第83話 森の檻、そして獣たちの矜持
視界の端に、深い緑の絨毯が広がり始めた。それは単なる森ではない。獣人国の王都。
「やっと、王都に着いた……!」
ブリュンヌが叫ぶ。彼女の声には、張り詰めていた糸がようやく緩むような、切実な安堵が混じっていた。しかし、ソウタは目を丸くして立ち止まる。
「へ? 王都? どこにだよ。森しかないだろ」
「……あの森こそが、我が国の王都なのですよ」
ペストマスクの従者が淡々と答える。城壁も、石の建物もない。彼らにとっての城は、力ある者たちが互いに肩を寄せ合い、その強固な肉体こそが最大の防御となる、獣たちの領域。戦うことを生業とする彼らには、平和ボケした「城壁」など不要なのだ。
「ふへぇ……。森が王都、か」
究極の戦闘民族。人ではなく森に溶け込む獣たちの国。ソウタは未知の脅威を背中に感じながらも、ブリュンヌに急かされるまま森への入り口へと足を向けた。
しかし、その道を塞ぐように、巨大な影が立ちはだかる。
「この先は王都だ! 今は誰も通さぬ。サッサと帰れ!」
大柄な熊の獣人が槍を突き出し、サイの獣人が地響きのような唸り声を上げる。その目は、迷いなくソウタたちを「侵入者」として拒絶していた。
「どきなさい! 私は王女ブリュンヌだ!」
ブリュンヌが仮面を脱ぎ捨て、その勇猛な表情をさらけ出す。熊の獣人は槍を握る手を緩め、その場に跪いた。
「お、王女様!」
「 ……父上と母上は、存命か!?」
「は、はい。伏せってはおりますが……まだ、息は……」
ブリュンヌがその場で崩れ落ちそうになるのを、彼女自身が必死の力で踏みとどまる。
「よかった……間に合ったか」
彼女の目から溢れる安堵の涙。その儚い姿を見て、ソウタも思わず胸をなでおろした。だが、守護者たちの冷徹な言葉がそれを切り裂く。
「ブリュンヌ様! お止まりください」
熊とサイが立ち上がり、再びソウタたちを遮る。
「宰相様の命により、今はロックダウン中。他国の者は一歩たりとも中には入れぬ。ましてや……その、戦いも知らぬ人族の鼻垂れ小僧と娘たちなど。王都の汚染を加速させるだけだ」
その言葉を聞いた瞬間、ソウタの胸の中で何かが冷めた。
(……は? 鼻垂れ小僧? 泣いて頼まれて、わざわざ死地に踏み込んでやったっていうのに……この言われようかよ)
助けたいという情熱は、侮蔑によって跡形もなく消え失せた。ソウタは冷めた瞳で、目の前の巨漢たちを見つめる。
「そうかぁ。そりゃしょうがないね。……帰ろうか」
ソウタは即座に背を向けた。モモカとナナミも、一言も反論せずソウタに従う。
「そ、そんな……待って!」
「……でも、ソウタ……」
ナナミが逡巡するが、ソウタの背中は揺るがない。
「聖者様! お待ち下さい」
そこに、ブリュンヌが鬼気迫る表情でソウタの腕にしがみついた。
「離せ……離して、帰るんだ」
「ぐぬぬ……! ロックダウンなんて知ってるわよ! でも、それ以上に連れてきた意味を考えろ! この方たちは聖者御一行だ! あんたたちが蔑む人族が、父上と母上の命を救える唯一の希望なのよ! そこを退きなさい!」
ブリュンヌの激昂が森に響く。しかし、彼女の怒りよりも深く、ソウタの心には「もう、関わりたくない」という冷たい感情が広がっていた。
自分の命を守るために戦う獣たち。自分の命を守るために平穏を求めるモブ。
この交わることのない二つの世界が、今、決定的な亀裂を迎えようとしていた。
「宰相様に確認致しますので、ここでお待ちを」
ブリュンヌが怒るのを見てオロオロしながら、両手のひらを前に出してなんとかしようとする熊の獣人。




