1話 偽りの居場所み知らない答え
――エレはもう、誰も愛さないの。
記憶のない少女の中にあるのはその言葉だけ。
懐かしくなるような薄暗さ。そして狭い部屋。ここは少女を閉じ込めるためだけの部屋。
少女はその静かな部屋で固い椅子に座り筆を握っている。
少女はこの狭い部屋で毎日毎日、本の複製を行なっている。それはかなりの金になるらしく、ここリブイン王国はその複製本を売る事を財源にする事で豊満な富を手にしている。少女にはその恩恵は一切なく、具体的にどれだけ豊かになったのかを知る由もない。
「……ひと休憩なの」
少女はキリのいいところまで本の複製を進め、椅子の背もたれに寄りかかった。
少女は家具が目立たないほど本が積まれている部屋の中を見る。寝る間を惜しんで複製を進めていても終わる事がない。むしろ増え続ける本の山。
本は嫌いじゃない少女も、ここまで本だけの空間にいると本を嫌いそうになってきている。それでも、生きるためには今はここで複製をし続けるしかない。
その事実にため息を吐きそうになる。
「……お散歩の時間」
豊かさによる恩恵ではないが、少女が本の複製を自分の意思で続けるために決められた道だが散歩が許されている。時間も決められており、決して自由ではないが、それでも少女の唯一の楽しみとなっている。
少女は身支度を済ませて部屋を出た。
少女が外へ行くまでの道は誰もいない。ここは華やかな王宮の中。だが、少女が通る場所は王族は勿論使用人でさえ通らないようにしている。
少女は、静かな廊下を歩いた。
「……」
外へ出て、少女は空を見上げた。青い空はいつも変わらずに少女を見下ろしている。その空への違和感も、虚しさも、全ては記憶の奥底にある何かが原因なんだろう。
少女は空に手を伸ばした。届くはずがない、見えもしない光を手に取ろうと。
「……また」
少女の視界が歪む。少女が患っている魔力疾患の症状の一つだ。
少女は薬をポケットから取り出そうとするが入っていない。いつも忘れずに入れているが、今日に限って忘れたのだろう。飲まなければどうなるかわからない薬を忘れたにも関わらず、少女は焦る事なく全てを諦めた目でその場にとどまっている。
次第に立っている事もできずに座り込む。
「……っ⁉︎ 」
ここは誰もくるはずがない場所。なのに、人影が少女を包んだ。あるはずのない温もりを感じた。その温もりが少女の発作を和らげた。
「……なんで、こんな事してんだろ」
少女に温もりをくれた特殊なベールで顔を隠して少年。少年が、僅かに戸惑っている声色でそう言った。
「わかん、ないよ……なんで……なんだろ」
無意識に発した言葉。記憶と共に失くしたはずの感情が湧き上がるように涙が溢れる。
その涙が、少女に諦めきれないものを思い出させた。
「お姫様、僕とこのどうしようもない運命の中踊ってくれる? 」
「……踊るのはきらい。踊らないといけなかったとしても」
少女は顔を隠した少年を見る。涙を拭いて、覚悟を決めた瞳を少年に向けた。
「足掻き続けるの。たとえ叶わない夢だとしても。それが、エレシェフィール・ノーヴァルディア・エンシェルトとしての生き方なの! 偽りの愛の姫なの」
「そうか。うん。良いよ。付き合ってあげる。いつか終わる偽りの時間を」
少年が顔を隠す特殊なベールを取った。全てを隠した穏やかな笑顔を見せる青緑髪の少年が少女の髪に花飾りをつけた。
「転移魔法使うけど、大丈夫? 」
「うん」
青緑髪の少年が転移魔法を使った。淡い光が少女と青緑髪の少年を包み込む。
光が消えると場所が変わる。今の少女には縁のないような広い部屋に高級家具。青緑髪の少年が少女を抱き上げて、ベッドの方へ向かった。
ベッドの上に寝かせられた少女。そのベッドは職人がこだわりこだわった最高級品なのではないかと言いたくなるふかふかさだ。
少女は青緑髪の少年に見向きもせず、ベッドを堪能している。
「……今日はとりあえずゆっくりしていて。なぜか記憶が戻って発作が少しだけ落ち着いてるみたいだけど、疲れてるだろうから」
青緑髪の少年がそう言って部屋から出ようとしている。少女は何も言わずに青緑髪の少年が部屋を出るまで顔を見せなかった。
本当は引き留めたくても引き留める事はできず、青緑髪の少年は部屋を出た後に引き留めない事に後悔する。
少女は瞳に涙を溜めて、布団をぎゅっと握る。溢れる感情を見ないように瞼を閉じるが、なんの効果もない。
「……」
カタッ
扉が閉まった音が聞こえる。扉の方を見ていない少女は、誰かが来たという事しかわからない。だが、一つだけはっきりしている事は、その誰かは望んでいる相手ではないという事。
「だれ? 」
「……そんなにいやなら引き留めろよ。俺らはそれをいやがらねぇよ」
少女に向けられた呆れたような声色。少女は、ゆったりとした動きで声の方を向いた。
「……エレがそんな事できるわけないでしょ。偽物の……たかが替わりの分際で……そんな事できるわけない」
少女は今にも泣きそうな声でそう言って、部屋に入ってきた青黒髪の少年を睨んだ。
「まだそんな事言ってんだな。少しは自分がもらっているものに向き合ってみたらどうなんだ? 」
「……」
少女は警戒心をむき出しにしている。
「……まぁ、すぐには無理だろうな。ずっと待って」
「そばにいて。ゼロはエレと一緒にいろ……なの」
青黒髪の少年の言葉を遮って、少女はそう言った。
「……エレは簡単に信じられないの」
「わかってる。だから、絶対に信じられる方法を考えたんだ」
青黒髪の少年がそう言うと、部屋の気温が下がった。少女は布団に潜り込んで、顔だけひょこっと出している。
「俺……ゼーシェリオンジェロー・ミュード・アロジェーシンティードは神聖の名にかけて汝を守ると誓う」
青黒髪の少年、ゼーシェリオンの立っている地面が凍っている。少女はゼーシェリオンのその言葉に目を見開いた。
「なん、で……それは、たった一人だけにしかできない誓いでしょ! 本来なら婚姻の相手か忠誠を誓う主にするっていう。なんでそれをエレなんかに! 」
神聖と呼ばれる者達の使う決してその人を裏切らないという契約の呪言。その用途は少女が述べたもの。
そんな貴重な契約の呪言を使用したゼーシェリオンが、少女に笑顔を向ける。
「俺は自分の大切は自分で選ぶよ。だから、お前も自分の大切くらい自分で選べ。偽物とか関係なく、お前のいたい場所を、大切を感情を信じて選んでやれ」
それは、記憶を失って過ごした十六年も、それ以前も少女ができなかった事。少女が避けていた事。
少女の感情がどこを示すのか。それはまだ答えが出ない。だが、こう変えてしまえば答えは出る。
もし、そのいつかがあるのなら、それはどこが……誰の隣が良い?
「エレを導いてくれた……エレを、拾ってくれたみんなの隣。大切なんてわからないの。でも、それを理解できる、理解して良いと思える場所を選んで良いのなら」
ゼーシェリオンの問いとは違うものに対する答えだが、少女の中では同じもの。答えを言葉にした少女は、その事に僅かにだが理解できた。
「……エレシェフィール・ノーヴァルディア・エンシェルトは、ゼーシェリオンジェロー・ミュード・アロジェーシンティードの誓いを受け入れるの」
少女、エレシェフィールは布団から出てゼーシェリオンの手に触れた。
不安げな瞳をゼーシェリオンに向ける。
「エレは……きれい? 美しい? 」
エレシェフィールの問いに、ゼーシェリオンは屈託のない笑顔を見せて迷いなく答えた。
「当然だろ。エレはずっと、宝石のように綺麗で美しい。俺らの自慢の唯一姫だ」
「……ありがと。エレ、もう少し信じてみるの。いつかを生きる事を……それが、みんなの望みなんでしょ? 」
今はまだ、自分の望みだからと生きてみようと思う事はできない。だが、それでもエレシェフィールは疑問しかないそのいつかのため、今を生きる。
「……ねぇ、世界は残酷? あの時のその答えは知らないの」
エレシェフィールは、窓の外を見てそう言った。記憶のない彼へ向けて。わずかにある記憶の言葉を。




