EP 7
神速のインソールと、金ピカ算盤の関西弁商人
ポポロ村からの旅立ちの朝は、抜けるような青空だった。
村の出入り口には、自警団の詰め所から駆けつけてきたマンミアが、少し寂しそうな表情で立っていた。彼女の四つ足の蹄が、落ち着かない様子で土を掻いている。
「本当に、もう行くのだな。アズマ殿がいなくなると、村の清掃や農具の修理が滞って困るのだが……」
「お世話になりました、マンミアさん。おかげでこの世界で生きていくための目標ができました。……落ち着いたら、また必ず顔を出しますよ」
アズマが頭を下げると、隣で小豆色ジャージ姿のリーザが「私も立派なアイドルになって、凱旋ライブをしに戻ってきますわ!」と力強く拳を握った。
マンミアは優しく微笑み、アズマの肩をポンと叩いた。
「都市までは長い道のりになる。道中、魔獣にはくれぐれも気をつけるのだぞ」
「はい。俺たちが都市で成功して戻ってくる頃には、マンミアさんにも素敵な旦那さんが見つかるといいですね。現代の感覚なら、25歳なんてまだまだ若くてこれからですから――」
ピタッ。
アズマが無意識に発した言葉に、マンミアの頭頂部にある馬の耳が、ピクピクと激しく痙攣した。
「あっ」
しまった、と思った時には遅かった。マンミアの端正な顔が、トマトのように真っ赤に染め上がっている。
「にじゅう、ご……だと? 別れの朝にまで、乙女のトラウマをピンポイントでえぐってくるか貴様ぁあああっ!!」
「違っ、そういう意味じゃ――!」
ドッゴォォォォンッ!!
マンミアの180馬力もの超重量タックルが、回避不可能な速度でアズマの胴体に直撃した。
「なんでだよぉおおおおおッ!?」
アズマの身体は見事な放物線を描き、村の防衛柵を飛び越えて、街道の遥か彼方へと吹き飛んでいった。
❖❖❖
「アズマ様、だらしないですわよ! アイドルは一日十時間のステップ練習でも息一つ切らしませんの!」
ポポロ村を出て数時間。
街道を歩くアズマは、吹き飛ばされたダメージと深刻な運動不足がたたり、すでに息も絶え絶えになっていた。
一方のリーザは、極貧の路上生活で鍛え上げられた無駄なサバイバル能力と、人魚族の基礎体力が相まって、平気な顔でスキップまでしている。
(異世界人の体力が異常すぎる……。このままじゃ都市に着く前に俺の膝が砕けるぞ……!)
アズマは息を整えながら、脳内の『生活改善カタログ』を開いた。
(靴のカテゴリー……あった。これだ)
3CPを消費し、虚空から平べったい二枚の板状のアイテムを取り出す。
「リーザ、ちょっと待ってくれ。靴にこれを仕込む」
「それはなんですの?」
「『衝撃吸収インソール(中敷き)』だ」
アズマは村で譲り受けた革靴の中に、青いゲル状の素材が踵部分に仕込まれたインソールを敷き詰めた。
足を入れて、軽くその場で足踏みをする。
「おおっ……嘘みたいに軽い!」
人間の歩行時に足裏にかかる衝撃は、体重の約1.2倍に達する。このインソールに内蔵された特殊なハニカムゲルと高反発ウレタン素材が、着地時の物理的な衝撃を瞬時に分散し、次の一歩への推進力へと変換してくれるのだ。
異世界の硬い革靴の感触が、一瞬にして高級スポーツスニーカーの履き心地へと進化した。
「すごいなこれ。足の裏の疲労が完全にリセットされた気分だ」
「アズマ様はずるいですわ! 私なんて、健康サンダルのイボイボがすり減って足の裏が痛いんですのよ!」
健康サンダルで長距離を歩こうとするアイドルの根性に呆れつつも、アズマがリーザの分もインソールを出そうとした、その時だった。
ガラガラガラッ! ドォォン!
背後から、凄まじい土煙を上げて巨大な車列が接近してきた。
先頭を引いているのは、体長四メートルはある超重量級の魔獣『ロックバイソン』。その後ろには、豪華な装飾が施された大型の魔導装甲馬車が何台も連なっている。
車列の側面に描かれているのは、黄色い笑顔のマーク――大陸最大のメガコングロマリット『ゴルド商会』の紋章だった。
「おぉ!? なんや、こんな道端で倒れとる貧乏人は。邪魔やで、轢き殺すぞ!」
先頭の馬車の御者台から、コテコテの関西弁が降ってきた。
見上げると、艶やかな黒茶の毛並みを持つ、猫耳の青年が立っていた。仕立ての良い高級和装スーツを羽織り、首には金無垢のチェーン。手にはミスリル鋼の枠に純金メッキの珠がはまった、悪趣味なまでに金ピカの魔導金算盤『十露盤』を持っている。
「す、すみません! 私たち、都市まで向かっているのですが、もしよろしければ荷台の隅にでも乗せていただけませんか!」
リーザが両手を合わせて必死に頼み込む。
猫耳の青年――ニャングルは、ふん、と鼻で笑って算盤をチャキッと弾いた。
「アホくさ。ウチらゴルド商会の車列にタダ乗りできると思とんのか? お前らみたいな難民崩れ、乗せるだけ荷物の重量が増えて燃費の無駄や」
(……うわぁ)
アズマの脳内で、ホームセンター時代の「厄介なクレーマー・悪質業者」を感知するアラートが激しく鳴り響いた。
身なりで人を判断し、マウントを取ってから交渉を始めるタイプ。こういう相手には、感情的に反発しても足元を見られるだけだ。
「もちろん、タダとは言いません」
アズマは冷静に立ち上がり、ニャングルの目を見据えた。
「都市に着いた後の荷下ろし、野営での焚き火番、何でもやります。人員を一人雇うコストを考えれば、飯抜きで働く俺たちを乗せた方が、トータルで安上がりなはずですよ」
「……ほう」
ニャングルの猫耳がピクッと動いた。単なる難民かと思いきや、思いのほか理路整然としたアズマの交渉術に、商人の打算が働いたらしい。
「ええ度胸やんけ。まあ、荷下ろしの奴隷が欲しかったところや。乗れや。ただし、商品に傷一つでもつけたら、お前らの内臓を売り払ってでも弁償してもらうで」
「ありがとうございます。俺はアズマ。こっちはリーザです」
「ワシはニャングルや。ゴルド商会のプラチナ直轄、ゴールドランクの商傑やで。覚えとけ」
こうしてアズマとリーザは、傲慢な猫耳商人の車列の荷台に揺られ、都市へと向かうことになった。
衝撃吸収インソールのおかげで足の痛みは引いたものの、硬い木箱の上に座らされる長旅は、決して快適とは言えなかった。
だが、その不快な旅路すら、突如として終わりを告げることになる。
――ギィィィィンッ!!
不意に、車列全体に急ブレーキがかかり、牽引していたロックバイソンが悲鳴のような鳴き声を上げた。
荷台の木箱に頭をぶつけたアズマが外を覗き込むと、前方の街道を塞ぐように、土煙がもうもうと舞い上がっていた。
「な、なんだ!?」
ズシン、ズシン、と地響きを立てて森の奥から姿を現したのは、全身が岩のように硬い甲殻に覆われた、巨大な猪の魔獣『ロックボア』の群れだった。
その数は、ざっと見ても二十頭を下らない。
「ひぃっ!? こ、こんな大規模な群れが街道に出るなんて、聞いてないぞ!」
商隊を護衛していたはずの傭兵たちが、顔を青ざめさせて後ずさりしている。
「アホか貴様ら! ワシの商品になにさらしとんねん! さっさと前出て戦わんかい!」
御者台からニャングルが怒声と算盤を振り回すが、傭兵たちの足は完全にすくんでいた。
殺気立ったロックボアの群れが、一斉に巨大な牙を突き出し、アズマたちの乗る荷馬車に向けて恐るべき突進を開始する。
前は魔獣の大群、後ろは護衛の逃亡。逃げ場のない荷台の上で、アズマとリーザの悲鳴が重なった。
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