第54話 矜持ある老騎士、ヤコイケの盾
メアサ男爵の野望は、些細な「報告」から崩壊への道を歩み始めた。
「メアサ男爵! リーキヤ領の商会から、回復薬が全く仕入れられないとクレームが殺到しております!」
「なに!? ヤコイケなどに大した商会など無いはずだ! 至急、あの小僧――ヤコイケ子爵を呼び出せ! 回復薬を全量献上させろ!」
「はっ、承知いたしました!」
メアサの側近、ウオハ・ヨーニユ・ウギヨは、鼻持ちならない高圧的な態度で都市ヤコイケの屋敷へ乗り込んだ。門番の制止を無視し、同行の騎士に門番を押し倒させるという蛮行を経て、彼は館の庭先にまで無断侵入する。
「貴様ら、何を騒いでおる!」
館から現れたのは、質実剛健という言葉を体現したような、筋骨隆々の初老の男だった。
「む! お主は誰だ?」
ウオハが侮蔑を含んだ眼差しを向けると、老人は怒気を孕んだ声で吠えた。
「儂はこの地の主、ヤコイケ子爵だ! 貴様、ここは貴族の屋敷であるぞ。その非礼、首を落とされても文句は言えんぞ!」
(え……? 気の弱い若造だと聞いていたが、この圧倒的な威圧感は何だ……?)
ウオハの背筋に冷や汗が流れる。
「我はメアサ男爵の使い、ウオハである。本当に貴様がヤコイケ子爵か?」
「おいおい、子爵の前だぞ! 跪け!」
ヤコイケ子爵が懐から貴族の紋章を突きつけると、ウオハはあまりの迫力に、反射的に地面へと平伏した。
「は、ははぁ……!」
「儂に何用だ!」
「め、メアサ男爵より、至急都市メアサまで出頭するようにとのお達しで……」
「なぁにぃ! 儂は子爵だ! 男爵如きが爵位が上の者に面会を命じるとは、身の程をわきまえろ! 用があるならそっちから来いと伝えろ、この無礼者が!」
ウオハは顔を青ざめさせ、這々の体で館を飛び出した。
この「新・ヤコイケ子爵」は、かつてビーカル辺境伯に忠誠を誓った歴戦の元騎士である。押しの弱いソウタから家督を譲り受けたのは、他でもない彼の願いだった。
長年守り続けたビーカルの地を奪ったリーキヤ公爵への怒り。そして、たとえ最後は力尽きようとも、この地の矜持を誰にも渡さないという決意。彼はここで死ぬ覚悟を決め、ソウタの養子として、鉄壁の盾となったのだ。
屋敷の窓から、慌てふためいて逃げ去るウオハの背中を見つめ、老騎士はニヤリと不敵に笑った。
「始まったな……」
彼の瞳には、かつて守り抜いた地を汚された悔しさと、死すら恐れぬ覚悟が宿っていた。
「リーキヤ公爵よ。貴様らのような浅ましい輩に、この地が容易く治められると思うなよ……」
一方、ウオハは都市メアサまでの帰り道を、悲鳴のような独り言を上げながら全速力で駆け抜けていた。
「ひぃぃ! なんて奴だ! メアサ男爵になんと言えばいいんだぁああああ!」
メアサ男爵という愚者が積み上げた傲慢の塔が、音を立てて崩れようとしていた。




