでもこんな風に熱い風呂に入れるとか…。ふぁ…」
大陸の方では貴重なお湯を、潤沢に使用出来る環境に五体で舌鼓を打ちながら、当然の様に襲って来る睡魔に徐々に負けそうになる。
「…少しだけならいいだろ」
誰に断る訳でもなく、湯煙の中で一人呟き暫しのうたた寝に興じる事にした。と言うか、この状況で身体も思考も蕩けない奴はいないんじゃないだろうか…。あぁ、とりあえずもう瞼を閉じよう…そうしよう…。
「スー…スー…」
ギィィ…。パタン。
「スー…スー…スー…」
ジャバジャバジャバ…。
ゴシゴシゴシ…。
バシャッ。
「スー…」
ヒタヒタヒタ…。
ちゃぽん。
「スー…スー…」
ピト…。
「スー…スー…」
ペタペタペタ…。
「スー…スー…」
さわりさわりさわり。
「スー…」
「んーー☆」
「おい。さっきから一体何をしている?」
「痛いっ!痛いです!先輩っ!あいたたたっ!」
顔を近づけて来る気配に気付いて、サンドラの両のこめかみを左手で押さえつける。
「あー!痛いです!先輩!と言うかいつから気付いていたんですか?痛たたっ!」
押さえつけていた左手をゆっくりと離し、呆れ顔でサンドラの問いかけに返事をする。
「身体をあれだけ弄られたら嫌でも気づくだろ!お前は一体ここで何をしているんだ!寝てたんじゃないのかよ!?それに…」
話を遮るかの様に、露天温泉に涼しい風が通り抜ける。火照った身体に染みる実に涼しげな風は、辺りに満ちていた湯煙をさっと一掃してくれた。
「あ☆」
「お、お前なぁ…」
湯煙が一瞬とは言え消えて目に飛び込んで来たのは、一糸纏わぬサンドラの裸体だった。
「か、仮にも貴族の娘がなんて格好してるんだ…」
「え?でも温泉では裸で入るのが普通ですし、先輩は服のまま入る習慣でもあるんですか?」
「そんな訳あるか!俺が言いたいのは、湯浴み着の一つくらいなんで着ていないんだと聞いているんだ!サンドラ!お前…お前今何も着てないだろっ!!」
「当然です☆!!」
「なんでそこを自慢げに言うんだよ!」
温泉なのだから裸でいる事自体は当然である。しかし、それはより親しい間柄であればこその理由でもあるのだ。確かにサンドラとはこの数日で以前よりも親しくはなったかもしれないが、だからと言ってこれは飛躍していると思う。ましてや貴族の令嬢、問題だらけである。
「と、とにかく!これはダメだ!!お前が入って来たのなら俺は今すぐ出て行く!」
おもむろに温泉から立ち上がり、出口へと向かう。
「えいっ♪」
「----っっ!?」
だがしかし、サンドラに背を向けた瞬間に、背中からサンドラに抱き着かれてしまった。言うなれば柔らかい何か。こんな柔らかい物を五体で感じる事は未だかつてなかった。その細い両腕を、胸まで回し抱き着くサンドラの絹の様な肌触りが背中から胸へと感じる。背中の感触には柔らかいだけではなく、少しだけ硬さも感じる。
「-------------!!?」
「先輩…。恥ずかしがらずに聞いてください」
サンドラの真剣な口調に少しばかりの落ち着きを取り戻す。それでも身体が火照りきっているのが自分でもわかる。まだ太腿より下は温泉に浸かっている状態だ。身体に籠ってしまった熱は早々に逃げる訳もなかった。
「先輩…本当にありがとう…。私の我が儘で付き合ってくれて…。そのせいで危険な目に合って、いっぱい怪我をして…。私…先輩に何もお返しが出来ません。あなたの優しさに報いる事が出来ません…。だから…今の私に出来るのはこんな事くらいしか…」
か細く、絞り出す様に話すサンドラを遮る様に、身体を捻りサンドラに向き合う。
「それは違うぞ、サンドラ。俺はお前を助けたいと思ったからそうしただけなんだ。確かに最初は有耶無耶に流されてこの島まで来たけれど、お前がノブさんやローラさんを大切にしている事を知った。その心を感じた。だから俺は自分に出来る事をしたんだ。先輩とかそう言うんじゃなくて、戦士としてお前を守ろうと決めたんだ」
「先輩…」
「だからそんな気の使い方をするな。俺はお前がこの先も何かで困ったのならいつだって手助けしてやる。俺がやりたいから手伝うんだ。だからサンドラ、君が誰かの優しさに無理して報いる必要なんてないんだ」
顔を伏せて俺の話に聞き入るサンドラ。両腕を胸の前で握り僅かに震えている様にも見えた。そして握っていた腕を解いて、バシャッと湯をかき分けて、サンドラが胸に飛び込んで来た。
「っっっ!?!?!?」
「先輩って…本当にお人好しですね!本当に…(ダイスキデス)」
「あっ!…あっ!?離れろ…サンドラ…」
正面から抱き着かれた瞬間、思考がぐにゃりと歪む様に、またも頭に血が上る様に身体が火照ってしまう。残った理性を総動員して、出来る限り落ち着いている様に見せながら、サンドラの両肩を優しく掴み身体から引き離す。
「はぁー…こんな美少女のサンドラちゃんを前にして尻込みするなんて…。先輩ったら意気地がないんですね☆」
「そう言うのはいいからっ!!」
「まぁ♬それでも♪先輩もやっぱり男の子と言うか、とても男らしいモノも見せてもらいましたし☆今日はこのくらいで失礼しますね!続きはいつでも待っていますので♡」
それでは。と言ってバシャバシャと温泉から立ち去るサンドラ。石畳をヒタヒタと歩く音が遠ざかり、しばらくすると脱衣所からもその気配も消えた。俺はと言うと、途中サンドラの言葉も耳に入らず、今もなお温泉の中で立ちすくみ身動き一つとれないでいた。
サンドラはただのサンドラだった筈で、特に意識する様な存在でもなかった。しかしこの数日を過ごした事により、親しくはなったとは自分でも思っていたのだが…。自身の下半身に視線を落とす。
『先輩もやっぱり男の子と言うか、とても男らしいモノも見せてもらいましたし☆』
「な、ナニを反応してるんだ俺はぁぁぁぁぁぁ…!!」
サンドラが去り際に残した言葉に激しく動揺してしまう。あぁ…水でも浴びても頭も身体も少し冷やして出よう…。
きっと俺は今この時、この場所で起こっていた出来事を今後自ら誰にも話す事はない。
全てが終わり、虚しさに身を委ね仁王立ちする。
断言する。
絶対に話す事はない。
絶対に話す事も出来ない。
…特にマリーには。
何故かマリーにだけは知られてはいけないと、湯煙の立ち込める中、固く心に誓ったのだった。




