2話 優しさの形
信じてみる。エレシェフィールがそう宣言して数十分。ゼーシェリオンが用事があると言って部屋を出ていった。
一人残されたエレシェフィールは、窓の外をずっと見つめている。
ゼーシェリオンが出ていってからは早二時間。帰ってくる気配なし。次第に募る不安は一人でいるせいなのだろう。
「……」
誰かを探しに行こうと考えはした。だが、疲れた身体を包み込む柔らかいベッドから離れがたい。桃色と空色の高級家具達と共に過ごす事を選んでしまう。
「……っ⁉︎ 」
カタッと扉が閉まる音が室内に響き渡る。エレシェフィールは反射的に扉の方を見た。そこにいたのはエレシェフィールが求めていた人物。大量の本を両手で抱えている。
エレシェフィールの視線は青緑髪の少年ではなく、大量の本にある。
「……エレに本の複製やらせるの? 」
それはエレシェフィールが少し前にいた場所でやらされていた事。エレシェフィールはじっと青緑髪の少年を見つめる。
「違うよ。これは全部僕の仕事道具。必要な資料とかだよ。自分の部屋で仕事していたんだけど、なんか全然進まなくて。場所が変われば気分も変わるかもしれないから、ここで仕事していいかな? 」
困ったように笑う青緑髪の少年。エレシェフィールはその問いに答えるべきと頭では理解しているが、言葉なく何度も大量の本を見てしまう。
「……お仕事大変そうなの。一緒にいて欲しいから……お仕事ここでしていいよ」
エレシェフィールはぽんぽんとベットの上に来てと彼を招いている。青緑髪の少年が薄桃色の小さな机をベッドの側に運んでいる。
小さな机に大量の本を全て置くと、エレシェフィールの隣で座った。
「これでも少ない方だよ。ああ、そうそう。フォル・リアス・ヴァリジェーシルってまだ名乗っているからそれでよろしく」
エレシェフィールは彼をフォルと愛称呼びしているから問題は何もない。エレシェフィールはこくりと頷く。偽名を名乗る青緑髪の少年フォルが、左手をエレシェフィールの頭の上に乗せた。エレシェフィール大好き頭撫でタイムだ。
二分ほどでフォルの左手が離れる。エレシェフィールは口を尖らせて両手で先ほどまで撫でられていた頭に触れる。
だが、催促はできない。フォルが暗号のような文字が連なる報告書らしき書類の確認を始めている。
エレシェフィールは横から見ているが、一文字も解読できない。
「……エレにもお手伝いできる事ないの? お手伝いできる事あるならがんばる」
上目遣いで両手をフォルの膝の上に置く。
出会った当初は捨てられないため。今はそれ以上に、褒めて欲しいから。
そのためにエレシェフィールは、自ら進んで手伝いを志願する。
「……なら、リブイン王国で二日後に行われる婚約発表に参加してくれる? 」
「リブイン? 」
エレシェフィールはきょとんと首を傾げている。
「君が少し前までいた国だよ。婚約発表、二日後に控えていたでしょ? ……翻訳魔法使ってなくて理解していなかった? 」
フォルやゼーシェリオンはエレシェフィールに合わせてくれている。だが、外の世界は彼女に優しくはない。現代の共通言語を知らないエレシェフィールの事などお構いなし。
知らない言語ばかりで話される言葉を何も理解していないエレシェフィールは、自分の置かれている本当の状況にすら気づく権利もなかった。
今までは
「あの写本は金稼ぎの道具だよ。君はずっと道具として扱われてきたんだ。婚約も、君を道具として扱ういい状況を作り出すためのもの。あのままだったら、牢獄の中で君は一人金稼ぎの道具として永遠に使われていた。誰にも知られずに」
残酷な事実に表情を変える事はない。そんなエレシェフィールに同情する事なく、ただ淡々と事実だけを口にするフォル。
「あそこは居場所じゃなくて、世界と同じだったんだ。エレの居場所って全部」
「嘘だらけだよ。あそこも、ここも。何も変わらず嘘だらけの居場所だ。まぁ、僕らは君の居場所を奪わない。道具として扱っているわけじゃない。そこは違うのかな」
穏やかに笑うフォル表情はどこか寂しそうに見える。エレシェフィールは、両手でフォルの右手を握った。
「違う……違うよ。あそことは全然違う。ここは……ここは……エレを始めて……エレに偽物以上の居場所をくれた、場所、だったから……初めてで……エレの……大事な居場所だよ…………全部……全部違うよ」
何度も何度も言葉に詰まる。それでも、正面から言葉にして伝える。
長いようで短い空白の時間が二人に流れる。何回視線を外そうとしたか。それでもずっとフォルから視線を逸らさない。
「……そっか。ありがと……そこまで、大切に想ってくれてたんだ……せめて、その想いに応えるためにも、いい加減覚悟決めないとなんだよね。エレ、僕の事信じてくれる? 」
その選択一つで全てが変わる瀬戸際の時。フォルの表情からそれを感じ取ってしまう。エレシェフィールはこくりと頷く。
その答えがどんな未来へ行き着くのか。何も知らないまま、今の想いに従う。
「……ありがと。約束するよ。たとえ世界を騙してでも君を守るって」
エレシェフィールはわずかに表情を曇らせる。守られたいけど守られるだけは嫌だ。自分が守りたい。二つの想いの中にいる以上、その言葉に素直に喜べるようにはならないだろう。
だが、その想いを今ここで伝えるわけにはいかない。
それを理解している以上何もいう事ができず、ただ涙ぐんでいる。
「……今すぐに変える事なんてできないよ。数千年間ずっとそうして生きてきたんだ。全てを割り切れるほど強くなんてないから。でも……それでも、君に悲しい想いをさせたくはないっていうのはほんとの事だよ」
「……」
「……もし、信じてくれるならこの件が片付いた後、前回の事、決着付けにきてくれる? 君の答え、ちゃんと聞いたら諦められるかもしれないから」
フォルの右手がエレシェフィールの左手に触れる。揺れる翠色の瞳はエレシェフィールを見ているようで、他の誰かを見ている。
「……うん。ちゃんと伝える。ずっとフォルに守ってもらうためにも。エレの想い、伝えるよ。だから、フォルの想いもエレに教えてね? 」
エレシェフィールは、フォルの頬に口付けをした。頬を真っ赤にして上目遣いでフォルを見つめる。
「エレ、愛の神聖の代理がんばる。いつか一緒にいられる時、みんな一緒で笑えるために。いっぱい、褒めてもらうために」
現在のエレシェフィールにもわずかに残っている大切な人の記憶。靄がかっている記憶の中で、今のエレシェフィールに少しだけ似ている少年の泣き顔。何を言っていたのか。全て思い出す事はできない。だが、謝っていた気がする。
そうなった全ての原因はエレシェフィール自身にあるというのに。
「……落ち込んだ時はねむねむなの。フォルも一緒に寝るの」
「えっ、僕仕事」
「急ぎじゃないんでしょ。ゼロに言われたんでしょ。エレがフォルと離れたくないって言っていたとか。エレにだってそのくらいわかるの」
エレシェフィールは得意げな表情を見せる。フォルがため息をついて書類をまとめている。関係ないと理解していても諦め顔のフォルの表情を見るだけでエレシェフィールは胸を締め付けられる。
「……エレ、ちゃんと代役できるのかな……なんでもないの。ねむねむだから、おやすみ」
漏れ出る本音。それを隠すようにフォルに背を向ける。抱き枕をギュッと握って顔を隠す。
「君はちゃんとそこに関わる重圧を理解してるんだ。それだけで十分だよ。それすら理解できないようなら、誰も本気でついていこうと思わない」
「……」
フォルの温もりが背中から伝わる。
「君は、僕らとおんなじになんてならないで。僕らのようになろうなんて思わないで」
「……どうして……エレが、複製品だから? 」
抱き枕で声が籠る。籠った声で泣いているのは隠せている。
フォルがその気ではなくとも、その言葉はエレシェフィールには偽物だからと拒絶する言葉にしか聞こえていない。
「僕らが神聖だからだよ。僕らは神聖として、知りたくない事だって知ってる。誰も、僕らとおんなじになってほしくない。なれはしない。でも、理解者になってくれるとは思ってる」
どんな言葉を聞こうと、複製品とフォル達に対する埋められない溝にしか感じられない。エレシェフィールは、寝たふりをする。
「……ごめん。でも、君に僕らの痛みも苦しみも知ってほしくないんだ」




