第39話 迷宮の深淵、静寂を裂く閃光と空振りの美学
地下迷宮『翠露の迷宮』の最深部。湿った冷気と、かすかに混じる花の香りが、ここがダンジョンの心臓部であることを告げている。
ソウタと、その足元で警戒を怠らない雷獣リャンゾウは、予想を遥かに上回るスピードでラスボスの部屋へと続く扉の前に立っていた。
「……着いたな」
ソウタは小さく呟き、鑑定ゴーグルのレンズを拭う。
この速さで到達できたのは、ソウタの記憶の片隅に眠っていた「迷宮の悪意」とも呼べる法則を思い出したからだ。このダンジョンの設計者は、徹底して人間の心理を逆手に取る罠を仕掛けていた。二股に分かれた道では必ず狭い方を選べ。一見すると安全で視界も広い広い道は、モンスターとの交戦を前提とした誘引罠に過ぎない。
ただ、一つだけ例外がある。この最深部、地下10階の分岐点だけは「広い道」が正解なのだ。一度狭い道を選ばせ、油断した冒険者に「次は広い道が罠だろう」と疑心暗鬼を抱かせた末に、正解を隠す――。まさに、人を食ったような仕様である。
「設計者に会ったら文句の一つも言ってやりたいところだが……今は先を急ごう。リャンゾウ、準備はいいか? ラスボスはエルダートレントだ」
『キュイッ!』
リャンゾウが鋭い鳴き声で応える。ソウタは大きく息を吸い込み、重厚な扉に手をかけた。
ギィィ……と、金属と石が擦れる耳障りな音と共に、扉が開放される。
そこには、眼を見張るような光景が広がっていた。地下深部だというのに、視界を覆うほどの広大な草原。その中心には、天を突き刺すかのように巨大な一本の大木が鎮座している。
だが、ソウタは浮足立たない。この空間の広がりが「魔法による虚像」であり、実際に攻撃が届かない透明な壁が周囲を取り囲んでいることを知っているからだ。
ソウタは扉を開けるや否や、最小限の動きで扉の脇へと身を引いた。ここだけが、エルダートレントの鞭のような枝が物理的に届かない「安全地帯」なのだ。
大木の中心部、人面のような節がうねり、巨大な眼がゆっくりと開かれた。地響きのような唸りが空気を震わせる。
「ほっほっほ、よくぞここまで到達したのう。脆弱なる人間よ。しかし、ここがお主達の永劫なる墓場となる。我が枝の糧となり、土へと還るがいい。おーほっほっほ!」
その高笑いと共に、エルダートレントの枝がまるで生き物のように蠢きだした。ヒュンヒュン、と風を切る鋭い音。それは鞭というにはあまりに太く、猛烈な殺意を孕んだ破壊の奔流だった。
「まあ、常識的な手段で挑めば、あの枝の猛攻を掻い潜るなんて不可能だろうな……」
ソウタが冷静に分析する横で、リャンゾウがふいっと前へ出る。
『そうだろうキュ。だけど、オレにとっては問題ないキュ』
次の瞬間、リャンゾウの身体が眩い光に包まれた。
それは雷獣としての真なる閃光。視認することすら困難な速度で枝の隙間をすり抜け、狙い違わずエルダートレントの核を撃ち抜いた。
ドォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波と共に、大木から悲鳴にも似た音が響く。
「ほげっ!?」
断末魔の声を上げ、あれほど誇らしげだった巨大な体躯が、見る見るうちに黒焦げになって崩れ落ちていく。
それと同時に、広大な草原を見せていた幻影魔法が霧散した。
目の前に広がっていたのは、日光も届かない、質素で薄暗い洞窟の土壁。先ほどまでの壮大さはどこへやら、虚無的な静寂が戻ってきた。
「さてさて、目的の品を探さないとな。お宝はどこかな?」
黒焦げになったエルダートレントの死骸を、ソウタは迷いなく探る。枝の残骸を払い除けると、そこには魔石と共に、鈍い光を放つ木製の杖が転がっていた。
鑑定ゴーグルを起動し、リャンゾウから魔力を流し込んでもらう。レンズの向こうに表示される情報――『豊穣の杖』。その文字を確認した瞬間、ソウタは思わずガッツポーズをした。
「これだ! これだよ! 『豊穣の杖』、取ったどぉー!」
ソウタが杖を天高く掲げると、リャンゾウも嬉しそうに飛び跳ねる。長年のゲーム知識と、今の実力が実を結んだ瞬間だった。
「よし……さて、ここで終わらせる気はない。ダンジョンマスターと御対面と行こうか」
ソウタは奥の空間をじっと見詰める。扉の先には、まだ隠された真実がある。
「どうせ見てたんだろう! 隠れてたって分かってるんだぞ!」
ソウタは大声で壁に向かって叫んだ。
「そこにお前がいることは知ってるんだ! 隠れていても無駄だぞ!」
ソウタは確信を持っていた。そして、胸ポケットから取り出したゲーム時代の秘策、裏技を実行に移す。豊穣の杖の先端を、ボス部屋の奥深くへと真っ直ぐに向ける。
「──枯れろ!!」
魂を込めた叫びと共に、魔法のコマンドを唱える。
ゲームでは、この言葉一つで正面の大木が朽ち果て、ダンジョンマスターの部屋へと続く隠し扉が現れるはずだった。
……しかし。
シーン、と静まり返るダンジョン内。
正面の大木は枯れるどころか、ピクリとも動かない。冷ややかな空気がソウタの背筋を流れる。
「……あれ? 何で何も起きないんだ?」
リャンゾウが呆れたような視線を向けてくる。
『……魔力を流さないとダメなんじゃないのキュ? ただ叫んだだけで魔法が出るわけがないキュ』
その指摘に、ソウタの思考が停止した。
(そ、そうか……。そうだよな、魔法だもんな……)
杖を天に突き上げ、必殺のポーズでドヤ顔を決め込んでいたソウタの身体が、石像のように固まる。杖を構えたまま、顔が限界まで赤く染まっていくのが自分でも分かった。
誰も見ていないはずの迷宮の最深部で、これほどまでに恥ずかしい失敗があるだろうか。心臓が早鐘を打ち、あまりの恥ずかしさに消えてしまいたい衝動に駆られる。
静寂が、ソウタの顔の熱さをより一層際立たせていた。




