3話 偽りの婚約者
寝る前の言葉でフォルとの距離を感じたまま、婚約発表の日を迎えた。
早朝、気持ちよく寝ている中ゼーシェリオンに起こされたエレシェフィールは現在身支度をしてもらっている。王宮暮らしだったが今までの生活では使う事などない見るからに高級な洗顔料などが机の上に並ぶ。それが全てエレシェフィールに使われている。
「……ねむ……」
強制的に起こされたのだ。眠いに決まっている。とでも言いたげに目を擦ろうとするエレシェフィール。だが、動かした右手を顔に向かう前にゼーシェリオンにに掴まれた。
「俺の努力無駄にするな。今触ると髪乱れるだろ」
まだ髪は整えていない。なんなら寝癖が目立っているのが鏡越しに確認できる。
無理やりとはいえ世話をしてもらっている立場、それを考えればこの程度は仕方なし。エレシェフィールはおとなしく両手を膝においた。
「そろそろドレスに着替えるか。エレ、立て」
一言も言葉は発しない。嫌々と立ち上がる。
ゼーシェリオンが手に持つドレスは空色のシンプルなドレス。目立ちはしないが、記事へのこだわりが見られる。現在では使われていない希少な素材が使われている。軽くて肌触りがいい。
このドレス一つでエレシェフィールをどれだけ大事にしているのか伝わる逸品だ。
「すごい。でも、意外」
「ドレスで目立たせようなんて思ってねぇんだろ。それと座れ」
本来なら寝ている時間から始まったこの強制身支度への小さな反発とでもいうのだろうエレシェフィールはゼーシェリオンをひと睨みしてから座る。
「……なぁ、いくら立たせたり座らせたりしてるからってそれはねぇだろ。俺好みの髪型にするぞ」
エレシェフィールは鏡越しにゼーシェリオンを見る。「ふぁぁ」とあくびをするとそっけない態度を見せる。
「どうぞご勝手に」
ただでさえ機嫌が悪い中で追い討ちのような命令。それにさらに追い討ちをかける事がおこる。
「まだ終わってないの? 」
記憶にある大切な人よりは低い中性的な声。エレシェフィールは扉の方に駆け寄りたい衝動に駆られる。だが、ゼーシェリオンがそれを許さない。
鏡越しに見えるフォルの仕事着。見るのは数千年ぶりだ。
「むぅぅぅ」
エレシェフィールは手足をバタバタと上下に振る。だが、ゼーシェリオンは急ごうとはしない。
「終わった。少しくらいおとなしくしてろ」
ようやく許可をもらえる。身支度を始めてから一時間は経っている。
エレシェフィールは立ち上がってフォルに抱きついた。
「……みゅ」
フォルから独特な花の香りがする。誰も寄せ付けないほど高貴でありながら、どこか優しい香り。エレシェフィールはフォルの香りを嗅いで心を落ち着かせている。
「また見れてうれしい」
「……僕はもう二度と着る気なんてなかったよ」
エレシェフィールはフォルから離れて笑顔を見せる。
「約束なの。フォル、エレのエスコートよろしく」
「うん。ゼロはサポートよろしく」
エレシェフィールはフォルと手を繋いだ。婚約会場となるリブイン王国に転移魔法で向かった。
煌びやかな雰囲気。大量の宝石の装飾。高級なシャンデリアが会場を明るく照らす。参加者は華やかな衣装に身を包んでいる。
そんな中で主役と言わんばかりの男女一組が中央に立っている。
「観念しろ! キサマの悪事は全て調べている! 彼女へのいやがらせに国家反逆の企み、覚悟はできているんだろうな! 」
エレシェフィールが入ってくるなり男の方が声を荒げる。半監禁状態で誰とも会わせてもらえずどうすればそんな事できるんだ。何かの本を読んで、それを台本に演技しているのか。色々とツッコミどころはある。
だが、本人達はいたって真面目のようだ。
「……そんな事できるわけないでしょう。わたしはこの国に拾われてから一度もあの鳥籠の外に出してもらえなかったんですが? しかも、翻訳魔法使わないと言葉すら理解できないんですよ? 教育すらまともにさせてもらえなかったんですから。それなのにどうすれば国家反逆なんて企てられるんですか? 」
まるで恋愛小説の一説のような台詞に呆れを隠せていない。それでも、エレシェフィールが真面目に返しているのは隣にいる相手のため。
「出鱈目を言うな! 証拠があるんだぞ! しかも懲りもせず婚約者がいるというのに他の男を連れてくるなど言語両断! キサマとの婚約は破棄して牢にぶちこんでやる! 」
エレシェフィール達が会場内の注目を浴びている。ひそひそと話をしている姿が見られる。その話の内容はエレシェフィールを非難するものだ。
当の本人はそれに動じる事はない。
「婚約? なんの事ですか? わたしは婚約なんてしておりませんよ? そもそも、婚約は本人の署名がなければ成り立たないというのがこの世界の決まりでしょう? わたしは一度もそれに署名しておりません」
何も知らない姫と称される事の多いエレシェフィールだが、本当に必要な事に関しては記憶している。
「というかわたしは婚約者持ちです。婚約者がいる相手をむりやり婚約させるなどあってはならない事なのではないでしょうか? 」
隣にいるフォルに抱きつく。そのそぶりで、エレシェフィールの婚約者は誰なのか。この会場内でわからない者はいないだろう。
エレシェフィールと対面している恋愛小説ごっこのような二人組が動揺を見せる。大好きな恋愛小説にはそんな状況が書かれていなかったんだろう。
「婚約者持ち? そんなわけないでしょ! アンタのようななんの魅力もない女に婚約者なんているわけないでしょ! 見えを貼りたいからって嘘つくんじゃないわよ! 」
男の隣にいた女が声を荒げる。
「なんで……なんで、なんでうまくいかないのよ。私は特別なのよ! みんなが私を好きになって私にだけ忠誠を誓う。愛の姫なのよ! なのになんでこの女の味方をする人がいるのよ! ……この世界の住民は全て私の味方なんでしょ! 」
女から真っ黒い霧が溢れ出す。その霧が隣の男を包み込んだ。霧は会場内を覆い尽くそうとしている。エレシェフィールは急いで防御魔法を使った。
幸いにも会場全域が被害に遭う事はなかった。だが、女の隣にいた男だけは霧の被害に遭い虚な目をしている。
「……禁呪……ふぇ」
突然身体の力が抜ける。自分の力で立つ事すら出来なくなる。発作の影響が出ている。
フォルの支えがなければエレシェフィールは膝をついていただろう。目の前の二人組の大好きな恋愛小説のワンシーンのように。
「禁呪の影響がなくても、君にあの魔力は毒なんだよ。気をつけな」
大量の魔力は毒だ。特に汚されているものほど、エレシェフィールの身体を蝕む。
フォルの腕の中にいるエレシェフィールは魔力の放出まで彼にしてもらっている。
「なんで……なんでその女を守るのよ! 」
女の怒鳴り声。ようやく異様さに気がついた会場内の貴族達が女から距離を取ろうとしている。
「咄嗟の判断は良かったよ。それに婚約の知識も評価してあげる。でも、詰めが甘かったね。結界で魔力を完全に遮断するとかしないと」
「……みゅぅ」
今にも意識を手放しそうな時に放たれる言葉。褒めるべき点を言っているだけいい方だろう。エレシェフィールでなければこの評価ではないだろうから。
会場の雰囲気を無視したかのような穏やかなフォルが、ぼやけた視界に映る。
「まぁ、及第点ってとこかな」
髪が乱れないように気遣いながら頭を撫でる手は優しく、心の奥底に隠そうとしたエレシェフィールの不安を消し去る。
「それと、ごめん。結末を見せてあげられなくて」
「いいの。疑ってないから」
「そっか。おやすみ、お姫様」
淡い光がエレシェフィールを包む。睡眠魔法をかけられ眠る。発作の影響を忘れて。




