プロローグ 無知なる姫
——神聖の姫。それは、いったい何? わたしが、神聖姫? どうして? 誰が決めたの? 神聖姫。それは、誰? わたしは? 誰? 神聖姫なの? 氷の檻、閉ざされたまま。星の呪縛、全てを消さんと雨を降らせる。黒き雨を。星は、何が望み? 救いじゃないの? 破壊が望みなの?
星の望み。人の世の望み。破壊と救済。来る日は導きのみ知る。
それは、誰が、決めるもの?
神聖姫、そう。わたしは、神聖姫。誰が決めた? 何も知らない。それが、神聖姫。
おかしな事。神聖姫の記述には、わたしはいない。みんなはいるのに、わたしはいない。わたしだけが、神聖姫じゃない。
旧神聖語を読み解いた。それでも、それは見つからない。見つけられない。なら、わたしはいったいなんなんだろう。誰か、その答えを持っているんだろうか。わからない。わからない。
わたしは無知の、神聖姫。全てを忘れ、全てを消した。無知で無垢なる愛の姫。
そう。わたしは、愛の姫だ。愛の姫。誰が、わたしを愛の姫と呼んだ? わたし? 誰?
わたしは誰? 本物のわたしは、誰なの? 誰か、知っている? 誰が、知っている? 教えて。わたしは、誰なの? 誰か、教えてよ。わたしが誰か。誰か、答えて。わたしは神聖姫だと。
わたしはわたし。誰かが言った。
わたしは、神聖姫。誰も、言わなかった。わたしはわたし。なら、そのわたしは何者だろう。誰も、その答えを持っていない。
神聖姫は、望むもの。星を守護するもの。
わたしは、何を望むんだろう。何を見ているんだろう。
夢を見た。優しい空間。そこで見る夢。とても優しく、柔らかい。一時の、愛情。続く事のない、偽りの存在。目を覚ますと消える、ふわふわ。
愛の姫。それは、なんだろう。全てを愛する姫? 全てに愛される姫? どちらにしても、わたしじゃない。どちらにしても、わたし。
エレシェフィール・ノーヴァルディア
そう。それは、鍵。わたしである鍵。わたしでしかない。それを知らせる、鍵。
奏でよう。愛の歌を
愛を、捧げよう。大いなる愛を、愛するもののために。それが、全てを塗り替える。
わたしはわたし。そう言える。
偽りの姫エレシェフィール
ねぇ、今のわたしは、何を知ってる? 何を、見ている? 何を、願っている。知らない。知れない。でも、知りたい。
わたしはね、最後に願ったのは
空色とピンク色の部屋の中。神聖姫は、一人だった。
古い文字。旧神聖語で書かれた言葉。日記帳に書かれている、神聖姫の知らない記述。
神聖姫は、まだ旧神聖語を読み解けない。だが、声が聞こえてきた。神聖姫の頭の中で響く声。愛らしくも、儚い声。
「エレシェフィール・ノーヴァルディア」
何もない。何も起きない。
神聖姫は、ソファに座る。ぽたん、ぽたん——水が落ちる。この水滴は、なぜ落ちるのか。
神聖姫には、理解できない現象だ。
神聖姫は、両手で水を拭う。
「最も大事な事。それは、神聖には役割がある。姫にも、役割がある。わたしは……」
知りたい。その想いは、神聖姫の中にも存在している。だが、神聖姫は、何も知る事ができない。なぜ、その疑問に答える者はいない。この空間には、誰も存在しない。神聖姫を除いては。
額の上に乗る右手。天井に向かう視線。流れゆく時間。
「……」
神聖姫といえど、何も知らないただの少女。ただ、人よりも少しだけ、結界術が使えるだけ。防御の術が使えるだけ。神聖力に敏感なだけ。神聖力との親和性が少しだけ、高いだけ。ただ、それだけ。
コンコン
今日の神聖姫は、誰も招いてはいない。招かざる客。来るのはたいてい、愛の神聖。
「神聖姫様、ちょっといいか? 」
低い声。神聖姫様と呼ぶ声。招かざる客は、珍しい客。
「アディ? うん。いいよ」
赤髪の青年。炎の神聖。
「シェフィみたいに、紅茶、淹れられないけど、座って……なんなら、アディが入れてくれればいいんだよ? 」
「……紅茶、飲めんのか? 」
「ううん。でも、お砂糖いっぱい入れれば、飲めるよ」
一人でなくなったから、悩みを忘れる。神聖姫には、姫である事。それが、重要ではない。そういう事なんだろう。
「……もう夜だ。ミルクでもあっためてやんよ」
「うん。ありがと」
炎の神聖が、紅茶とミルクを用意する。その間、ずっとソファに座る神聖姫。
まるで、自分は関係ないと言わんばかりに。
温かいミルクの入るカップ。両手で持とうとするが、熱くてすぐに離す。
「あちゅっ⁉︎ 」
「あっためてきたばっかだかんな」
「ふぅーふぅー。」とカップを冷ます、神聖姫。視線は向かいに座る、炎の神聖。
「用件、聞くよ。この時間に入ってきたが最後、寝るまで逃さないけど」
一人で寝たくない。そんな時に現れた炎の神聖。神聖姫は、この好機を逃さない。
「明日、儀式を行う方を決める。一応、エレにも言っとこうと思ってな」
「甘いですな、アディさん。用件を言うまでが、お仕事でしゅの。エレえらい。えっへん」
「あめぇな、エレ。そう言ってるエレも、姫抜けてっぞ」
神聖姫が、はっと驚く顔をする。顔を見合わせる。
笑う二人。
「でもでもぉ、今からは、お仕事終わりお時間。アディ、カップが……カップが冷めない」
「そのうち冷めんだろ。それより、宿題終わったんか? 」
「まだ。わかんないから。アディ、教えて」
神聖姫は、ノートと本を持ってきた。白紙のページ。
神聖の役割について。自分の意見をまとめる。そのために、まずは役割について知る。神聖姫は、そこで止まっている。
炎の神聖に涙を見せる神聖姫。
「神聖の主な役割は、加護の付与。それに、魔聖と共に星の守護。姫は、加護の付与がない。代わりに、星の歴史の守護を任されてる。つぅ感じだ。理解できてっか? 」
神聖姫は、こくりと頷いた。ここまでは理解できている。だが、理解できていないのはその後。神聖それぞれの役割の部分。
「神聖のそれぞれの役割がわからないの」
「……エレ、愛の神聖の役割は? 」
「愛の加護を与える事」
堂々と答えられる。何を言っているんだという顔すら見せる。それが、神聖姫だ。
「……なら、希望の神聖は? 」
「希望の加護を与える」
「俺様……炎の神聖の役割は? 」
「炎の加護を与える」
全ては、知っている事。だが、神聖姫は知らないという顔をする。何も、気づいてなんていない。
「……エレ、答え、言ってるよな? 気づいてねぇんか? 」
「みゅぅ? ……わかんない? わかんない」
答えを委ねる神聖姫。
炎の神聖は、それでも付き合う。神聖姫が、理解できるまで教え続ける。
「……ふぁぁ……ねむ……明日にしない? お勉強するの」
「……エレがねみぃんなら、しかたんねぇか」
何も、答えは出ていない。神聖姫の事も、神聖の役割に事も。だが、本能に逆らう事などできない。
炎の神聖が、神聖姫を抱き上げる。ベッドの上に寝かせられた神聖姫。
「……お勉強、起きたらやらないとなんだよね? 起きたら……お勉強したくないの……お勉強、や……アディ、やっぱり代わりに」
「ダメに決まってんだろ……エレ、ノートから何か落ちてっぞ……神聖達、観察記述? 」
炎の神聖が拾ったのは、手帳。
「ふぇ……そ、それは、みちゃだめ! 」
「なら、落とさねぇようにしとけ」
神聖姫は、炎の神聖から、手帳を返してもらう。その手帳を開く。炎の神聖の欄に、こっそりと書き加える。
優しい。素直。なのに、お勉強は代わってくれない。と
「……エレ、何も知らないけど……でも、みんなの事を誰よりも知ってるようになりたいの」
何も知らない姫。何もしれない姫。それでも、神聖姫は、知ろうとする。今日も、この先もずっと




