第89話 理不尽な狂犬と壊れゆく信頼
「おい、この部屋じゃねえか?」
「がははは! 多分そうだ。間違いないぜ」
「まあ、もし間違ってたとしても、中にいる奴をぶちのめせば良いか」
「がはは! 全く問題ねえな!」
不快な金属音のような笑い声を廊下に響かせながら、ドグラとマグラはソウタたちが案内された客室の前に立ちはだかっていた。その全身から放たれる狂気と血生臭い気配に、周囲の空気がビリビリと震える。
「ちょっと! あんた達、この部屋にどなたが滞在しているか分かって騒いでいるの!?」
そこへ、ソウタたちの様子を見にやってきたブリュンヌが通りかかった。怪我の手当てを終えたばかりの彼女は、最悪の二人の姿を見て顔をこわばらせる。
「ん? なんだ、ブリュンヌ姫じゃねえか」
「本当だ。暫く見ねえと思ったら、どこで泥遊びしてたんだ?」
「げっ……ドグラとマグラ! なんで、なんであんた達みたいな狂犬がここにいるのよ!?」
ブリュンヌの背中に冷たい汗が流れる。近衛隊の面汚しと呼ばれるこの二人が動く時、ろくなことが起きないからだ。
「この部屋に、ペストを治す都合のいい聖者がいるんだろ?」
「がはは! 王太子殿下の命令でな、そいつらを一人残らず連行しに来たのさ」
「なっ……! 聖者様は父上と母上の命の恩人なのよ!? 恩を仇で返すような真似、絶対にさせないわ!」
ブリュンヌは怒りに震えながら二人の前に立ちはだかった。だが、二匹の狂犬はせせら笑うだけだった。
「命の恩人? そうらしいな。だが、そんなの関係ねえんだよ」
「そうそう。国王陛下の命の恩人が『救国の奴隷』となって、死ぬまで都合よくペストを治し続けるのさ。ありがたい話だろ? がはは!」
「はあ!? 奴隷!? 誰がそんな狂ったことを許すのよ!」
「あはは! 宰相のジジイが青い顔して言ってたが、王太子殿下の直々の命令らしいぞ? 『お国のために死ぬまで扱き使え』ってさ」
「殿下は優しいからなぁ。邪魔する奴ぁ……王族だろうが何だろうが、食い殺しても良いってよ! ぎゃはははは!」
「そんな非道なこと、私が絶対に許さない!!」
これ以上、恩人であるソウタたちを侮辱されてたまるか。ブリュンヌは怒りに我を忘れ、鋭い爪を剥き出しにしてドグラの胸元へ飛び掛かった。渾身の一撃。
しかし――。
ガギィィンッ!
「……は? 嘘……っ!?」
手応えが無い。まるで分厚いゴムの塊を叩いたかのように、ブリュンヌの爪はドグラの強靭な皮膚に弾かれた。
「けっ、相変わらず弱っちい爪だな。効かねえなぁ!」
「爪ってのは、こうやって使うんだぜ! がははは!」
鋭い風切り音。マグラの残虐な一撃がブリュンヌを襲う。
ブシュッ!
「きゃああっ!?」
ブリュンヌは必死に身を翻したが、躱しきれず、マグラの凶悪な爪が彼女の肩の肉を深く抉った。鮮血が廊下に飛び散る。
「前から王族ぶって生意気だと思ってたんだよ。がはは!」
「ブリュンヌは弱えくせに、口だけはいっちょ前だからな。痛ぶる甲斐がねえぜ!」
「くっ、あんた達……どこまで腐っていれば気が済むの……っ!」
激痛に顔を歪めながらも、ブリュンヌは必死に二人を睨みつける。だが、彼らはそれを見てさらに狂ったように笑い声を上げた。
「ひゃっはああああああ!」
「ぎゃははははは!」
絶望的な実力差。それでも、ブリュンヌは部屋の扉に向かって、喉がちぎれんばかりの声で叫んだ。
「聖者様!! 逃げてえええええええええ!! コイツらから、今すぐ逃げてっっ!!」
◇
その頃、豪華な客室の中では、ソウタたちがソファで一息ついているところだった。
「……何だか、外が異様に騒がしいね?」
「悲鳴だぞ……! 何かあったのか!?」
ナナミが不安そうに耳を澄ませ、モモカが身構える。外から聞こえる不穏な絶叫に、ソウタは嫌な予感を抱いてドアへと駆け寄った。その瞬間――。
ドカァァァーーーッン!!!
ギイイイイイ……。
「きゃあああああああ!」
凄まじい衝撃音とともに、木製の頑丈なドアが粉々にぶち破られた。激しい爆風と木片が飛び散る中、何かが猛スピードで部屋の中に吹き飛んでくる。
「危ないっ!」
ソウタは反射的にその人影を躱した。だが、床を転がったその姿を見て、息を呑む。
「ブリュンヌ!?」
そこに倒れていたのは、肩から血を流し、ボロボロになったブリュンヌだった。
「がははは! お前らが噂の聖者御一行かぁ! 俺は王国近衛隊のマグラだ! 大人しくついて来い!」
壊れた扉の向こうから、白と黒の毛皮を揺らしながらマグラが下劣な笑みを浮かべて入ってきた。その隣には、大頭のドグラが凶悪な笑みを張り付かせている。
「ぎゃはは! 大人しく従うなんてつまらねえぞ。俺はドグラ。お前らを美味しく食い千切りに来た。なあ、死なない程度に抵抗してみてくれよ?」
「がはは、そりゃそうだ! 頑張って無駄な抵抗をしてくれよ、人間!」
二匹の狂犬が、獲物をいたぶる肉食獣の目で部屋の中へと跃り出た。充満する圧倒的な殺意。
「う、うあ……あ……」
ブリュンヌは激痛に意識が飛びそうになりながらも、床に血の跡を残しながら、ヨロヨロとソウタたちの前に立ち上がった。その身体は限界を迎えて震えている。
「聖者様……逃げて、ください……。ここは、私が命に替えても……食い止める、から……!」
その痛々しい姿を見て、ソウタは冷徹なトーンで声をかけた。
「ブリュンヌ、君の実力じゃそいつらは食い止められないだろ。そんなボロボロの姿で何を言ってるんだ」
「ぎゃははは! そうだそうだ、人間の言う通りだぜ! ブリュンヌ、お前はもう用済みなんだよ!」
「さあ、聖者! 早く俺たちに掛かって来いよ! 楽しませてくれ!」
ソウタの現実的な言葉を都合よく茶化し、ドグラとマグラはさらに挑発するように爪を鳴らす。
「ダメ、戦っちゃダメ……ッ! 早く逃げて!」
ブリュンヌは涙を流しながら叫ぶ。
「コイツらは頭がおかしい……凶暴で凶悪、しかもこの国で最強の狂犬なの! そして……私の兄である王太子と宰相が、聖者様達を拘束して、奴隷にしようとしてるのっ……!」
その言葉が室内に響いた瞬間、モモカとナナミの顔から表情が消えた。
「……は? 国王陛下のペストを治してあげた結果が、奴隷なわけ?」
ナナミはあまりの恐怖と、それ以上に湧き上がる理不尽さへの怒りで身体を震わせた。
「最悪だわ。恩を仇で返すなんて、最低のクズたちね」
モモカは冷たい目をさらに細め、完全に戦闘態勢に入って身構えた。
ソウタの瞳の奥にも、これまでにない冷徹な焔が灯る。
「全く……なんて国だ。命を救ってやった相手を奴隷にするのが、ここの流儀かよ」
「ギュウゥゥウッ!!」
リャンゾウもソウタの怒りに同調するように、全身の毛を逆立て、バチバチと青白い火花を散らしながら狂犬たちを睨みつけた。
理不尽な悪意に対し、異界の規格外たちの静かな怒りが爆発しようとしていた。




