第91話 目覚めた覇王の咆哮、そして狂った歯車
豪華な装飾に彩られた国王の執務室に、重々しく、しかし力強い足音が響いた。
つい先ほどまで死の床に伏せっていたとは到底思えない、堂々たる体躯。獣人国を統べる国王が、優美な王妃、そして冷や汗を流す宰相を伴って戻ってきたのだ。
「ふはは! 久しぶりにこの部屋に来たが、塵一つなく掃除はしっかりされているな。どれ、決済の必要な書類は……ふむ、代行を務めていた王太子がすべて片付けておる。全く残ってないではないか!」
国王は豪快に笑いながら、自らの椅子へと腰掛けた。
「はい。王太子殿下は、国王陛下の代行を問題なく務められておりました」
「まあまあ、あの子も少しは見違えるようになったのね。頼もしいことだわ」
王妃も上品に微笑み、息子の成長を純粋に喜んでいる。だが、その横に立つ宰相の顔色は、まるで死人のように真っ白だった。
「……陛下、まだこうして執務を行うには早すぎるのではございませんか? 国のことは王太子殿下に任せ、もう少し御身体を労り、ベッドでお休みください……」
宰相の言葉は、一見すると主君を心配しているようだが、その実、焦りと恐怖を必死に覆い隠すためのものだった。ソウタたちに仕掛けた『捕縛作戦』が国王の耳に入るのを、何が何でも阻止しなければならない。
「いやいや! 身体はすこぶる調子が良いのだ! むしろ、病にかかる前より血の巡りが良いくらいだぞ。あの恩人にいただいたヤコイケ印の回復薬、あれは本当に凄まじいな。魂の底から活力が湧いてくるようだ」
「本当に、あの回復薬の効果は抜群でしたわ。あまりにもお見事すぎて、国のために少し分けていただきたいくらいですもの」
「うむ、全くだ! そもそも、我らが復帰してすぐにでもやらねばいけない最優先事項があるだろう。何をおいても、あの恩人に礼を尽くして、望むだけの報酬を渡さねばな。それと、その恩人は我が娘ブリュンヌが連れて来たと聞いたぞ。今すぐブリュンヌと恩人たちをここに招くのだ。直接、この口から感謝を伝えたい!」
ドクン、と宰相の心臓が大きく跳ね上がった。
彼はギクッとなって、露骨に国王から目を逸らした。
「そうそう、そういえば私たち、まだあの方々の名前すらお伺いしていないのよ。命を救ってもらっておきながら、名前も知らないなんてあまりにも不義理だわ。面会の際には当然、私も立ち会わせてもらいますね?」
「…………」
宰相はガタガタと震えながら深く俯き、この場を切り抜けるための言い訳を必死に探していた。しかし、どんな言葉も、今起きている最悪の現実を誤魔化せるはずがなかった。
「おい、どうした宰相! 聞いているのか? すぐにブリュンヌと恩人達が我等と面会出来るように、手配を取り計らえ!」
「それが……その……」
「ん? どうした。何か問題でもあるのか」
国王の鋭い眼光が宰相を射抜く。宰相は喉を鳴らし、消え入りそうな声で絞り出した。
「聖者様御一行は、すでに……王都を出てしまわれました……」
「む? 出ただと……? おい、あの御方はペストを治療出来る、我が国にとって唯一無二の希望の光なのだぞ! この獣人国では、まだ地方でペストが猛威を振るっているのだ。国益を考えても、益々力を借りたいことくらい、お前なら分かっているはずだ。ここに少しでも長く滞在していただくよう、当然それ相応の最上級の応対に手を尽くしたのだろうな!?」
「は、はい……。……そ、それが……その……」
「ん!? 一体どんな対応をしたのだ! はっきりと申せ!」
「いや、あの、それは……王太子殿下が……」
歯切れの悪い宰相の態度に、国王の逆鱗が触れようとしたその瞬間――。
「――私が、ありのままをご報告致します」
シュタッと、天井の死角から一枚の黒い影が滑り降りるように現れ、国王の前で片膝を突いて跪いた。
「おう、我が直属の諜報部隊(隠密)の者か。病床の間の護衛、ご苦労であった。して、何があった」
「はっ! 陛下が眠りについておられた数時間前、王太子殿下とそこの宰相が、聖者様御一行の力を独占せんと画策。客室へ王国近衛隊の『ドグラ』と『マグラ』を派遣し、四肢を破壊してでも連行・奴隷化しようといたしました」
「なんだと……っ!?」
国王の顔から血の気が引き、代わって凄まじい怒気が立ち上る。諜報員は淡々と報告を続けた。
「その最中、通りすがったブリュンヌ様が異変に気づき、恩人たちを守るためにドグラ・マグラに応戦。しかし返り討ちに遭い負傷。結果、危機を察した聖者様御一行は、傷ついたブリュンヌ様を連れ立ち、この王都から逃亡いたしました。現在、ドグラとマグラがその後に牙を剥いて追跡中でございます」
「な、ななななななにいいいいいいぃぃぃッッ!!!!!?」
ドォォォーーンッ!!と、凄まじい覇気が執務室の窓ガラスをビリビリと震わせた。国王の咆哮は、怒りのあまり獣の唸りへと変わる。
「まあ……ッ!! なんてことなの……っ!!」
普段は温厚で、誰に対しても怒ったところを見せないあの王妃までもが、あまりの衝撃と非道さに顔を真っ赤にして声を荒らげた。
「よりによって、あの残虐非道なドグラとマグラに追わせるなど、王太子め……! 聖者様たちを五体満足のまま捕らえるつもりすら無いではないか!!」
国王が机を叩き割らんばかりの勢いで立ち上がる。
「なんて酷い仕打ちを……! 私たちの、国王の命を救ってもらったのですよ!? 礼を尽くし、至高の宝を以て遇するのが当たり前! それを、礼も言わずに拘束し、奴隷にしようとするなんて……! 獣人国始まって以来の恥を知りなさい!!」
王妃の気高い怒りの言葉が、宰相の突き出た耳に突き刺さる。
「宰相!!! 貴様は即刻『謹慎』だ! 追って一族諸共の処分を沙汰する! そして王太子は……」
国王の目が、冷酷な獣のそれに変わる。
「――これより謹慎を命じ、王位継承権は完全に白紙、剥奪とする!! 我がここに戻るまで……妃よ、我が代行を務めてくれ!」
「承知いたしました。あの『王子』にも、その旨しっかりと、骨の髄まで叩き込んで伝えますわ。どうやら、時間をかけて一から礼儀作法を教え直さなければいけないようですから……!」
王妃の瞳の奥で、冷徹な光が妖しくギラリと輝いた。王太子の地位を追われ、ただの「王子」へと成り下がった馬鹿息子への、母親としての、そして王妃としての容赦ない粛清が決まった瞬間だった。
「へ、陛下……! 一体どこへ行かれるのですか!?」
部屋を出ようとする国王に、宰相がおどおどと尋ねる。
「うるさいッ!! 貴様は謹慎だと言っただろうが! サッサと我が視界から消え失せろ! 我はこれより、自ら聖者御一行の後を追う! あの狂犬ドグラ・マグラを一刻も早く止めねば、あの者たちの手にかかってはどうなるか分からん。他人には任せられん! 妃よ、腕利きの近衛隊に、我の後を追うようすぐに伝えよ!」
「承知いたしました。どうかご無事で、恩人たちへの不調法をお許しいただきに行ってくださいませ」
「うむ! 行くぞ!」
国王は背中のマントを激しく翻すと、凄まじい風を巻き起こしながら、嵐のように執務室を飛び出していった。命の恩人を救うため、そして愚かな息子たちの不始末を正すため、獣人国最強の覇王が自ら動き出したのだった。




