96.魔族の女
翌日からさっそくジンスケたちは行動を開始した。
一日目はレイネール市内で目立たない場所に潜伏しつつ、捕えた女から聞き出した情報をもとに最初の拠点を特定して襲撃した。
拠点に潜んでいた『黒い手』の構成員は8名ほど、ジンスケが手もなく簡単に全員を気絶させると、同行してくれた司祭が全員の魅了を解いていく。
捕まえた構成員たちは商業ギルドと流通ギルドが共同で運営している自警団に司祭が引き渡した。
二日目に襲撃したのは旧市街の倉庫街にある一棟だった。
夜陰に乗じて侵入すると、『黒い手』の構成員約十数名が待機していた。
「また来たぞ!」
既に前の拠点が襲われた情報は回っているらしい。
彼らはジンスケたちを発見すると一斉に戦闘態勢に入った。
全員がナイフや長剣を構え、目が赤く光っている。
「アイリーン殿、司祭様、下がっていてください」
ジンスケが前へ進み出る。アイリーンは杖を握り締める。
静かに戦闘が始まった。
ジンスケの動きはあまりにも速かった。
彼は無駄な動作を一切省き、正確無比な剣戟で敵の腕や脚を叩き折っていく。
鞘をさしたままの峰打ちだが、ジンスケの怒りがこもった打撃のその威力は凄まじかった。
それでもその一撃一撃は致命傷にならないよう配慮されていた。
悲鳴を上げて倒れ込む構成員たち。
「すごい……」
アイリーンはその圧倒的な戦闘力に息を飲んだ。
「鬼神のごとき剣技」そうとしか形容のしようがないジンスケの技だった。
数分もしないうちに十数人の構成員はすべて床に伏していた。一人も死者は出ていない。
「司祭殿。お願いいたします」
ジンスケが振り返ると、司祭が杖を掲げて呪文を唱え始めた。
どうやら、すっかりこの魅了に対する対処魔法に慣れたようで随分と詠唱も発動も速くなっている。
淡い金色の光が室内を満たし、倒れている構成員たちの身体を包み込む。
光が消えると同時に、倒れていた者たちが苦悶の表情で呻いた。
「うぅ……頭が……」
「我々は一体……何をしていたんだ……?」
彼らは次々に目を覚まし、ジンスケはその目を覗き込んで正気に戻ったことを確認した。
自警団に引き渡すと留置場を管理している自警団員がぼやいた。
「2日も続けて、こんなに大勢連れて来られては留置場が満杯になっちまうよ」
***
三日目も同様の襲撃を行った。
三つ目の拠点を制圧した頃には数十名の構成員を捕縛していた。
正確には魅了から解放して救出したと言うべきか。
彼らの証言を集めると、『黒い手』の内部にはヴェラ直属の幹部クラスが数名存在するものの、末端の構成員にとって彼女は直接会ったことのない神秘的な存在であり、顔や年齢などの個人情報はほとんど知らされていないことが分かった。
ジンスケが呟いた。
「これほどの人数を魅了の魔法で統率するとは……」
司祭は疲れ切った様子で溜息をついた。
「おそらく彼女は相当な魔力を蓄積しているか、あるいは……他の方法で魔力を供給し続けているのでしょうな」
***
一方その頃――フォルティア王国の南部。
インフルアに近いノエラリアの町の貧民街に『黒い手』の本拠地の施設があった。
ヴェラはそこで『黒い手』の構成員たちや誘拐してきた人々を魅了に落として組織を拡大させていたのである。
「ふん……レイネールの支部が次々と潰されているだと?」
ヴェラは長く伸びた黒髪をかき上げながら冷笑した。
彼女の碧眼には狡猾な光が宿っている。
「まあいいさ。あれらは消耗品みたいなものだし。重要な情報は何も握っちゃいない。」
「それに商業ギルドも流通ギルドも、ギルド長は二人とも魅了済みだ」
「自警団に捕縛されている者どもも、ほとぼりが冷めたら解放すればいい」
彼女は細い指で地図の中心部――王都レイネールを突いた。
「問題はその頭巾の子供ね。まだ子供、それも『男』のように華奢な体つきのくせに『剣鬼』と思えるほどに強いと言う……」
「実際に会ってみたいわね」
彼女は顎に手をやりながら冷酷な笑みを浮かべた。
情報によればジンスケという名の南方からの旅人。
目撃した者からの情報ではその剣技は神速無双という。
「剣だけで魔法に対抗できると思ったら大間違いよ」
ヴェラの碧眼が妖しく光る。その瞳孔が蛇のように細長く変形した。
「この肉体は擬態した仮の姿だが……本気を出せば人間どもの魔法や剣技など児戯に等しい」
彼女は壁に掛けられた豪華な鏡に映る自身の姿を眺めた。
漆黒のドレスを纏った妖艶な美女。
しかしよく見れば肌は大理石のように滑らかすぎる白さを持ち、耳はわずかに尖っている。
「魔族の本性を見せれば誰もが震え上がるわね。だが今はまだその時ではない」
ヴェラは人間界を掌握すべく魔王軍四天王の一角リリス・ナイトヴェインの直属の幹部として活動していた。
この世界は七つの大国に分かれており、魔王軍は魔物領域から人間領域へと進出し各国に対応する幹部を送り込んでいた。
プロスペリタ王国にはリリス自らが陣頭指揮を執り、アルボラ教国ではもう一人の四天王ドロテア・ダークウィーヴが侵攻準備を進めている。
フォルティア帝国には四天王の筆頭、魔将軍イザベル・ブラッドムーンが駐留し現地の将校たちを次々と魅了して勢力を拡大していた。
インフルア王国は他の国々に比べると軍事力や魔法力が比較的脆弱なために四天王ではなくヴェラに指揮が託されていたのだ。
ヴェラにとっても四天王直属の大幹部として絶対にミスは許されない仕事だった。
「人間界攻略における最大の障害は魔法の力」
ヴェラは呟いた。
「聖魔法の使い手や強力な魔導師たちがいては侵略もままならない。だからこそ私が彼らを奪い去り、代わりに我々魔族の傀儡を据える必要がある」
彼女の計画は緻密であった。
まずインフルア国内で聖魔法使いや魔導師を片っ端から誘拐し魅了にかける。抵抗する者は秘密裏に始末する。
次にギルドという特殊な管理体制を利用して政権中枢を乗っ取り、国民全体に魔法知識を忌避させる教育システムを構築する。
現在のインフルアでは教会の影響力を削ぎ聖魔法を信仰の対象から切り離し、「商業」という実利的価値観を前面に出すことで魔法離れを促進させていた。
「もうすぐ計画も最終段階に入る」
ヴェラは鏡に向かって微笑んだ。
「残る障害はあと一つ――我々の拠点を襲撃しているという聖魔法を使う旅人と子供剣士くらいのもの」
彼女は懐から一枚の魔物皮紙を取り出す。そこには大掛かりな魔法陣が描かれていた。
「これが私の切り札。『魔界門開放の儀式』の陣よ」
古代魔族文字で書かれた紋様が複雑に絡み合い、中央には血の印が刻まれている。
「この魔法陣を設置して我が主君リリス様にお越しいただき起動すれば、その召喚魔法でこの国にいくらでも魔物を呼び寄せることができる。そしてインフルアは滅び、この国は魔族の領域となるのだ」
ヴェラは高笑いを漏らした。
***
一方レイネールでは、ジンスケとアイリーンが捕えた構成員を引き渡した商業ギルドの自警団員から新たな情報を得ていた。
国境沿いの森の奥に怪しい小規模なアジトらしい施設があるという。
その位置は明らかにフォルティアへの国境越えを誘導するものだった。
「罠の匂いがしますね」
ジンスケは冷静に分析した。
「しかし選択肢はありません。真実を確かめるためにはフォルティアへ行くしかない」
アイリーンも決意を固めた。
「もしヴェラが本当に魅了魔法を使えるほどの存在なら、危険すぎる仕事になりそうですね。」
司祭も頷いた。
「私も同行いたしましょう。魅了解除も必ず必要になるでしょうし、年はとってもいざとなれば盾くらいにはなりますよ」
三人は荷物をまとめ、夜明け前にレイネールを発った。
リアーナは最後まで見送ってくれた。
「くれぐれも用心しな。あんたたちの目指す場所はただの犯罪組織じゃなくて……もっと大きなものの一部かもしれないよ」
ジンスケは振り返ることなく頷いた。「わかっています」
***
国境付近の森は静寂に包まれていた。インフルアとの境界線上にあるフォルティア帝国のその区域には人影も見当たらない。
「このあたりにもヴェラの手が回っているのでしょう」
司祭が小声で言った。
三人は注意深く森を進んだ。太陽が高く昇る頃には森の深部へと達していた。
やがて古びた石造りの建造物が見えてくる。かつて鉱山作業員の宿舎として使われていた廃墟のようだった。
「ここが噂のアジトか」
ジンスケは頭巾を深く被り直した。
入口には五人の見張りが立っていたがいずれも『黒い手』の構成員らしく目が赤く光っている。
「どうしますか?」
アイリーンが問うた。
ジンスケは無言で刀袋を肩から外し鬼丸の柄に手を添える。
「正面突破しましょう。時間が惜しい」
言うなりジンスケは風のように駆け出した。
構成員たちは慌てて武器を構えたが遅すぎた。
ジンスケの刃が鞘のまま閃き、五人の胴を薙ぎ払う。全員が地に倒れ込んだ。
「すぐに助けましょう」
司祭が呪文を唱えようとするとジンスケが止めた。
「放っておいてもすぐには目は覚ましません」
「それより奥へ急ぎましょう。今の騒動で気づかれていなければ奇襲できます」
確かに魅了解除よりも今は時間が重要だった。
三人は廃墟の中へと足を踏み入れた。
内部は予想以上に広く、いくつもの小部屋と廊下が入り組んでいる。
途中で出会った数人の構成員は瞬く間にジンスケによって倒されていった。
しかし、この施設はヴェラがジンスケたちをおびき寄せ始末する為に用意した罠だった。
もちろんジンスケたちがそんなことを知るわけもなかった。
ましてやヴェラ本人が三人を始末するためにわざわざ出向いてきているなどとは…
いつもご愛読ありがとうございます。
励みになりますので、よろしければ評価【☆☆☆☆☆】をよろしくお願いします!




