第68話 決別と逃避行、雷獣が見つけた影
王城のあちこちから、勝利の咆哮と断末魔の叫びが入り混じった騒音が響いてくる。コトウハ公爵とビーカル辺境伯による鮮やかなクーデターは、実質的に成功を収めたと言ってよかった。しかし、その喧騒から少し離れた薄暗い回廊で、ソウタはひっそりと村長のコエザに声をかけていた。
「コエザさん、俺達はこのままこの国を出ます。今まで本当にお世話になりました」
老練な錬金術師であるコエザは、眼鏡の奥で目を細め、ソウタの顔をじっと見つめた。
「え? なんじゃと。……一緒にスギンビへ帰らんのか? 辺境はこれからが正念場じゃろうに」
「ええ。ですが、この先この国は間違いなく大規模な戦争に突入します。俺は戦争には反対なんです。ビーカルさんの義理も大切ですが、このまま側にいれば、断りきれずに戦場で人を殺すことになる……それだけは、どうしても嫌なんです」
ソウタは真剣な眼差しでそう告げた。前世で「モブ」として生きた彼にとって、誰かの大義のために命を奪うことなど、あってはならないことだった。コエザはしばらく黙り込んでいたが、やがて優しく笑った。
「むむ、そうか……。ソウタは本当に心優しい子だからのう。無理は言うまい。お主のような者が戦場に立つべきではないのかもしれんな。いつでも戻ってきても良いのじゃぞ、スギンビはいつだってお主の故郷じゃ」
「ありがとうございます。コエザさんには本当に救われました。薬草畑の生産体制は、採取士の皆さんで十分に回せるはずです。……みんなのことを、どうかよろしくお願いします」
「おう、任せておくのじゃ。お主が残した技術も知識も、決して無駄にはせん」
「ビーカルさんには会わずに発ちます。……会えばきっと、情に訴えられて引き留められてしまうから。……よろしく伝えてください」
「ははは、心得た。達者でな」
ソウタは深く一礼すると、ナナミやモモカたちを連れて、王城の死角となる裏門からそそくさと外へと抜け出していった。コトウハ公爵の兵士たちの視線をかいくぐり、ソウタたちの姿が王城の影へと消えていく。
それを見送っていたコエザは、ふと何かに気づいたように回廊の隅に視線を向けた。
「ん……?」
そこには、小さな影があった。チョコチョコと動く一匹のネズミ。それは、何かに導かれるようにソウタたちの後を追っていた。
「チュウチュウ」
「流石のソウタも、ライゴーの大司教様が放った『鉄鼠』の目からは逃れられんか……。さて、どうなることやら」
コエザは目を細め、去りゆく教会の密偵を見守りながら、誰にも聞こえない声で小さく呟いた。
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王都の外に出ると、そこには果てしない一本道が続いていた。ソウタたちは背負えるだけの最小限の荷物を持ち、街道をてくてくと歩き始める。ナナミが少し心配そうな顔でソウタの横に並んだ。
「ソウタ、それで……これから何処に向かうの? 本当にあてはあるの?」
「ん~、そうだな。勇者ユウキが来なさそうなところがいい。あいつとは極力関わりたくないし」
「ユウキ!」
名前を聞いただけで、ナナミは露骨に嫌な顔をした。あの勇者には、どこか鼻につく傲慢さと、周囲を振り回す危うさがあったからだ。
「多分、ユウキは今頃隣国でレベル上げのためにダンジョンに挑んでいるはずだよ。でも、この国の変革を耳にしたら、間違いなく『八尺瓊勾玉』を奪いに来る。だから、反対方向の獣人国へ向かうことにしたんだ」
「獣人国! 何だか面白そうね!」
「モフモフね!!」
ナナミとモモカが目を輝かせ、嬉しそうに手をワキワキと動かす。二人の緊張が少しだけ解けたようで、ソウタも苦笑いを浮かべた。
「いや、モフモフかどうかは分からないけどね……ケモ耳の獣人はたくさんいるだろうな」
(獣人国……ゲーム本編では、ほとんど設定が語られていなかった地だ。だからこそ、勇者一行のストーリーには関係ない『空白の地』であるはず。ここなら安全だ)
ソウタは胸元に隠した勾玉の感触を確かめ、小さく頷いた。しかし、彼が一つだけ見落としていたのは、その「ゲームで触れられていない」という事実こそが、この世界の歴史において最も深い闇を孕んでいる可能性だった。
一行がしばらく歩を進めていた時、ソウタの脳内にリャンゾウの鋭い念話が響いた。
(ソウタ、ネズミがついてくるキュ)
ソウタは足を止め、周囲を鋭く観察する。
「……ネズミ?」
(ずっと影から見てるキュ。捕獲するかキュ?)
「お、おう。頼む。正体を突き止めたい」
(任せてキュ)
雷獣であるリャンゾウにとって、ただの小動物を捕らえることなど造作もない。身体にパチパチと青白い雷光を纏うと、リャンゾウは一瞬で姿を消した。雷撃を放つ能力だけでなく、雷の速度そのものを身に宿す瞬速。それは瞬きをするよりも速い。
次の瞬間、リャンゾウはすでに元の場所に腰を下ろしていた。その口元には、ジタバタと抵抗する一匹のネズミが咥えられている。
「リャンゾウ、ありがとう。……ふむ、これはただのネズミじゃないな。耳の裏にあるこの紋様……ライゴー大司教の眷属、鉄鼠だ」
リャンゾウが咥えたネズミを足元に放り出すと、ネズミは人間のような怯え方をしながら震え始めた。ソウタはその小さな生き物を見下ろしながら、溜息をつく。
「大司教ライゴー……やはり、すべてはお見通しだったわけか。厄介なことになったな」
ソウタは王都の方角を振り返った。そこには、血に染まった王城が不気味にそびえ立っている。ライゴーが自分の逃亡を知った以上、この先の旅路は、これまで以上に慎重なものになるだろうと、ソウタは確信していた。




