第87話 邪なる闇は奇跡の光――異界の聖者と、守るべき絆
「……ここが、父上と母上の寝室よ」
ブリュンヌに導かれ、重厚な扉の先へと足を踏み入れた。そこは王のプライベートルームだった。
(うわぁ……。いくらプライベートルームとはいえ、なんて豪華な部屋なんだ。さすが一国の王の寝室だな)
部屋の広さや調度品の気品に圧倒されそうになるが、すぐに視線を中央へと向けた。綺麗で清潔に保たれた天蓋付きのベッド。そこに横たわる王と王妃の姿が目に入る。二人は見る影もなくやせ衰え、か細く微かな呼吸を繰り返しているだけだった。いつ命の灯火が消えてもおかしくない、最悪の状態だ。
(これは……一刻を争うな)
ソウタはすぐさま『鑑定のゴーグル』を取り出し、二人の容態を凝視する。レンズの奥に不気味なステータス異常が浮かび上がった。
(やっぱり、ペストにかかっているようだな。普通の回復魔法じゃ手が付けられないわけだ……。だが、俺たちならやれる!)
ソウタはコートの懐に手を入れ、伝説の秘宝『八尺瓊勾玉』を取り出した。
「クロリス、頼む」
「ええ、いつでもいけるわ」
ソウタが短く声をかけると、クロリスは深く頷いた。彼女がその華奢な手から八尺瓊勾玉へと膨大な魔力を流し込む。
直後、息を呑むような深い『闇』が溢れ出し、濁流となってベッドの王と王妃を優しく包み込んでいった。
それを見た瞬間に、部屋の空気が凍りついた。
「な、な、何をしている貴様らッ!?」
「王に何をする! 暗殺者か! 王を守れッ!」
「下郎め! ただで済むと思うなよ!」
部屋に控えていた王の護衛たちが、血相を変えて一斉に大声を上げた。殺気を孕んだ剣の擦れる音が響く。
「ああ、もう! ブリュンヌ、集中できない! このままだと魔力が乱れて治療に失敗するかもしれない。悪い、護衛たちを抑えてくれ!」
(まあ、いきなり禍々しい闇が王と王妃を包み込めば焦る気持ちは分かるけどさ。普通、治療や回復って言ったら聖魔法の温かい光を想像するもんな。だけどさぁ……下郎とは酷い言われようだよな、まったく)
「分かった! 私が止める!」
ブリュンヌはボロボロの身体を引きずりながら両手を大きく広げ、迫り来る護衛たちの前に立ちはだかった。
「皆、下がりなさい! これは治療だ! 今、ソウタたちは命懸けで父上と母上を治療しているのだ! 邪魔をすることは絶対に許さん!」
「姫、何を寝言を! 明らかに王様に害を与えているではないですか!」
「一刻の猶予もありません! 姫、騙されているのです!」
「その賊どもを今すぐ捕らえて王を助けるのだ!」
「姫こそそこを退いてください!」
「ええい! やむを得ん、強行するぞ!」
「姫! 御免ッ!」
焦燥に駆られた護衛たちは、叫ぶブリュンヌを乱暴に突き飛ばし、凄まじい勢いでソウタたちへと肉薄した。
「ちょっと! 治療してるんだってば! 邪魔しないで!」
「お願い、みんな落ち着いてよぉ!」
モモカとナナミが慌ててソウタの前に躍り出た。身を挺して彼を庇い、護衛との間に割り込もうとする。しかし、激昂した護衛たちは容赦なく二人をも突き飛ばし、ギラリと光る剣を容赦なく引き抜いた。
それを見たソウタの目が、冷たく据わる。
「――リャンゾウ!」
(任せてキュッ!!)
言葉よりも早く、リャンゾウが護衛たちの正面へ弾丸のように飛び出した。その小さな身体から、怒りの咆哮とともに強烈な青白い雷撃が放たれる。
バリバリバリバリバジィィィッ!!!
いつもより、明らかに過剰な出力の電撃だった。
(モモカとナナミに酷い事をして……絶対に許さないキュ!!)
落雷のような一撃を受け、護衛たちは悲鳴を上げる間もなく、次々と白目をむいて床へ崩れ落ちていった。
室内を制圧したちょうどその時、王と王妃を包み込んでいた濃厚な闇が、二人の身体の奥深くへと吸い込まれるようにして消えていった。
「ふぅ……。これで治療は終わった、けど……」
ソウタが安堵の息を漏らしながら後ろを振り返ると、そこには悲惨な光景が広がっていた。床に転がってピクピクしている護衛たち。
そして、突き飛ばされて痛そうに身体を押さえていたブリュンヌ、モモカ、ナナミの三人が、慌てた様子でソウタの元へと駆け寄ってきた。
「ソウタさん、大丈夫!?」
「うん、俺は平気。それより、あっちを見てみなよ」
一同がベッドへ視線を戻す。先ほどまでの、消え入りそうだった二人の呼吸は完全に消え去っていた。代わりに、深く、規則正しい健康的な呼吸の音が寝室に響き渡る。その表情は、まるでただ気持ちよさそうに深く眠っているかのように安らかだった。
「あ……ああっ……! 父上! 母上!」
ブリュンヌは堪えきれずに涙を流し、ベッドに駆け寄って二人の身体にすがりついた。その肌には、すでに健康的な赤みが戻りつつあった。
ソウタは微笑みながら、懐からヤコイケ印の特製回復薬を取り出し、ブリュンヌに手渡した。
「ブリュンヌ、二人が目を覚ましたら、この回復薬を飲ませてやってくれ。体力が落ちてるから、これが一番効く」
「ありがとう……本当に、ありがとう……!」
その光景を、部屋の隅で固まっていた執事やメイドたちが、驚愕の表情で見つめていた。やがて彼らは、信じられないものを見たというように、ヒソヒソと震える声で話し始めた。
「え……嘘でしょう? 信じられないわ……」
「完全に、治っている……?」
「あの恐ろしいペストを……本当に治療できる人なんて、この世にいるの……?」
「奇跡よ……これは神様の奇跡だわ……!」
「せ、聖者様……。異界から、本物の聖者様が来てくださったのだ……!」
張り詰めていた緊張が解け、執事が涙を拭いながらソウタたちの前に進み出て、深く、深く頭を下げた。
「聖者様、本当に、本当になんとお礼を申し上げたらよいか……! 王都に到着されてすぐに、これほどの大治療を行われ、さぞやお疲れのことでございましょう。特等客室をご用意させました。本日はどうか、ごゆっくりとお休みください」
「あはは……。ありがたくそうさせてもらうよ」
(はぁ……。治療そのものよりも、周りのゴタゴタのせいで精神的に疲れ果てたよ……)
ソウタは苦笑しながら、内心でそっとため息をついた。
執事の案内に従い、メイドたちに連れられて、ソウタたちはようやく静かな客室へと向かうのであった。




