95.黒い手
翌朝、『暁光亭』の薄暗い部屋で目を覚ましたジンスケとアイリーンは、早々に身支度を整えた。
夜が明けきらない薄明かりの中、アイリーンはマントを羽織り、その青色の長い髪と特徴的な瞳を隠す。
ジンスケもいつもの頭巾と外套を選び、鬼丸は刀袋に入れてしっかりと肩に掛けた。
「今日からは本格的にこの街の事情と……『黒い手』とやらのことを探ってみましょう」
アイリーンが静かに言った。
その声には昨晩までの動揺は薄れ、決意が滲んでいる。
「昨晩の話では聖魔法に関する情報は極めて危険です。ギルドに関することも迂闊には聞けませんね……まずは一般の噂や街の様子から入りましょうか」
アイリーンが提案すると、ジンスケは頷いた。
まず最初に二人は市場へと向かった。通りには活気が溢れ、商人たちが威勢のいい声で客を呼んでいる。
華やかに着飾った女性たちが行き交う中、アイリーンはフードの隙間から人々の表情や会話に耳を澄ませていた。
聖魔法、教会や大ギルドの話題になると、多くの人々がそっと声を落とすのがわかった。
特に娼館が繁盛している地域では、商業ギルドの権力に対する嫌悪感や妬みのような感情がくすぶっているように感じられる。
午後になり、少し人が少ない通りを選んで情報を整理しようと路地に入った時だった。
ジンスケが突然立ち止まり、アイリーンの袖を引く。
「……つけられています」
低く抑えた声。彼の目は通りの向こう、角を曲がって見えなくなった人影を捉えていた。
この程度の距離であれば気配だけで相手を察知することなどジンスケにとっては容易なことだった。
一度会ったことのある相手ならば気配だけでも、それが誰だか判る。
昨日の教会で襲ってきた女とは別の相手のようだ。
「三人……いえ四人でしょうか。周囲の建物の上にも気配があります。包囲されつつあるようですね」
アイリーンの顔が青ざめた。緊張で喉が渇く。
「逃げ道を探しますか?」
しかしジンスケは首を横に振った。
「逃げるよりも……相手の目的を探る方が賢明かもしれません」
ジンスケは淡々と言った。
「どこか空き地や路地裏へ誘い込めるように立ち回りましょう。大通りでは騒ぎになり過ぎます」
「わかりました」
アイリーンは頷き、ジンスケの指示に従ってわざと人気のない方へと足を進めた。
果たして追跡者たちはすぐに姿を現した。
薄暗い廃屋が立ち並ぶ区画に辿り着いた途端、黒い頭巾を被った四人の刺客が四方から飛び出してきた。
全員がナイフや剣を携えている。
「おとなしくしてもらおうか。あんた聖魔法の使い手だろ」
先頭の女が低い声で唸った。
その言葉から、すでにアイリーンのことが知られていることが分かる。
「ご丁寧に自己紹介ありがとうございます」
四人に取り囲まれては頭巾を被ったままでは視界が狭い。
人間が相手であれば5人や10人は目をつぶって心眼だけで対処しても負ける怖れはなさそうだが相手の実力が判らない以上、油断は禁物だ。
ジンスケは頭巾を脱ぎ捨て、冷たく応じた。鬼丸の柄に手をかける。
「拙者どもをどうするつもりですか?」
頭巾を脱ぎ捨てたジンスケを見て四人の女たちに動揺が走った。
小さな女の子だと思っていた相手が男だったのだ。
しかも今までに一度も見たこともないほどに美しい顔をした男だった。
呆然としていた女が我にかえって言った。
「知れたこと!貴様らは国の秩序を乱す存在だ。粛清されるべきなのだ」
「しかしお前は殺すには惜しいな。捕えてせいぜい楽しませてもらうとするか」
女性の声には狂信的な響きがあった。ジンスケはそれを聞き流し、周囲の敵の配置と動きを瞬時に分析する。
「アイリーン殿。後ろへ」
「はい!」
アイリーンが後方に跳躍するのと同時だった。
ジンスケが疾風のように前に踏み込む。先頭の女がナイフを振るうよりも早く、ジンスケの掌底がその鳩尾を直撃した。
女はうめき声一つあげず崩れ落ちる。
残りの三人が怒号を上げて殺到してきた。
一人目が投げたナイフをジンスケは鬼丸の鞘で弾き飛ばし、二人目が斬りかかる剣を紙一重で躱しざまに足払いをかけた。
転倒した二人目に追い打ちをかけることなく、次の標的へ向かう。
三人目が振り下ろした剣を鞘で受け止め、逆に押し返して相手の体勢を崩すと、腕を取って地面に叩きつけていた。
まさに一瞬の出来事だった。アイリーンが目を見張る暇もないほど鮮やかな身のこなし。
彼の動きは舞うように洗練されており、まるで稽古のように容易く敵を無力化していく。
自分の身体の2倍はありそうな女たちを華奢な美少年が一瞬で三人とも制圧していた。
最後に残ったリーダー格の女が息を呑んだ。
「な……馬鹿な……!」
「終わりですか」
ジンスケは無表情で距離を詰める。
女は咄嗟に懐から何かを取り出そうとしたが、その手首をジンスケの手刀が打って落とした。
そのまま女の首筋に鞘が当てられ、彼女は苦悶の表情で崩れ落ちた。
その様子を見ていたアイリーンがは然と呟いていた。
「素晴らしい……!これは夢ではないですよね」
プロスペリタでアイドルのようにギルドの受付をしていたジンスケとは全く別人のようだった。
しかもジンスケは4人相手に剣すら抜いていない。非殺傷の制圧術だった。
鬼丸の力などに頼らなくてもジンスケは十分に強いのだと知ってアイリーンの驚きは更に深くなった。
「まだ気絶していない者もいます。一人確保しましょう」
ジンスケは最も近くに倒れていたリーダー格の女を素早く縛り上げた。
捕縛の技は修行時代に訓練したものだ。
その素早くて複雑な縄の扱いは、それ自体が魔法のようにアイリーンには見えた。
「こいつ……目がおかしい」
女を抱え上げたジンスケが呟く。
女の瞳は虚ろで焦点が合っていない。その奥に微かに赤い光が宿っているのをジンスケは見逃さなかった。
「これは……見覚えがあります。ワイトが使っていた魅了の魔法ですね。しかもかなり強力なものです」
以前、『無限の塔』と呼ばれるダンジョンで死んだエルフの大魔導士が悪霊と化したワイトとジンスケは闘ったことがある。
あの魅了は一瞬で相手を術に落としてしまうかわりに、かかった人間にカツを入れれば、その人間はすぐに自分をとりもどした。
けれど今回の襲撃者たちはジンスケの攻撃を受けてもなお魅了から解放されていない。
ジンスケはアイリーンを見た。
アイリーンは首を振って悔しそうに呟いた。
「私の治癒では……この魔法は解けそうもありません」
「これはおそらく解呪に専門的な技術を要するタイプのものです、司祭様ならば……あるいは」
***
再びリアーナの工房を訪れたジンスケたちは、司祭に事の次第を報告した。
司祭は眉をひそめながらも頷き、頭巾を被ったジンスケに担がれた女の傍らに跪く。
「こりゃあ厄介だね。なかなか手強い魔法だ」
司祭は小さな水晶を取り出し、女の額に翳した。水晶が淡い光を放ち、同時に女の顔が苦痛に歪む。
「ぐっ……うぅ……!」
「少し辛抱しなさい」
司祭の声に厳しさが増す。しばらくの間、光と闇の力がせめぎ合った。
やがて水晶の光がパリンと砕け散り、女はぐったりと気を失った。
「ふぅ……なんとか解呪できたようだね」
司祭が額の汗を拭った。女は次第に意識を取り戻し始め、焦点の定まらない目で周囲を見回す。
「ここ……は…?私は……?」
「やっと正気を取り戻したようだね」
ジンスケが声をかけると、女は怯えたように身体を縮こまらせた。
「あなた達は……誰…?」
その女にジンスケが単刀直入に尋ねる。
「貴殿の所属している組織について教えて欲しい」
女は最初は抵抗したが、ジンスケの落ち着いた迫力と司祭の穏やかながらも厳しい視線に押され、徐々に口を開き始めた。
絶世の美男子に問い詰められて黙っていられる女は少ない。
「私は……『黒い手』のメンバーです……」
「黒い手の首領は誰だ?」
「前の首領は……数年前に死にました。今の首領は……ヴェラ様です……」
アイリーンが聞き返す。
「ヴェラ?」
女は頷いて先を続けた。
「ヴェラ様は……特別な魔法を使う人で……私たち皆を……」
女は自分の意志でしゃべっているというより、記憶が勝手に口から溢れ出てくるような言い方をした。
「魅了魔法を使って全員を支配しているというわけか」
ジンスケが推測を述べると、女はかすかに頷いた。
ジンスケは更に尋問を続けた。
「組織の本拠地は?」
「レイネールには……ありません……」
「レイネールには?」
「はい……本拠地は……フォルティアに……あると……聞いています……」
これで全てを吐き出したかのように、女は再び気を失った。
司祭が大きく息を吐く。
「魅了に支配されて、ほとんど寝る間もなく働かされていたのだろう」
「疲れて眠りに落ちただけだ命に別状はないよ」
アイリーンが頷きながら言った。
「なるほど……フォルティア……傭兵ギルドと繋がりがあるというのは本当だったようですね……」
「でも……どうして魅了なんかで……」
アイリーンの疑問に司祭が答えた。
「これだけの強力な魅了の魔法を使える者など滅多にいるものではない」
「魅了魔法はこの国では都合がいいのだろう。命令に従うだけの人形兵隊を量産できるわけだからな」
「それにしても、それだけの魔法が使える者が敵だとすると大変なことだな」
ジンスケは唇を噛んだ。
黒い手の本当の狙いが少しずつ輪郭を帯びてきたが、同時にその計画の規模の大きさに不安が募る。
「拙者たちは……このままではいけませんね」
ジンスケは静かに宣言した。
「黒い手の組織があまりに大きいようであれば拙者どもの手には余るでしょうが、少なくとも、その魅了を使う親玉だけは……どうにかしなければ」
アイリーンが不思議そうな顔をして訊いた。
「ジンスケ様は面倒ごとに巻き込まれるのはお嫌なのだと思っていましたが…」
ジンスケは頷いて答えた。
「ええ、できれば争いごとには関わらず静かに穏やかに暮らしたいと思ってはいます」
「ですが知ってしまった以上は、見過ごして知らない顔をきめこむことなどできません」
「この国で起きている幾つもの失踪事件などは恐らく、その者の仕業でしょう」
「このまま放っておけば被害者は増えるばかりですし、失踪した人たちを助けることもできません」
アイリーンが力強く頷いた。彼女の青い瞳には迷いはなかった。
「なるほど、ジンスケ様はそういう考え方をされるのですね、リフィアが惚れるわけだ」
その様子を見ていたリアーナが言った。
「あんたたち二人の目を見てりゃわかる」
「あんたたちはただの旅人じゃないんだろ。この国の腐った根っこを掘り起こすつもりだね?」
ジンスケとアイリーンは顔を見合わせ、そして静かに頷いた。
夜明け前の暗い工房の中で、二人の決意は静かに、しかし確実に燃え始めていた。
なんとしてもヴェラを見つけ出して魅了された人々を解放するつもりだった。
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