2.目をそらさず
朝起きて良い天気だと、気分がいい。明るく差し込む陽光は、私の新たなる門出を讃えているかのようだった。
ともあれ私は、友人であるエスリアから知恵を得た。それは恋愛に関するものだ。
今日からそれを駆使して、イルディンとの婚約者としての日々を過ごすことにした。
「イルディン、おはよう」
「姉さん、ああ、おはよう……」
私は屋敷の廊下で、イルディンと顔を合わせていた。
ただこの弟は、少し顔をそらしている。私と視線を合わせようとしないその動きは、これまでの日々でも見てきたものだ。
告白を受けてから、イルディンはそんな感じである。彼の中では、まだ気持ちの整理がついていないということだろうか。
「……イルディン、あなたはこれまでたくさん悩んできたのでしょうね?」
「え? 姉さん、それはどういう……」
「いえ、あなたの気持ちを知らなかったことなどは、私にも非があると言えることだから、あまりこういうことは言いたくないけれど……」
「いや、そのことで姉さんに非はないさ。でも、何かな?」
「私の目を見て話しなさい」
「ね、姉さん……」
私はイルディンの顔に手をあて、強引にこちらを向かせた。
それに弟は、目を丸めている。少々強引過ぎただろうか。首を痛めさせたりはしていないと思うが、少し心配になってきた。
「イルディン、ごめんなさい。首が痛かったかしら?」
「いや、痛くはないよ。でも、これは……」
「そう、そういうことなら言っておくわね。人の顔から顔を背けるなんて失礼よ? あなたはラガンデ侯爵家の当主となるのだから、例え何があっても、そういったことはするべきではないわ」
「それは……そうだね。そうだった」
私の言葉を受けて、泳いでいたイルディンの視線が一点に定まった。
彼の表情からは、まだ少しの躊躇いが読み取れる。ただそれでも私の目から視線をそらさないのは、弟の中である種の覚悟ができたからなのだろう。
「良い表情になったわね。少し安心したわ」
「ごめん、姉さん。僕は個人の感情で、揺れ過ぎていた。そんなことでは、ラガンデ侯爵家の次期当主にはならないね」
「わかればいいのよ。私に対してそうなる分には、構わないもの」
「……いや、そもそも姉さんに対して向き合わないというのも失礼だ。姉さんを傷つけてしまっていただろうか?」
「別になんとも思っていないわ。イルディンに少しシャイな所があることを私は知っているもの」
イルディンの言葉に、私は本当に安心していた。
仮に彼が有事の際に人の目を見られないというならば、それは大変なことだったからだ。
とはいえ、元よりそのようなことはなかったのかもしれない。これが私とのことだからそうなった。イルディンの雰囲気から、私はそれを悟った。
「なんだか恰好がつかないな……僕も少しは大人になれたと思っていたのだけれど、また姉さんに迷惑をかけてしまった」
「そう自分を卑下するものではないわ。それに、私への迷惑なんて考えるのはやめて頂戴。あなたの道を正すのも、私の役目だもの」
「姉さんは姉であるからそう思うのかもしれないけれど、弟の僕としてはいつまでも姉さんに道を示してもらうのは、情けないというか……」
「いいえ、これは妻になる者としての言葉でもあるわ」
「え?」
私はイルディンの婚約者である。何れは妻となるだろう。妻というものは、夫を支えて時には導くものだ。
その役目は確かに、姉と似ている部分もある。考えてみれば、それはおかしな話なのかもしれない。
「……あら? なんだか熱いわね? イルディン? 照れているの?」
「ああ、いや、そうだ姉さん。そろそろ手を放してもらえないかな?」
「そうね……ああ、でもその前に」
「……え? んっ……」
私は少し背伸びして、イルディンの唇に自らの唇を重ねた。
彼の顔を見て、そうするべきだと思った。今は妻になるという話もした訳だし、エスリアの言う時と場合も満たしているはずだ。
「ふふっ、頑張ったご褒美ということで……嫌だったかしら?」
「いや、嫌ではないけれど……」
「そう、それなら良かった。さてと、そろそろ朝食の時間ね」
イルディンは複雑な表情をしているけれど、それでも喜んでくれているようだった。口角が少し上がっているのが、私にはわかった。
その顔を見ていると、私の心が躍る。今日も良い一日になりそうだ。そう思いながら私は、弟とともに食堂へと向かうのだった。




