第82話 黒きマスクの行軍、死の匂い立つ獣の国
ジュノン男爵との冷徹な交渉を終え、ソウタたちは前払い金という名の「命の対価」を胸に、獣人国への過酷な旅路へと踏み出した。
一行は、相変わらず不気味なペストマスクを被ったブリュンヌ王女とその従者たち、そしてソウタたちという異様な集団だ。街道を進むたび、飢えたハイエナのごとく盗賊たちが群がってくる。
「ねぇ、何とかならないのっ!」
バシッ! という乾いた音とともに、ブリュンヌの拳が盗賊の顔面を捉える。彼女の力強い一撃に、盗賊は沈黙した。
「何が?」
ドカッ。
ソウタが無造作に盗賊を蹴飛ばすと、間髪入れずリャンゾウの雷撃が走り、盗賊は白目を剥いて痙攣する。
「こっちは終わったわよ」
モモカが涼しい顔で手を叩き、その後ろを、獲物を束ねたクロリスがニコニコと引き摺ってくる。この旅路において、盗賊はもはや「戦う相手」ではなく「ただの掃除対象」に成り下がっていた。
「盗賊が多すぎる……」
ナナミが豊穣の杖を肩に担ぎ、辟易したように呟く。
「今の獣人国は荒れ果ててますから。秩序を失った地では、命の価値が一番安いのです」
ペストマスクの従者が、くぐもった声でそう言った。彼の声には深い疲労と諦念が混じっている。
ブリュンヌが、そんな惨状を見てジト目でソウタを睨みつけた。
「あんたたちが弱そうだから、次から次へと舐められて寄ってくるのよ。どうにかしたら?」
(そんなこと言われても……。俺たちの存在そのものが悪いって言うのかよ)
ソウタは溜息を呑み込む。
「……このマスク、つけたら? これさえあれば、盗賊も疫病神だと思って近づかないわ」
ブリュンヌが予備のペストマスクを無骨に突き出す。マスクの奥で、彼女がどんな表情をしているのかはわからない。
「やだよ。格好悪すぎるし、息苦しい」
「ヤダー! 絶対イヤ!」
ソウタとナナミが即座に拒絶する。モモカも呆れたように首を振る。
「それは盗賊避け……というより、関所をノーチェックで通るための特権でしょう? 私たちは、ただ王都へ急ぎたいだけなの」
モモカの指摘に、ブリュンヌはわずかに言葉を詰まらせた。
ブリュンヌの背後で、従者が申し訳なさそうに再度マスクを差し出す。その必死な態度に、ソウタは肩の力が抜ける。
「……絶対ヤダ! 俺は俺のままで行く」
その時、肩に止まっていたブルが「ピイピイ」と、まるでソウタの決意を後押しするように鳴いた。
「はあ。……お前たち、そのゴミ(捕らえた盗賊)を王都まで連れていく気?」
クロリスが引き摺る哀れな盗賊たちを見ながら、ブリュンヌが不快そうに呟く。
「そうだね。急いでいるから、もう解放してやろう」
ソウタの言葉に、クロリスが蔦を消すと、盗賊たちは命拾いをしたとばかりに震えながら命乞いをする。
ズシャ!
しかし、ソウタたちの慈悲を嘲笑うように、ペストマスクの従者たちが冷酷に剣を振るった。
「ひいッ……!」
ソウタとナナミは反射的に目を背けた。先ほどまで生きていた命が、獣人国の厳しい掟の前では、あまりに脆く消え去る。これが、自分たちが足を踏み入れた「死の国」の現実なのだと、改めて突きつけられた。
「……さあ、急ぎましょう。父上たちが、待っているわ」
ブリュンヌの言葉は短く、そして重い。
ソウタは肩の上のブルに視線をやる。
「警戒よろしくな、ブル」
「ピピイイイイ!!」
高らかに鳴き、空へ舞い上がったブルを先頭に、一行は獣人国の王都へと加速する。
ペストマスクという死のヴェールを被った王女と、聖者と呼ばれながらも平穏を願うモブの青年。相反する二人が交わる先には、どんな惨劇と奇跡が待ち受けているのか。
ソウタの心は、これから訪れる「国を覆う死の匂い」に、嫌なほど昂ぶっていた。




