第75話 隔離の館、聖者の降臨
「いやダメだ。感染している可能性がある以上、強制的な隔離措置をとる。貴様らの尊厳など知ったことではない。大人しく従え」
衛兵の言葉は非情だった。モモカはもう健康そのものだ。しかし、彼らにとってはソウタたちこそが「死を運んできた疫病神」に見えているのだ。朝食のパンさえ口にさせてもらえず、強引に連行される。
ナナミは呆れたようにソウタを見上げた。その瞳が「どうする? 暴れる?」と問いかけている。ソウタは小さく首を横に振った。
(ここで武力行使をすれば、俺たちが『治療できる存在』だとバレて、もっと面倒なことになる。……隔離先でこっそり治すのが最善だ)
連行された先は、町の外れに建つ寂れた一軒家だった。中に入ってソウタは言葉を失った。そこには、すっかり魂の抜けた表情でうずくまる奴隷商リングの姿があった。
「ソウタ……! ああ、神よ……! 俺はもう終わりだ。明日には黒い痣が全身を覆って死ぬんだ……!」
リングはソウタの足元にすがりつき、獣のように泣きじゃくった。部屋の隅には、昨日対応してくれた門番や、夕食を運んだ店の従業員たちまでが震えている。自分たちと接触したという理由だけで、彼らは死を待つ身となっていた。
(……なんてことだ。俺のせいじゃない。誰のせいでもないんだ。だが、目の前で死んでいく人々を見捨てることは、どうしてもできない)
責任感に胸が締め付けられる。そして恐れていた通り、リングの身体に異変が起きた。高熱、激しい頭痛、そして皮膚に浮き上がる黒い痣。それは紛れもなく、彼らを死へ導くペストの徴候だった。次々と倒れ込む人々の呻き声が、隔離棟を地獄に変えていく。
(これ以上、見ていられるか……)
ソウタはクロリスと顔を見合わせた。精霊が小さく頷く。ソウタたちは夜の闇に紛れ、隠し持った「八尺瓊勾玉」を介して闇魔法を行使した。隔離棟全体を包むような目に見えない浄化の霧。それは人々の体内の細菌を根こそぎ喰らい尽くす、慈悲深き闇であった。
翌朝、隔離棟に奇跡が起きた。昨日まで死の縁にいたはずの者たちが、嘘のように健康を取り戻してベッドから起き上がっていた。
「なぁ……もしかして、ソウタが治してくれたのか?」
リングが呆然としながら、痣一つなくなった自分の手を見つめて呟く。ソウタは人差し指を唇に当て、小さくウィンクした。
「……内緒だよ。誰にも言っちゃダメだぞ」
「あああああ! ソウタ、あなたは俺の命の恩人です! 一生ついていきます!」
「聖者様……! いや、聖者様そのものだ!」
信者でもないはずの人々が、ソウタに向かって手を合わせ、拝み始めた。異様な光景に、ソウタは引きつった笑みを浮かべることしかできない。
そんな中、事態を察知したのか、青ざめた表情の衛兵長が、新たな病人を引き連れて頭を下げにやってきた。
「すみません……! 町中で発症者が急増しているんです。もうどうしようもありません……。どうか、どうか治療していただけないでしょうか!?」
衛兵長は、誇り高いはずの鎧を土に擦り付け、必死の土下座を繰り返した。ナナミが困惑気味にソウタを見る。
(バレる……いや、もうバレていても構わないのか? でも、タダでやるほど甘くはない)
ソウタはナナミの耳元に、そっと囁いた。
「仕方ないなぁ。……格安で対応してやることにしよう。商売だ、損はさせないぞ」
ソウタの胸には、モブとしての平穏な日々よりも、この町を救い、そして商会を味方につけるという新しい「戦略」が芽生え始めていた。




