第88話 強欲の王太子と、飢えた二匹の狂犬
豪華絢爛な装飾に彩られた、獣人国王太子の執務室。
そこには、国難を憂うどころか、どす黒い野心に目をぎらつかせる王太子の姿があった。
「――国王陛下と王妃のペストが、完全に治ったようでございます」
重苦しい沈黙を破り、疲れた顔の宰相が王太子へそう報告した。衣服の隙間から見える肌には、まだリャンゾウに焼かれた痛々しい火傷の痕が残っている。
「……はあ? お前、何を言っている。そんな事、有り得る訳が無いだろう。あれは神の呪いだぞ」
王太子は不快そうに眉をひそめ、鼻で笑った。ペストはかかれば確実に死ぬ病。それが治るなど、おとぎ話の信奉者が語る戯言だと信じて疑わなかった。
「事実でございます。ブリュンヌ王女がどこからか招き入れた者達が、あのペストを瞬時に治療したのです」
「ば、馬鹿な……ッ! 本当にペストが治るというのか……!?」
王太子の顔から余裕が消え、驚愕に染まる。
「城のメイドの話では、お二方の肌の変色もすっかり元に戻り、健康的な呼吸を取り戻している様子です。間違いありません」
「本当の話か……。あの呪うべき病を、完全に……」
王太子は椅子の背もたれに深く体重を預け、冷酷な思考を巡らせ始めた。
(もしそれが本当なら、その『治療の力』は国を揺るがすほどの価値がある。いや、世界を支配できるほどの利権だ……!)
「本当です。……どうなさいますか、王太子殿下」
「決まっているだろう! 本当にペストを治療出来る最高級の駒なのだぞ?」
「……お抱えの聖者として、礼を尽くして召し抱えますか?」
「国難だぞ!? そんな悠長で生ぬるいことをやってられるか! その者達には悪いが、絶対に逃げられないように五体拘束し、この国のために死ぬまでペストを治療させろ。四肢の骨を折ってでもな!」
王太子の本性が剥き出しになる。彼の頭にあるのは、その規格外の力をいかにして独占し、自分の権力を盤石にするかという強欲さだけだった。
「しかし……相手は一筋縄ではいきませぬ」
「はあ? 何を弱気なことを言っている。我が獣人国の習わしは『強肉強食』。勝った者が全てを得る。強者の権利を行使せよ。いつもの事だろう、宰相?」
「……実は、儂はその者達に完膚無きまでに負けたのです。手も足も出ずに気絶させられました」
「何だと……!? お主ほどの獣人国最高峰の戦士が、人間のガキに負けたというのか!?」
「力比べではありません……。奴らは、見たこともない妙な術を使います。まともに戦うのは危険かと」
王太子は一瞬目を見開いたが、すぐに傲慢な笑みを浮かべた。
「ほほう、面白い。宰相を討ち取って調子に乗っている人間のガキどもか。いいだろう、この俺が直々に引導を渡してやる。今すぐここに引きずって連れて来い!」
「しかし……黙ってついてくるような者達ではありません。下手に刺激すれば、こちらが返り討ちに――」
「あはは! なんだ、お前はそんなに自分の実力に自信がなくなったのか? 耄碌したな、宰相」
「…………」
悔しさに唇を噛む宰相を見下ろし、王太子は冷酷に命令を下した。
「ならば――『ドグラ』と『マグラ』を呼べ」
その二人の名前が出た瞬間、百戦錬磨の宰相の顔が目に見えて青ざめた。
「ど、ドグラとマグラですか……!? 狂犬の二人を解き放つと……?」
「そうだ! 王国近衛隊のあのイカれた二人に連行させろ! どんな手を使っても構わん、サッサと連れて来いよ。……絶対に、逃がすなよ?」
「……畏まりました」
冷たい汗を流しながら、宰相は部屋を退室するしかなかった。
◇
北の暴れん坊クズリ獣人であるドグラ。
そして、南の恐れ知らずラーテル獣人であるマグラ。
この二人は、王国の治安を命じられた近衛隊でありながら、その凶暴性と残酷さから「近衛隊の鼻つまみ者」として恐れられていた。
クズリもラーテルも、分類上は小さなイタチ科の猛獣だ。
しかし、彼らの辞書に「恐怖」という文字は存在しない。身体は小さくとも、己の何倍もある大型の猛獣にさえ果敢に攻撃を仕掛け、最後には文字通り泥沼の戦いで撃退してしまう異常なまでの戦闘狂たち。
その生息域の過酷さから、クズリは巨大なヒグマや狼の群れへ、ラーテルは百獣の王ライオンや凶暴なハイエナにさえも猛然と立ち向かう。
そんな彼らの最大の武器は、あらゆる肉を裂く鋭い爪と牙。
そして、猛獣の鋭い牙や爪さえも通さない、極厚で柔軟なゴムのような皮膚。
さらにラーテル獣人のマグラにいたっては、あらゆる猛毒に対する完全な耐性があり、猛毒の蛇さえもおやつ代わりに喰らう。最終兵器として、尻の臭腺から噴射する強烈な悪臭液体は、いかなる強者をも悶絶させる脅威の兵器だった。
「がははは! ペストを治す都合のいい聖者を捕らえろだってよ!」
頭から背中、しっぽにかけて白く硬い盾のような体毛が覆い、その他の部位は全体的に真っ黒な体毛のラーテル獣人、マグラが凶悪に牙を剥いて笑う。
「けっ。そんな、戦いも知らねえ弱っちい人間に、俺たち二人がわざわざ行く必要なんかあんのかよ?」
黒く長い密な体毛に覆われており、異様に頭が大きいクズリ獣人のドグラが、退屈そうに己の鋭い爪をガリガリと研いでいた。
「がははは、まあ聞けよドグラ。なんでも、あのすました宰相の野郎が、その人間にコテンパンに負けたらしいぜ?」
「あはははははは! まじかよ! あの偉そうなクソジジイが人間に負けやがったのか! そいつは最高に面白えじゃねえか!」
「だろう? だから俺たちの出番ってやつさ。あのお上品な近衛兵どもじゃ、ビビって使い物にならねえからな。がはは!」
「違いねえ! 久々に腕が鳴るぜぇ。どんな泣き顔を拝ませてくれるかねえ?」
「よおし、挨拶代わりに喉笛を食い千切ってやるか。がはは!」
「おいおい、そいつは不味いぞドグラ。王太子殿下からは『殺さず連行しろ』って言われてる。その人間にペストを治療させなきゃならねえからな」
「チッ、死なさなきゃあ良いんだろ? じゃあ、逃げられねえように両手両足を食い千切ってやるか! 生きてりゃ文句ねえだろ!」
「ああ、がははは! そのくらいにしておきな。死ななきゃセーフだ!」
二匹の狂犬は、下劣な笑い声を響かせながら、ソウタたちの待つ客室へと向かって歩き出す。彼らの瞳には、これから始まる残酷な「狩り」への飢えた欲望だけがギラギラと輝いていた。




