ただいま。
「オディウム…だと?」
『如何にも。ジャックスの体に存在していたもう一人の自分…それが怒り』
灰褐色の肌は妖魔族特有のそれだが、少なくとも終末期の戦争において金色の目を持つ妖魔族にあった事もない。それに皮膚に刻印されているあの紋様。上位妖魔族に刻まれている紋様にも似ているが、確かにジャックスを若くした様な面立ちの男が立っていた。
『ふむ。しかし何も着ていないとなると聊か不躾でもあるな』
そう言って指をパチンと鳴らす。
直後、先程の黒い炎がオディウムを飲み込み、漆黒の装衣に身を包んだ。
『何を呆けた顔をしている。あぁ…状況を理解出来ていないのだな。少しだけ話をしてあげよう。なに、単純な話だ。人の血のジャックス。そして世界から見捨てられ、怒りによって生まれたのが妖魔の血のオディウム。人にも妖魔にもなれなかった者の成れの果て』
「…お前の目的は何だ?」
身体に受けた傷の痛みなど忘れる程の、不気味なプレッシャーを肌で感じてしまう。生粋の妖魔族の戦士の様に好戦的な訳でもなく、怒りから生まれたと言いながらもある種の理知的な物言いに寒気が走る。
『あぁ、それもシンプルに答えよう。人族、妖魔族の世界を終わらせ、来たるべき後に我ら半人妖の『廃棄された不純物』が新たに選ばれた民としてこの地に暮らす事』
100年戦争後からまだ数年。種族間同士での禍根は早々に拭いきれていない現状だ。小規模な争いは未だにベイオールのそこかしらで起こっているし、人間同士の小競り合いも日常茶飯事だろう。長い時を使って、人も妖魔も多くの命を失った。世界が疲弊し停滞したが、それでも人も妖魔もこれからお互いの事を知っていこうとして模索している状態なんだ。それを、
「お前は…またあんな戦争を繰り返そうって言うのかっ!」
『その通り』
「させる訳ないだろ!」
鋳造されし守護の銀剣を構えオディウムに目掛けて斬煌の神突を繰り出す。
『させんよ』
オディウムは両腕を交差させ、力を溜め始める。守護の銀剣の切っ先がもう届くと言うところで、オディウムが開放した魔力の衝撃で弾かれ、吹き飛ばされた。
「…かはっ!」
魔力衝撃で後方へと吹き飛ばされた際、思いきり背中を強打してしまい、声にならない声が漏れてしまう。直ぐに立ち上がり剣を構えるが、火の回りも更に勢いづいている上に、まだ完全に状況を飲み込めている訳でもない。目の前には世界を終わらせると、冗談抜きで当然の様な事だとでも言いたげな新たな妖魔族『廃棄された不純物』と名乗るオディウムの出現。情報量が多くて追いつかない。熱気と焦燥、不安と不穏。そんな感情が身体を巡り汗となって滴り落ちる。
『…頃合いだな』
「何を言っている」
『幕引きと言うやつだよ、戦士。名残惜しいがね。俺も今は目覚めたばかりの産声新しい雛鳥の様なものだ。半身であるジャックスの仇も取ってやりたがったが、それは次の機会までとっておこう』
「随分と勝手な事を言う。今までの話を聞いて、本気で俺が逃がすとでも思っているのか!オディウム!!」
『思うね。全力の力を持った戦士と今戦えばあるいは俺は負けるかもしれないし、確実に勝てるかもしれない。二律背反するかも知れないがどちらにせよ「今」はまだその時ではない。怒りと言う炎は燻り続ける、燃え盛るべきその時まで…では失礼』
そう話し、宙に浮かび黒い炎に飲み込まれるオディウム。
このままでは逃げれてしまうと感じた瞬間、俺は叫んだ。黙って見過ごす事も、このまま鋳造されし守護の銀剣で戦う事も出来たが、今はこれが正しいと思い叫んだのだ。
「逃がす訳にはいかないっ!『11武装閉錠!』ならびに『11武装開錠!!』穿てっ!!偉大なる海君の三叉槍!!」
銀剣が消え去ると同時に現れたのは偉大なる海君の三叉槍。顕現する時間もなければ時間をかける余力も無い。だからこの一振りの投擲に賭けたのだ。
オディウム目掛けて放たれた偉大なる海君の三叉槍は、周囲の炎や硝煙、瓦礫を一瞬で掻き消す。さながら、海の全てがひれ伏す海君の大移動の様に。
『っ!?だが間に合わん!!』
その言葉の通り黒炎に包まれたオディウムをすり抜け、激しい衝撃と共に屋敷の天井と壁を次々と貫き続けた偉大なる海君の三叉槍はそのまま空へと消え、崩れ落ちる屋敷の隙間からは、光り輝く無数の星が見えた。
「くそっ…!逃がしたっ!!」
怒りのままに地面に拳を突き立てる。そんなことをしても状況は変わらないと思っていても抑える事は出来なかった。しかしいつまでもここで後悔してなどいられない。ジャックスの屋敷から避難する事が先決だ。炎と熱風に焼かれ、屋敷内の装飾品が崩れ落ちる中、俺は降りかかる火の粉を払いながら屋敷を後にした。
「先輩…」
サンドラは一抹の言い様の無い不安を覚えていた。燃え盛る屋敷を前に呆然と立ちすくむ。それでもきっとあの人が無事に戻って来る事を信じて。そして自分にはそれしか出来ない事もわかっていた。ジャックスの手下達は方々に散り失せ、今となっては騒動の起こっているこの屋敷の様子を見に来た島民も何人か訪れている。
「おい!お嬢ちゃん!ジャックスの野郎の屋敷が大変な事になっているけどどうしたんだっ!?」
その内の一人が声をかけるが、今の私には詳細を語る余裕なんて無い。
(お願いします神様!先輩を無事に返してくださいっ!)
信じ、祈る事しか出来ない無力な自分。
あぁ、どうして私はこんなにも力が無いのだろう。どうしてあの人の僅かばかりの手助けも出来なかったのだろう…。後悔と突きつけられる現実に消え入りそうになる。呆然と見つめ続けるその先から、突然恐ろしい程の魔力を感じた。そう恐ろしい。手が震え、額から零れた汗が頬を濡らす。
「何!?あの魔力!!あり得ない程静かなのに、どうしようもない程に暗い激情を秘めた様なこの感じ…いけない!あぁ先輩っ!」
気付けば屋敷に向かって走りだしていた。
「おいっ!?何やってんだ嬢ちゃん!!あんなとこに行ったら焼け死んじまうぞ!!」
先程の島民の男性が私の腕をしっかりと掴む。何度も振り解こうとするが、この様子を見ていた他の人達も加わり、一歩も動けなくなってしまった。
「お願い!離してっ!あそこに行かないといけないの!!あの中にまだ先輩が一人で戦っているの!お願いだから!先輩の所へっ!!」
髪を振り乱し、一歩でも前に進もうと暴れる。しかし、私の身を案じて制止している島民の人達も必死だった。
「この嬢ちゃんなんて力だっ!?」
「うぐぐ!大の大人数人で抑えてもこんなに動けるものなのか?」
「駄目だってお嬢さん!怪我だけじゃ済まないってー!」
口々に話ながら、それでも手を休める事なく制止してくる。その時だった。凄まじい衝撃と共にジャックスの屋敷の天井から何かが放たれたのだ。
「なんだい!!あれは!!」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
驚き叫ぶ人、腰を抜かす人。私を止めてくれている人達も例外ではなかった。一瞬だったが、腕を掴む力が緩むのを見逃さず、私は屋敷の入り口の方へと駆け寄った。
「せ、せんぱーーーーいっ!!」
激しい音と共に何かが崩れ落ちる音。入り口まで既に炎に巻かれて既に近寄る事すら出来ない程に燃え盛る炎と熱波は、誰をもの侵入を許しはしなかった。
「そんな…そんな事って…。あ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その場に座り込み、顔を伏せて溢れる涙を止める事が出来なかった。ただ夜の闇の中、煌々と燃え盛る屋敷を見つめ続ける事しか出来なかった。
「…先輩」
「おう」
「…先輩っ!」
「おう」
炎を背にゆらゆらと動く黒いシルエットと、先輩の声が聞こえてくる。きっとこれは私が見ている先輩の幻なんだろう。その声も前となんら変わらない優しい声も何もかもが幻。
「おーい?聞こえているか?サンドラ?」
「あぁ…こんなに鮮明にも先輩の声が聞こえるのに…先輩どうして私なんかの為に…グス…あぁぁぁぁぁ…」
大声を上げてまた咽び泣く。
「てい!」
「あいたっ!?」
不意に額に痛みが走った。両手で額を抑えて涙で霞む目の前を見る。
「ただいま。サンドラ」
目の前に居てるのは、この両目に映っているのは、傷だらけで顔も煤で焼けてしまったこの人は紛れもなく
「せっ!せんぱぁぁぁぁぁいぃぃぃぃ!!」
腰を落としていた先輩に無我夢中で抱き着いた。涙が止まらなかった、悲しいからでは無い。心の底からこの人が戻って来てくれた事が嬉しかったのだ。
「わっ!?こらサンドラ!?いててっ!痛いっての!離れなさい!」
「嫌ですっ!離れません!もう絶対に離れませんっ!」
先輩の服を握り絞め、感情をぶつける。良かった…本当に良かった。この人が無事に戻ってきてくれて。またこの人の声が聞けて本当に嬉しくて仕方なかった。
「おい!大丈夫かあんた!?」
「あー、すまないがこの子を少し離してくれると助かるんだが…」
そう言って未だに先輩から離れない私を、島民の人達がまた必死で引き剝がそうと躍起になってくれたのだった。
週末を利用して次話作ります。
読んで下さいました全ての方に感謝です。




