第74話 精霊の予言と、疑念の鎖
ペストという絶望的な死の宣告を前に、ソウタとナナミはなす術もなく立ち尽くしていた。しかし、クロリスだけは窓の外の庭園を眺めるように、何気ない口調でこう言った。
「治せば良いんじゃないの?」
「……クロリス、もしかして精霊の力でペストを治せるのか?」
「いいえ、精霊の力では無理ね。あれは呪いの一種だけど、同時に肉体そのものを蝕む細菌でもあるわ。純粋な癒やしの力だけでは根絶できない」
「だったら、どうやって……」
クロリスはゆっくりとソウタに向き直り、彼の胸元――アイテムバッグの深淵――を指差した。
「え? ソウタは王国で『八尺瓊勾玉』を手に入れたでしょ?」
「……勾玉? あれはただの神器だろ。そんな機能があるなんて聞いたことがない」
「『八尺瓊勾玉』は闇魔法の源流を統べる神器よ。勾玉を媒体に闇魔法を扱えば、体内の細菌や毒素を影として抽出し、消滅させることができるはずよ」
(そんな使い方があったのか……!?)
ソウタは半信半疑ながらも、クロリスを連れてモモカの部屋へ駆け込んだ。勾玉にクロリスの濃密な魔力を注ぎ込み、彼女の助言に従って闇魔法の操作を試みる。
暗い霧のような闇が勾玉から溢れ出し、苦しむモモカの身体を優しく、しかし強制的に包み込んだ。闇の中で何かが蠢き、やがてすべてが勾玉へと吸い込まれていく。
静寂が訪れ、モモカの呼吸は驚くほど穏やかになった。
「クロリス、これって……」
「鑑定してみて。……私の魔力を少し貸すわ」
クロリスがソウタのゴーグルに魔力を流し込む。ソウタが震える手でモモカを鑑定すると、そこには「状態:正常」の文字が輝いていた。
「治ってる……! 嘘だろ、本当に細菌ごと消し去ったのか」
「ふふ、言ったでしょ? 私は森の精霊、万物の生命の循環を知っているの」
「……なぁ、クロリス。これって俺の能力というより、お前がいないと無理ってことか?」
「ええ。勾玉はあなたの所有物だけど、この使い方は私のような精霊の魔力操作が不可欠。……さて、モモカはもう大丈夫よ。部屋の掃除もしておくわ。ノミも一匹残らずね」
◇◇
翌朝、町に留まることを決めた一行が食堂へ向かうと、そこには異様な光景があった。衛兵たちが数名、宿の入口を塞ぐように立ち並んでいたのだ。
「君がソウタだな?」
一人の衛兵が、鋭い視線を突き刺す。
「はい、俺がソウタですが……」
「私はナナミです。何か?」
「昨日捕らえた盗賊たちが、檻の中で黒死病を発症した。……お前たちの仲間も、昨日から高熱で倒れているという報告が来ているんだが?」
ソウタの脳裏に、最悪のシナリオがよぎった。自分たちがペストを治療できると知られれば、次はどんな騒動に巻き込まれるかわからない。
「……いいえ、そんな人はいませんよ」
ソウタが即座に否定した直後、宿の従業員が驚いた声を上げた。
「え? でも、昨日その子は熱にうなされて……!」
従業員が指差した先には、朝食を摂ろうとしていたモモカがいた。だが、彼女は昨夜の病魔に冒された姿など微塵も感じさせない、健康的な顔色をしていた。
「……あら、私が何か?」
モモカは不思議そうな顔で、近くにいた従業員の手を掴み、自分の額に当てさせた。
「ほら、見てください。熱なんてありませんよ。昨日はただの風邪か、食べ過ぎで少し熱っぽかっただけです」
「えっ……本当に、熱がない……?」
従業員は言葉を失い、衛兵たちも困惑したように顔を見合わせた。精霊の力による奇跡。それがこの町の、あるいはこの国の人々にとってどれほど異常なことか、ソウタは冷ややかな予感と共に理解した。
(バレてはいない……はずだ。だが、この町にもペストの影は確実に迫っている)
ソウタは、この場所も早々に立ち去らなければならないと直感していた。




