第94話 最強の兄と、救われた少女
「──コホッ、コホッ……」
重苦しい沈黙が続く中、サイコの背後から、ひどく可憐で弱々しい咳の音が響いた。
「ん?」
ソウタが視線を向けると、サイコは「ああ」と小さく声を漏らし、大きな身体を横に避けた。
「俺の妹の、ジュネだ」
そこには、恥ずかしそうに、そして見るからに具合が悪そうに俯く一人の女の子が立っていた。
頭には大きな黒い三角帽子、身体をすっぽりと包む黒いローブ。その小さな手には身の丈ほどもある魔法使いの杖を握りしめている。それはゲームで見慣れた、典型的な、しかしあまりにも愛らしい魔女の姿だった。
「ジュ、ジュネ……です。ゴホッ、ゲホッゲホッ……!」
自分の名前を告げた途端、ジュネは激しく胸を焦がすような咳に襲われ、その場に崩れ落ちそうになる。
「おい、ジュネ! 大丈夫か!?」
サイコが慌てて駆け寄り、大剣を握る手とは裏腹に、驚くほど優しい手つきで妹の華奢な肩を支えた。
ソウタは眉をひそめ、サイコに問いかける。
「……かなり体調が悪そうだけど、一体どうしたんだ?」
「……さっきのアサグって名乗ってたクソ野郎の仕業だ」
サイコは悔しそうに歯噛みし、最後は絶望に声を震わせるように呟いた。
「戦闘中、奴がまき散らしやがった瘴気を吸い込んじまったんだ。『ペスト』っていう不治の病らしい。……どんな回復魔法も効かねえ。もう、治らないんだ……」
「サイコ、お前は大丈夫だったのか?」
「ああ。俺は、自分に迫るペスト(病原菌)をすべて大剣で斬り払った」
(うひゃあ、出たよ! 流石は何でも斬るサイコだ。概念や病気まで斬って無効化するとか、相変わらず仕様が狂ってやがる!)
ソウタは内心でツッコミを入れつつも、苦しむジュネの姿を見て覚悟を決めた。
「──サイコ、俺がジュネのペストを治療しよう」
「何……? バカ言うな、不治の病だぞ!?」
驚愕するサイコを余所に、ソウタは懐から眩い神気を放つ『八尺瓊勾玉』を取り出した。それをジュネの胸元にかざし、聖なる奇跡の力を解放する。
淡い清らかな光がジュネの身体を包み込み、黒い死の気配を瞬時に霧散させていく。
「え……? 嘘だろ、瘴気が消えた……?」
「あれ……? 身体が、なんともない。痛くないし……咳も、出ない……」
驚きに目を丸くするサイコと、自分の小さな手を何度も握りしめるジュネ。
「はい、これも念のために飲むといいよ」
ソウタはさらに、最高品質の『ヤコイケ印の回復薬』をジュネに手渡した。彼女は戸惑いながらもそれを受け取り、一気に飲み干す。すると、青白かった頬にみるみるうちに健康的な赤みが差していった。
サイコはしばらく唖然としていたが、やがて大剣を背中に背負い直すと、ソウタの目を真っ直ぐに見つめた。
「……お前、めちゃくちゃ良い奴だな」
その声には、先ほどまでの冷徹さは微塵もなく、確かな敬意と感謝がこもっていた。最強の裏ボスに認められた瞬間だった。
そしてサイコの横では、ジュネが「ポッ」と頬を林檎のように赤く染め、上目遣いでソウタを盗み見ている。
「俺の名前はソウタだよ。よろしくな」
「ははは! 分かった! ぶっちゃけ他の奴らの名前は覚える気もないが、『ソウタ』、お前の名前だけは絶対に忘れないよ!」
「ソウタ……様……っ」
ジュネは胸元で杖をぎゅっと抱きしめ、潤んだ瞳でソウタを見つめてポツリと呟いた。完全に一目惚れだった。
そんなあまりにも微笑ましい空気が流れた、その時──。
「ガハハハハ! やっと追いついたぞ、ネズミどもめ!」
「さあ、まずはどこの肉から食い千切って欲しいぃ? ええ!?」
最悪のタイミングで瓦礫の向こうから姿を現したのは、執念深く追ってきたドグラとマグラだった。凶悪な殺気を剥き出しにして、ソウタ達を睨みつける。
だが、サイコの瞳から一瞬で感情が消え失せた。一歩前に出ると、冷え切った声で不審者を迎撃する。
「──お前ら、ソウタの敵か?」
「あ? 敵ぃ? お前こそ誰だ、そのガキ」
ドグラはサイコを鼻で笑い、傲慢に言い放った。
「俺達はソイツらを捕まえに来ただけだ。陛下からの命令でな。まあ、命だけは取らないどいてやるが……その生意気な手足は諦めな!」
マグラもギャハハと下品に笑い、自慢の威圧感を周囲に放つ。
「敵ってなんだよ。お前が俺達と戦うっていうのかぁ? ボウズ、せいぜい無様に足掻いてみせろよ!」
「ふうん。敵確定だな」
サイコの冷酷な呟きが終わるか終わらないか──その刹那、サイコではなく、隣のジュネが動いた。
「──ソウタ様を、傷つけようとするなっ!!」
ジュネの杖の先から、超高速・高熱の『青い炎の弾』が放たれた。それは大気を爆裂させながら一直線に飛び、ドグラの胸へ容赦なく突き刺さる。
ドガァン!!
「ギャアアアアアア!? 熱い熱い熱い! 燃える、死ぬうううううう!!」
一瞬にして全身を地獄の青炎に包まれたドグラは、悲鳴を上げながら地面を転げ回った。肉の焦げる悪臭が立ち込める。
「ドグラァ!? き、貴様らぁぁああ!」
相棒の惨状に激昂したマグラが、鋭い爪を立ててジュネに襲いかかろうとした。
だが、シュン、と世界が揺れた。
サイコが一瞬のうちにマグラとすれ違う。ただそれだけだった。
次の瞬間、サイコが担ぐ大剣から一滴の血が滴り──。
ゴロリ。
マグラの首が、本人の自覚もないまま地面に落ちて転がった。
「あ……?」という声を最後にマグラの巨体が倒れ込む。サイコはそのまま一歩も歩を止めず、今だ青い炎の中で苦悶するドグラの首をも、無慈悲に一刀両断して黙らせた。
戦闘開始から、わずか数秒。獣人国を恐怖させた狂犬コンビは、ゴミのように屠られた。
「あーあ、ジュネぇ。だから炎魔法はダメだっていつも言ってるだろ。せっかくの所持品まで燃えちまうじゃないか」
サイコは呆れたように息を吐きながら、まだ煙の上がるマグラの遺体をゴソゴソと弄り、手際よく財布やマジックアイテムを物色し始めた。
「だって……あの悪党ども、ソウタ様を脅すようなことを言うんだもの! もう、いいじゃない。細かいこと言わないでよ、お兄ちゃん!」
ジュネはぷくっと頬を膨らませ、ソウタの後ろへ隠れるようにして身を寄せる。
「はぁ……まあ、いいよ。ソウタを助けようとしたんだもんな、今回は許す。しかしコイツら、強そうなツラしてた割には全然良いモノ持ってないな。ケチな盗賊以下だ」
「な……なによこれ……。あのドグラとマグラが、あんなに簡単に……信じられない……」
ブリュンヌは腰を抜かしたように地面にへたり込み、ガタガタと震えていた。彼女達にとってはトラウマ級の強敵だったはずなのだ。
ナナミも顔を青くしながら、平然と死体から剥ぎ取りをするサイコに恐る恐る尋ねる。
「ねえ……殺した人から、当たり前のように物を奪うの……?」
「ん? 何を言ってるんだ?」
サイコは不思議そうに首を傾げ、至極当然といった風に答えた。
「魔物を倒したら死骸から素材を取るだろ。盗賊を倒したらお宝を貰うだろ。それと同じさ。牙を剥いてきた敵を倒して、その所持品を奪うのは勝者の当然の権利だ。これが俺たちの生活費になるんだからな。生きるために、有り難くいただくのさ」
一切のブレがない、徹底した弱肉強食の世界観。
ソウタは、この圧倒的な強さと容赦のなさに改めて戦慄しつつも、この『最強の味方(?)』がいれば、獣人国からの脱出は一気にイージーモードになるのではないかと、密かに胸を撫でおろすのだった──。




