EP 6
星空の下のコーヒーと、元便利屋の小さな夢
ポポロ村に居候を始めてから、あっという間に一ヶ月が過ぎ去った。
超重武装の限界集落という物騒な響きとは裏腹に、村の日常は(異常な身体能力を持つ農家のおばちゃんや、喋る野菜たちを除けば)驚くほど平穏だった。
あの大規模なゴミ回収事件以降、吾妻のカタログポイント残高は五万CPという途方もない数字を維持している。だが、村は自然の恵みに溢れており、手札を無闇に切る必要もなかった。吾妻は自警団の詰め所や村の集会所を掃除し、農具の簡単な修理を手伝うことで、十分な食事と寝床を得ていた。
その日の深夜。
吾妻は集会所の縁側に腰を下ろし、村の特産品である深いコクの『ポポロ・コーヒー』をゆっくりと啜っていた。異世界の二つの月が、静まり返った村を青白く照らしている。
温かいマグカップを両手で包み込みながら、吾妻はふと、埋めようのない虚無感に襲われていた。
(過労死して、異世界に放り出されて、どうにか生き延びた。……でも、俺はここで何がしたいんだ?)
村人たちはみな、その日の糧を得るために力強く生きている。しかし吾妻には、この世界で成し遂げたい「目的」がすっぽりと抜け落ちていた。魔王を倒す勇者になりたいわけでも、莫大な富を築きたいわけでもない。ただ流されるままに生きる毎日は、前世で思考停止したままシフトをこなしていた日々と同じではないか。
「眠れないのか、アズマ殿」
静かな足音――いや、蹄の音を立てて、マンミアが隣にやってきた。彼女は手にした木の実の酒が入ったグラスを揺らしながら、吾妻の隣に腰を下ろした。
「……ええ。少し、これからのことを考えていまして」
「そうか。無理もない。貴殿のような卓越した癒やしの知識を持つ者が、こんな辺境の村でくすぶっているのは、本来ならあり得ないことだからな」
マンミアは夜空を見上げ、ふと自嘲するように笑った。
「私はかつて、帝国の辺境騎士団で長を務めていた。だが、終わりのない国境の小競り合いと、人を傷つける日々に疲れ果てたのだ。だから軍を抜け、この小さな村を守る盾になった。私には、この静かな夜があればそれでいい」
「マンミアさん……」
彼女はグラスを傾け、そして集会所の奥――リーザが眠っている部屋のふすまへ視線を向けた。
「アズマ殿。あのリーザという娘、いつも能天気に歌って空腹をごまかしているが、本当はひどく孤独なのだぞ」
「孤独、ですか」
「ああ。あいつは深海王国シーランの正統なる王女だ。だが、陸上のエンタメ文化に感化され、『自分の歌で種族の架け橋になる』と大見得を切って海を飛び出した。……結果は見ての通りだ。実力も金もなく、路地裏で泥水を啜る羽目になった」
マンミアの言葉に、吾妻は胸が締め付けられる思いがした。
「帰る場所なんて、いつでも海にあるはずだ。だが、あいつはプライドと意地で帰れない。母親である女王に認められたい、自分の居場所を自分の力で作りたいという強烈な飢餓感が、あの細い身体を突き動かしているのだ」
「……」
「喪失を抱えながらも、必死に前を向いている。だからこそ、私はあいつを見捨てられない」
マンミアの語る過去と、リーザが抱える「承認と居場所の欠落」。
それを聞いた時、吾妻の脳裏に、前世で最も尊敬していたホームセンターの元店長の言葉が蘇った。
『いいか吾妻。ホームセンターってのはな、生活に困った奴が駆け込んでくる最後の砦なんだ。雨漏りがする、害虫が出た、棚が壊れた。俺たちはただ商品を売ってるんじゃない。あいつらの不安を取り除く「解決策」を売ってるんだ』
(そうだ。俺は……)
吾妻はハッとして、手元のコーヒーを見つめた。
魔獣と戦う力はない。国を動かす権力もない。だが、日常の「困った」を解決する知識と、それを実現する【生活改善カタログ】がある。
「俺は……困った人が、いつでも駆け込める場所を作りたいんです」
気がつけば、吾妻は言葉を口にしていた。
「雨露をしのげて、壊れたものを直せて、腹が減ったら温かい飯が食える。誰かが途方に暮れた時、あそこに行けばなんとかなるって思えるような……そんな、当たり前の『砦』を作りたい」
それを聞いたマンミアは、馬の耳をピクッと動かし、やがて優しく微笑んだ。
「……貴殿らしい、小さくて、ひどく温かい夢だな」
「私も! 私も行きますわ!!」
突然、背後のふすまがバーン!と勢いよく開き、寝間着姿のリーザが飛び出してきた。どうやら起きて立ち聞きしていたらしい。
「アズマ様がお店を作るなら、私が看板娘兼、専属アイドルになります! もっと大きな都市で歌って、たくさんの人を笑顔にして、いつかお母様に胸を張って『ここが私の居場所です』って言えるようになりたいんですの!」
「リーザ……」
「それに、アズマ様のそばにいれば、もうパンの耳や雑草を食べなくて済みますし!」
「最後のが本音だろ!」
吾妻が思わずツッコミを入れると、マンミアが吹き出すように笑った。
「良いではないか。ならばアズマ殿、まずは都市へ出て見聞を広め、商売のツテを作るといい。明日の朝、ちょうどこの村に大陸一の商会の車列が立ち寄るはずだ。彼らに頼み込めば、都市までの護衛付きの旅路が確保できるだろう」
「分かりました。俺、行ってみます」
吾妻は力強く頷いた。
この夜、星空の下で語られた元・便利屋のささやかな夢。それがやがて、三大国すら巻き込み、世界中の民から「救済の聖地」と崇められる巨大な『生活改善』の拠点へと発展していくことを、この時の彼らはまだ知る由もなかった。
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