第52話 勇者の影と、不吉な予感
ビーカル伯爵は、ソウタの突拍子もない告白を聞き終えると、しばらく目を閉じて思考を巡らせていた。
「……あ、やっぱり信じられませんよね。無理もありません」
ソウタが苦笑すると、伯爵は目を開き、真っ直ぐにソウタを見た。
「いや、ソウタの話は信じるよ。君が嘘をつくような男ではないことは、この数年で十分承知している。私が考えていたのは、ライゴーのことだ」
「ライゴーのこと、ですか?」
「ああ。私は彼を信じている。友人として、この領地の幹部として。彼が宗教や国を襲うような人物とは思えんのだ」
伯爵の言葉に、ソウタは戸惑う。
「ですが、僕が知る物語では、彼は王国を滅ぼす災厄なんです」
「……ソウタの言葉を疑うわけじゃない。ただ、私の知るライゴーとの間に、決定的な乖離がある。何があれば彼がそこまで変わるのか、その可能性を探っていたのだ」
伯爵は、ライゴーが人間であることを強調した。しかし、ソウタは引き下がれない。
「ライゴーの正体は、強大な魔物である『鉄鼠』なのです」
「いや、彼は間違いなく人間だ。私が長年連れ添った親友なのだから、間違いない」
そこまで言い切る伯爵に、ソウタははっと息を飲んだ。
(そうか、人間が魔物に食われたのか、あるいは魂を乗っ取られたのか……。前世のゲームでは、彼が人間だった頃の記憶なんて、ほとんど描かれていなかった)
伯爵は思案顔で呟く。
「……もしも、ライゴーが国に殺されるような事態になれば、その怨みから彼が大切にしていた従魔の大鼠が暴走する……という線なら納得がいく。彼が死に際に残した怨念を、鼠たちが『ライゴー』という名を名乗って晴らそうとしている、とすれば……」
「なるほど、それなら辻褄が合います。僕の前世の記憶でも、ライゴーの正体が人間だった頃の記録は曖昧でしたから」
伯爵は寂しげに微笑んだ。
「ライゴーは私の掛け替えのない親友だ。ソウタのことも高く評価しているし、孤児たちの雇用にも感謝していた。……どうか、彼と争う事態だけは避けてくれ」
「はい。私も彼が良い人だという事実は感じています。争うつもりはありません」
一息ついてから、伯爵が苦笑する。
「しかし、この転封騒ぎも君の前世の物語には無かった話だな。物語とは、どこかで歯車が狂っているらしい」
「はい。僕が採取士ギルドを立ち上げ、回復薬を流通させたことで、運命が変わり始めているのかもしれません」
ソウタはふと、前世のゲームで聞いた名前を思い出し、勇者のことを尋ねた。
「……勇者ユウキの動きは、物語通りなのですか?」
「ユウキを知っているのか? そうか、隣の家に住んでいたんだったな」
「はい。あいつの今の状況が気になって……」
伯爵は険しい顔になった。
「ユウキは非常に強い。王都周辺のダンジョンを次々と攻略している。だが、随分と自分勝手で我が儘な男だぞ。ダンジョンを復活不能にして破壊したり、国王の制止を振り切って魔王討伐の実力をつけると言い残し、勝手に出国してしまった。今やどこにいるのかも分からん」
「ははは……変わってないな、あいつ」
ソウタは乾いた笑い声を上げた。
「嫌な予感は的中ですね。実は、僕は以前彼に殺されそうになったんです。大嫌いだし、できれば二度と会いたくない。だからこそ、動向が気になったんです」
伯爵は「なるほどな」と頷き、複雑な表情で窓の外を見た。
物語の登場人物たちが、誰の意図とも知れぬ力で運命を狂わせていく。そして、その狂った歯車の中で、ソウタという異物だけが、着実に力を蓄えつつあった。
(鉄鼠と勇者――。この二つの災厄が再びこの地で交わるとき、本当の地獄が始まるのかもしれない)
ソウタの背中に、冷たい戦慄が走った。辺境へ向かう決意が、より一層強固なものへと変わった瞬間だった。




