第86話 無力な姫の涙と、異界の規格外(チート)
ドタッ!ゴロゴロ、ドカン!
「がはっ……、あ、う、うう……!」
宰相の圧倒的な力で投げ飛ばされたブリュンヌは、受け身も取れず、無残に門へと叩きつけられた。全身の骨がきしむ。口内に広がる鉄の味。
「ブリュンヌ様! もはや勝負はついております!」
「うるさい……ッ! 私は、私は絶対に諦めない!」
泥を舐め、血を吐きながら、ブリュンヌはよろよろと立ち上がる。視界は血で霞み、足元はガクガクと震えていた。それでも、瞳の奥の炎だけは消えていない。
「母上を……、父上を助けるんだああああッ!!」
魂を絞り出すような叫びとともに、ブリュンヌは再びジャガー獣人の宰相へと突っ込んでいく。しかし――。
「無駄な足掻きを」
宰相の動きは冷酷かつ、あまりにも俊敏だった。ブリュンヌの必死の拳は、空を切ることすら許されない。
バキッ! ドカッ! ドスン!
「ああっ……!」「うぐぅっ!」
殴られ、蹴られ、再び地面に叩きつけられる。それは戦闘ではなく、一方的な蹂躙だった。
あちこちの皮膚が裂け、衣服はボロボロに染まっていく。それでもブリュンヌは、壊れた人形のように何度も、何度も立ち上がった。その原動力は、両親を救いたいという一念のみ。
「ち、父上を……、母上を、助けるんだ……っ。ここで、終わるわけには……」
「もう終わりにしなさい。貴女の無力さが、愛する両親をさらに追い詰めるのだ。儂に敵う訳が無いでしょう」
冷徹に言い放つ宰相。
ブリュンヌは悔しさに唇を噛み切る。
「むむ………」
(おいおい……いくら何でも、やり過ぎだろ。あんなボロボロの女の子をここまで痛めつけるなんて……)
見ていたソウタの胸に、どす黒い怒りが湧き上がってきた。ブリュンヌの必死な姿が、あまりにも痛々しくて見ていられない。
「ギュゥゥウウッ!」
足元のリャンゾウも、完全にブチギレて宰相を鋭い眼光で睨みつけている。
「ソウタ、さん……ひっぐ、ブリュンヌちゃんが……ブリュンヌちゃんが死んじゃうよぅ……!」
ナナミは涙をボロボロとこぼし、恐怖と悲しみでガタガタと震えながら、ソウタの袖を強く掴んでいた。
(……よし、決めた。これ以上は黙って見てられるかよ)
「ちょっと待った!」
ソウタはナナミの手を優しくポンポンと叩いて解くと、一歩、前に踏み出した。そして、満身創痍のブリュンヌを背中に隠すようにして、宰相との間に堂々と割り込んだ。
「獣人国の流儀ってのは……『勝てば言うことを聞かせられる』。これで間違いないよな?」
「ほう……?」
宰相が、値踏みするような目でソウタを見る。ソウタの瞳に宿る、底知れない冷たい光。それに気づいた宰相の口元が、ニヤリと歪んだ。
「なかなか肝の据わったガキだな。よもや、その細腕でブリュンヌ様の代わりに儂とやろうというのか?」
「ああ。俺が勝ったら、王と王妃の治療をさせてもらう。文句ねえよな?」
「良かろう! ブリュンヌ様をここまで連れて来てくれた事だけは評価してやる。儂が勝ったら、命までは取らん。この国から叩き出してやるだけで済ませてやろう!」
言うが早いか、宰相の姿が掻き消えた。
一瞬で間合いを詰め、空気を切り裂くような超高速の拳がソウタの顔面に迫る!
バシィィィンッ!!
激しい衝撃音が響く。しかし、ソウタの身体は一ミリも動いていない。
(なるほどな。ブリュンヌには相当手加減していたらしい。スピードの次元が全く違う)
ソウタは、宰相の全力の右拳を、左の手のひらだけで軽々と受け止めていた。ピチリとも動かないソウタの手。
ソウタは冷徹な目で、至近距離にある宰相の目をじっと見据えた。
「なっ……!? 儂の拳を、片手で……っ!?」
宰相の顔が驚愕で歪み、冷や汗が流れる。引き抜こうとしても、ソウタの左手は万力のようにビクともしない。
「ギュルルルルルルル……!!」
その時、ソウタの足元でリャンゾウの全身からバチバチと凄まじい電撃がほとばしった。
直後、視界が真っ白に染まるほどの、爆発的な雷光があたりに弾けた。
ドカァァァーーーーンッ!!
「ぐはあああああッッ!?」
すさまじい轟音とともに、宰相の巨体が真後ろに吹き飛ぶ。
(あれ? ……リャンゾウ、もしかしてやっちゃった?)
ソウタが冷や汗を流しながら足元を見ると、リャンゾウがてへへと小首をかしげた。
(我慢出来なかったキュ……。ブリュンヌをいじめるから悪いキュ!)
見れば、最強を誇っていたはずの宰相は、白目をむいてピクピクと痙攣しながら完全に気絶していた。一撃、だった。
「ま、俺の勝ちだな。……ブリュンヌ、大丈夫か? 行くぞ。案内してくれ」
「ブリュンヌちゃん!!」
ナナミとモモカが慌ててブリュンヌに駆け寄り、優しく抱き起こす。
「貴様ら! ちょっと待て!」
「宰相様になんてことを! 卑怯なんじゃねえか!」
事態に気づいた門番の象獣人とキリン獣人が、武器を構えてソウタたちに突進してこようとした。
その瞬間、クロリスが冷ややかに右手をすっと掲げた。
「お前たちの相手は私だ。……『絡みつく、茨の檻』」
ズズズズズッ!
「な、何だこりゃあ!? 足が、動かん!」
「くっ、離せ! 植物だと!?」
二人の足元から大蛇のような凶悪な蔦が急速に伸び、一瞬でその身体をがんじがらめに拘束した。
「キュウウウウーーーッ!!」
逃げられない二人に向けて、リャンゾウの追撃の雷撃が容赦なく撃ち込まれる。バリバリバリッ!と二人の巨体が激しく震え、そのままドスンと崩れ落ちた。
「……まあ、結果オーライか。さあ、急ごう!」
ソウタが笑うと、ブリュンヌの目から大粒の涙が溢れ出た。
「うううう……有難う、本当に有難う……! こっちよ、ついてきて!」
ブリュンヌは痛む身体をソウタたちに支えられながら、必死に走り出す。王と王妃が待つ、城の奥深くへと一同を案内した。
城の重厚な扉を開けた瞬間、異変を察知した近衛兵たちが次々と現れる。
「何事だ! 侵入者か!?」
「さ、宰相様が倒れているだと!?」
「貴様らあああ! 王城を何だと思っている!」
色めき立ち、武器を抜く獣人たち。
「そこを退けえええええッ!!」
ブリュンヌが割れんばかりの声で叫んだ。その威厳に満ちた叫びに、兵士たちがハッと息を呑む。
「ブ、ブリュンヌ様!?」
「そのお怪我は一体……! どうされました!」
「何でもない! いいからそこを退くんだ! 私たちはこれから父上と母上の元に向かう! 誰であれ、邪魔をする者は容赦しない!」
大騒ぎになりかけていた場が、ブリュンヌの圧倒的な覚悟のひと声で、水を打ったように静まり返った。王女としてのカリスマが、兵士たちの動きを完全に止めたのだ。
「……それと、外にいる宰相と門番達を急いで介抱してやってくれ。死んではいないはずだ」
ブリュンヌは凛とした表情でそう言い残すと、ソウタ達を促し、堂々と城の奥へと突き進んでいった。




