第80話 貴族の介入、打算と誇りの交渉術
「聖者、お願いだ……父上を、母上を助けてくれ……!」
獣人国第二王女ブリュンヌが、泥と涙にまみれながら慟哭する。その光景は見る者の心を揺さぶるには十分だった。だが、ソウタの心中は複雑だった。このまま情に流されれば、間違いなく死地に飛び込むことになる。
(うわぁ……どうしよう。完全に詰んでるな。情に流されそうな自分と、冷静にリスクを計算する自分が喧嘩してる……)
ソウタが思わず半歩後退ったその時、横からシュッと影が躍り出た。モモカだ。彼女はソウタと目配せを交わすと、一切の迷いがない表情でブリュンヌの目の前に立ちはだかった。
(ひゃあ、助かった……。ここはモモカに任せよう。うん、そうしよう)
ソウタが内心で深く安堵し、モモカへと全権を委ねる。モモカは腰に手を当て、ブリュンヌを冷徹な眼差しで見下ろした。
「断るわ」
その一言に、その場が凍りついた。
「ど、どうして……!」
「何故助けると思ったの? あんたたちは私たちを拉致しようとした敵よ。町を焼き払うと脅した奴の言うことなんて、誰も信じないわ。無償で命を懸けろ? あんた、頭がどうかしてるんじゃないの」
ブリュンヌが言葉を詰まらせる。モモカの論理はあまりにも鋭く、そして正しい。
「報酬なら……報酬ならいくらでも払う!」
「信用できないわ。治した直後に捕らえて、死ぬまで使い捨ての治療奴隷にするつもりでしょう? 私、そういう汚いやり口を知っているのよ」
「そ、そんなことは……!」
その膠着状態を切り裂いたのは、周囲を囲む衛兵たちの輪の外側から現れた男の声だった。
「その報酬、私が肩代わりしましょう」
現れたのは、優雅な貴族の装束を纏った男――ジュノン男爵だった。この町の領主であり、ペスト終息の際に面会した人物だ。彼はニヤリと笑みを浮かべ、まずソウタたちに軽く会釈をすると、続いてブリュンヌ王女に深々と礼を捧げた。
「ブリュンヌ王女殿下、お久しぶりでございます」
「……ああ。ご無沙汰しております」
ブリュンヌの顔に、藁にもすがる思いの安堵が広がる。だが、ソウタはその笑顔を見て、逆に冷や汗が止まらなくなった。
(まずい……! 厄介なのが首を突っ込んできたぞ。状況がさらに泥沼化してる!)
ソウタの焦りを感じ取り、モモカはさらに気を引き締める。貴族が介入した以上、ここで曖昧な合意をすれば、後でどれほど過酷な条件を突きつけられるかわからない。
「男爵。……『何に対する』報酬ですか?」
モモカの毅然とした問いかけに、ジュノン男爵は目を細めた。
「ほう。貴族を前にして物怖じせず、核心を突くか。君、相当に場馴れしているな?」
「何の保証もないまま、死地に赴くような愚か者にはなりたくないだけですわ」
モモカの唇が不敵な笑みを浮かべる。貴族の打算と、モブとして平穏を願う少女の意地が、火花を散らしてぶつかり合う。獣人国への道は、単なる救援行から、一筋縄ではいかない政治的な駆け引きへと変貌しようとしていた。




