EP 9
緑の封印呪符と、猫耳商人の掌返し
巨大な魔獣ロックボアの群れをやり過ごし、商隊は安全確保のために一度短い野営を挟むことになった。
戦闘の翌朝、アズマが目を覚ますと、すでに荷馬車の外では香ばしい肉の焼ける匂いが漂っていた。
「アズマ様、おはようございます! 朝ご飯の準備ができていますわよ!」
見れば、小豆色ジャージ姿のリーザが、焚き火の上でロックボアの肉塊を見事に串焼きにしていた。それだけではない。馬車の隅には、ロックボアの体内から摘出されたソフトボール大の『魔石』が、綺麗に水洗いされて山のように積まれている。
さらに、逃げ出した傭兵たちが放り出していった剣や盾、落ちていた小銭までが、サイズ別にきっちりと整理されていた。
「これ、全部リーザがやったのか……?」
「はい! 帝都の路地裏で空き缶を拾ったり、スーパーの裏口で廃棄弁当の奪い合いをしたりするのに比べれば、死んだ魔獣から素材を剥ぎ取るなんて朝飯前ですわ! 私、ゴミ拾いと解体には自信がありますの!」
(どんなアイドルだよ! 貧乏生活のサバイバルスキルが極まりすぎてるだろ!)
えっへんと胸を張る絶世の美少女に、アズマは盛大に内心でツッコミを入れた。だが、彼女が焼いてくれた魔獣の肉は、臭みもなく驚くほどジューシーで美味かった。過酷な野営の朝に食べる温かい肉汁が、アズマの疲れた体に染み渡っていく。
「おうアズマはん、目ぇ覚めたか」
朝食を終えた頃、キセルを吹かしながら猫耳の商人ニャングルが近づいてきた。
「昨日はほんまに助かったわ。ワシの商品も、怪我なく無事に都市まで運べそうや」
そう言ってニャングルは、ジャラリと音を立てる革袋をアズマに放り投げた。
受け取ると、ずっしりとした重みがある。中を覗くと、黄金色に輝く硬貨が十枚ほど入っていた。
「これ、金貨ですか……?」
「おう。金貨十枚、ざっと十万円相当ってとこや。ワシからの命の恩人への報酬やで」
アズマは慌てて革袋をニャングルに突き返そうとした。
「受け取れませんよ! 俺たちは馬車に乗せてもらった立場ですし、昨日は俺たちの身を守るためにやっただけです」
「アホか。商人が助けてもろて、タダで済ませたらゴルド商会のメンツが立たんのや。ワシのプライドの問題やから、黙って受け取っとけ」
ニャングルは頑として受け取ろうとしない。相手が「貸し」を作ったままにするのを極端に嫌う、徹底した商人なのだ。
「……分かりました。それじゃあ、このお金はありがたくいただきます。でも、俺からも少しだけ『仕事』をさせてください」
アズマは立ち上がり、魔獣の突撃を受けてガタがきている荷馬車の方へ向かった。幌が破れ、積み上げられた木箱が崩れそうになっている箇所がある。
脳内の『生活改善カタログ』を開き、3CPを消費してあるアイテムを取り出した。
「なんやそれ。緑色の……布か?」
「『建築用養生テープ(緑)』です。引越しや建築現場でよく使われる、仮止め用のテープですよ」
アズマは緑色のテープを引っ張り出し、手で「ピッ」と真っ直ぐに切り裂いた。
「なっ!? 刃物も使わずに、布が綺麗に真っ直ぐ切れたで!?」
驚くニャングルをよそに、アズマは崩れそうになっていた木箱の角や、破れた幌の隙間に、ペタペタとテープを貼り付けていく。
「これでよし。ポリエチレン製の糸が編み込まれているから、手で簡単に切れる上に、縦方向の引っ張りにはすごく強いんです。それに――」
アズマは、一度木箱に強く貼り付けたテープの端をつまみ、ベリッと剥がしてみせた。
「一番の利点はこれです。粘着力はしっかりあるのに、剥がした時に『糊の痕』が残らない。商品や壁を傷つけずに固定できるんですよ」
その瞬間、ニャングルの猫耳がピンと逆立ち、金色の瞳が限界まで見開かれた。
「の、糊も釘も使わずに固定できて……しかも剥がしても痕が残らんやと!? なんちゅう恐ろしい魔導具や……! これがあれば、荷造りの手間と時間がどれだけ省けるか。しかも再利用の梱包材の価値を落とさずに済む……まさに物流の革命やないか!」
ニャングルは食い入るように緑のテープを見つめ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
だが、すぐにその表情を険しいものに変え、周囲に誰もいないことを確認してから、アズマの肩をガシッと掴んだ。
「アズマはん。あんた、ええ人や。せやから、商人のワシから一つだけキツく警告しとく」
普段のおどけた関西弁のトーンが消え、底冷えするような真剣な声だった。
「その『何もない虚空から、未知の魔導具を取り出す』力。むやみやたらに見せびらかすなよ。便利すぎるがゆえに、あんたの力は国を揺るがす。帝国の権力者や欲深い貴族に知られれば、一生地下牢で道具を出し続ける奴隷にされるか、戦争の道具に使い潰されるで」
アズマは息を呑んだ。
ただの百均アイテムだと高をくくっていたが、異世界においてはその「安価で便利な機能」そのものが、既存の技術体系を破壊するオーパーツになり得るのだ。
「だからこそ、あんたには身を守るための『後ろ盾』が必要や。ワシみたいな一介の商人だけやのうて、もっと太い、物理的な力を持ったパトロンがな」
ニャングルは懐から、シーリングワックスで封がされた一通の手紙を取り出し、アズマに手渡した。
「都市に着いたら、まずは『組合』へ行け。そこでこの紹介状を見せるんや。ワシの顔が利く、とびきり強面の後ろ盾を紹介したる」
「ニャングルさん……ありがとうございます。心に留めておきます」
アズマが紹介状をしっかりとポケットにしまった頃、馬車は森を抜け、開けた平野へと出た。
視界の先には、巨大な石造りの城壁と、立ち並ぶ尖塔が見える。ルナミス帝国の地方中枢を担う、巨大な城塞都市だった。
「さあ、着いたで! ここがワシらの稼ぎ場や!」
行き交う大勢の旅人たち、活気にあふれる喧噪。
元ホームセンター副店長と極貧アイドルの、異世界における本当の成り上がり生活が、今まさに始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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