第9話 母の別れ、そして旅立ちの朝
ソウタが必死の看病を続け、リャンゾウの鼻を頼りに森の奥深くで薬草を採取し続けた数年間。しかし、残酷な運命が母を攫う時はやってきた。どんなに高価な薬を試そうとも、遠方の回復士にすがりついても、母の灯火は静かに、そして確実に消えていった。
最愛の人を失い、村という狭い箱庭で一人取り残されたソウタ。母が亡くなって数ヶ月が過ぎた頃、彼は決意した。この村を捨てるのだと。
ソウタは十五歳になっていた。この世界では成人を迎える節目だ。一人の男として、自分の足でこの世界を歩み出す時が来たのだ。
旅立ちの朝。村の入り口には、幼馴染のナナミと彼女の家族、そして錬金術師のおばばと村長が姿を見せていた。
「ソウちゃん、本当に……行ってしまうのね」
ナナミがソウタの両手を握りしめる。その瞳は潤んでいた。ソウタは少し照れくさそうに笑い、おどけた調子で口を開く。
「ああ、俺は旅立つ。華やいだ街で、君への贈り物を探すつもりさ」
「……あ、また変なモードになってる。おままごとをしていた小さい頃から、全然変わらないんだから」
ナナミは呆れながらも、寂しげに微笑んだ。おままごとのように無邪気だった日々は終わる。しかし、二人の間に流れる時間は、確かにどこかあの頃の続きのように思えた。
村長が、ソウタに村民証明を手渡す。
「これを持って行きなさい。都市へ入る際の身分証明になる。お主の門出を祝うとともに、幸運を祈っているよ」
続いて、おばばことボンブルが、封のされた手紙を差し出した。
「ビーカル都市には、儂の師匠であるコエザ様がおられる。エルフの錬金術師、コエザ・キグリ様だ。これを見せれば、相談くらいは乗ってくださるじゃろう」
「村長、おばば、本当にありがとう。ナナミ、薬草の採取は頼んだよ」
「任せて! ソウちゃんほど効率よくは採れないかもしれないけど、地道に頑張るわ。……じゃあね、ソウちゃん。リャンちゃんも元気でね」
「バイバイ」
ソウタは商人の馬車へと乗り込み、膝の上のリャンゾウを抱き上げた。リャンゾウの小さな前足を持ち、ナナミたちに向かってゆっくりと振る。
◇◇
馬車を走らせるのは、月に一度村を訪れる行商人、ジメイだ。ヤコイケ村から都市ビーカルまでの街道は比較的安全であり、ジメイは一人でこの平和な道を往復している。
「おっ、ソウタ。乗ったな。退屈な旅路だが、よろしく頼むぜ」
ソウタは少ない旅費を渡す代わりに、馬車の荷運びや手入れを手伝うことで、この旅に同行していた。移動中、ジメイは御者席の横に座るソウタに、手綱の扱い方から、都市に蔓延る噂話、そしてこの世界の複雑な社会事情まで、惜しみなく教えてくれた。
道中、森へ入ればリャンゾウと共に薬草を採取し、ジメイに買い取ってもらう。時には珍しい薬草を採取し、おばばの師匠へのお土産としてストックすることも忘れない。平和そのものの道程だった。
やがて、旅の終着点である城壁都市ビーカルが見えてきた。
高くそびえ立つ石造りの城壁。その前には、門ごとの目的別に旅人たちの長い列ができている。貴族、冒険者、商人、そして一般の旅人。ジメイは商人用の門へ、ソウタは旅人用の門へと向かうため、二人はここで別れることになった。
「ジメイさん、今まで本当にありがとうございました。色々と教えていただいて、助かりました」
「いやいや、私もソウタに手伝ってもらって助かったよ。楽しかったぜ。都市で困ったことがあったら、商館に顔を出しな。大した力にはなれんが、相談くらいは乗ってやるからよ」
「……分かりました。その時は、お願いします」
ジメイとの別れを告げ、ソウタは旅人の列に並ぶ。
背負った荷物と、膝の上で目を光らせるリャンゾウ。
モブキャラとしての平穏を捨て、ソウタは今、物語のメインストリートへと足を踏み入れる。
(見ていてくれ、母さん。俺は、俺の物語をここから始めるんだ)
ソウタの瞳に、新しい街の光景が力強く映り込んでいた。




