EP 54
白銀の鎮痛布(冷感湿布)と、限界突破の肉体痛
古代迷宮『常緑の回廊』の最深部において、神話の魔獣『深淵のベヒーモス』を討ち果たした便利屋一行の帰還は、城塞都市にまたしても巨大な震動をもたらした。
持ち帰られた巨大な三本の角と、漆黒の極上毛皮。
冒険者ギルドの中央本部にそれらが運び込まれた瞬間、ギルド長や歴戦の冒険者たちは腰を抜かし、査定に駆けつけたニャングルに至っては黄金の算盤を床に落として目をひん剥き、泡を吹いて卒倒しかけたほどだった。
「ア、アズマはん……! これ、国宝級の魔導装甲と最上級触媒の塊やで……! いったいどれだけの天文学的数字になる思とるんや……!」と叫ぶ猫耳商人をガストン司令官の副官に預け、アズマたちは群がる人波をかいくぐって、命からがら路地裏の我が家へと逃げ帰ったのである。
だが――真の戦いは、安全な我が家に戻って緊張の糸が切れた瞬間に始まった。
「う、ぐ……っ! あ、足が……腰が……肩が……外れそうです……!」
拠点である『便利屋アズマ』の広々とした居住スペース。
板張りの床の上に、キャルルが崩れ落ちるように倒れ込んだ。
その長い純白のウサギ耳は力なく床へ垂れ下がり、ピクリとも動かない。
体中から立ち上る熱気は凄まじく、露わになった肩や二の腕の筋肉が、目に見えて赤く腫れ上がり、ピクピクと痙攣していた。
「私も……ですわ……。声帯の奥がヒリヒリして、首の付け根から背中全体が……まるで火で炙られているみたいにズキズキ痛みますの……! アズマ様、助けてくださいまし……!」
リーザもまた、壁にすがりついたままズルズルと床にへたり込み、涙目で喉元を押さえていた。
「二人とも、無理もないよ……。よくここまで歩いて帰ってこられたな」
アズマ自身も、ヘルメットを脱ぎ捨ててローテーブルに手をつき、歯を食いしばった。
腰と太ももの裏が、鉛を流し込まれたように重く軋んでいる。
原因は明白だった。
迷宮の最深部で直面した、致死性の酸欠空間。
そこからアズマが機転を利かせて使用した『嗅ぎ薬(高濃度アンモニアスメリングソルト)』の劇薬刺激によって、二人の脳と交感神経は限界を超えて強制覚醒させられたのだ。
普段なら脳のリミッターがブレーキをかけるはずの超人的怪力を、キャルルは何の躊躇もなく全開にして叩き込み、リーザもまた限界以上の肺活量で音波絶叫を放った。
アドレナリンが引いた今、その代償が一気に押し寄せ、全身の筋繊維が断裂寸前の猛烈な炎症と乳酸の嵐を起こしているのだ。
「痛い……っ。アズマさん、腕の関節を曲げることすらできません……。熱くて、身体の芯が焼けてしまいそうです……っ」
普段はどんな過酷なスパルタ訓練でも弱音一つ吐かない月兎族の英傑が、痛みに耐えかねて目尻に大粒の涙を浮かべている。
120馬力の筋力を持つ肉体が、自らの放った負荷に耐えきれず悲鳴を上げていた。
「みゅぅ……ぽぽ……」
アズマの胸ポケットから這い出たポポ丸が、心配そうにキャルルの頬へ近寄り、小さな前足で涙をぬぐうように撫でている。
「分かってる、すぐに冷やして炎症を抑えるぞ。……現場の職人が徹夜の突貫工事で身体を壊した時、真っ先に頼る『究極の鎮痛剤』がある」
アズマは痛む腰を庇いながら、脳内の『生活改善カタログ』を強く意識した。
(医薬・外用消炎鎮痛カテゴリ! 消費は5CP! 残高は50,446から50,441CPへ!)
パッと空間が淡い光を放ち、アズマの手元に手のひらサイズの長方形のチャック付きアルミパウチ袋が現れた。
白と濃紺のパッケージに、力強く刻まれた文字――『微香性冷感消炎鎮痛テープ(フェルビナク配合・高伸縮タイプ・大判14枚入り)』。
袋の端をピッと切り裂いた瞬間。
――すぅぅぅぅぅ……っ。
ハッカ油にも似た、だがそれよりも遥かに洗練された、涼やかで透き通るようなメントールの香りが部屋いっぱいに広がった。
「ふぇ……? アズマ様、このスーッとする清涼な香りは……何ですの?」
リーザが鼻をひくひくさせ、潤んだ瞳を瞬かせる。
「『冷感湿布』だ。ただの氷や水で冷やすのとは次元が違う。強力な抗炎症成分が皮膚の奥深くまで直接浸透して、暴走している痛みの伝達物質をピンポイントで遮断してくれる、現代の医学が生んだ貼る鎮痛薬さ」
アズマは中から、薄い肌色をした四角いシートを一枚取り出した。
中央の保護フィルムをペリッと剥がすと、ぷるぷるとした高分子ゲルの冷却面が顔を覗かせる。
「キャルル、ちょっと服の袖をめくって、肩を出せるか?」
「は、はい……っ」
キャルルがおずおずとタンクトップの肩口を下げ、白く引き締まった、しかし赤く熱を持った肩の素肌を露わにした。
アズマはその腫れ上がった肩口に、躊躇なく冷感テープをピタッと押し当てた。
――ピタァッ。
「ひゃうんっっっ!?」
キャルルが可愛らしい悲鳴を上げて、体をビクッと跳ねさせた。
頭頂部のウサギ耳が、まるで雷に打たれたかのようにピンと垂直に直立する!
「つ、冷たい……!? な、なんですかこれ、氷の刃を押し当てられたみたいに、冷気があっという間に皮膚の奥底へと染み込んできます……っ!」
「最初は冷たく感じるが、じきに消炎成分が効いてくるからな。……よし、このまま二の腕と、肘の関節にも貼るぞ」
アズマは手際よくフィルムを剥がし、キャルルの腕の筋肉の流れに沿って、薄く伸縮性のあるシートをシワひとつなく滑らかに貼り伸ばしていった。
職人の確かな手つき。
指先がキャルルの熱く火照った柔らかな素肌に触れるたび、彼女の頬は別の理由で真っ赤に染まり、耳の先まで朱を帯びていく。
「あ……アズマさん……手が、温かくて……それに、シートが貼られた場所が……」
キャルルの声から、痛みのトゲが急速に抜け落ちていった。
「嘘みたい……さっきまで燃えるようにズキズキ暴れていた痛みが、スーッと引いていく……。冷たいのに、奥の方では血が巡って、凝り固まった筋肉がほどけていくのが分かります……!」
「よし、次は背中だな。失礼するぞ」
「あっ……は、はい……アズマさんになら、どこを触られても……っ」
背中の中央、肩甲骨の間に大判の湿布をもう一枚ペタリと貼ると、キャルルは「ふはぁぁ……」と蕩け切った吐息を漏らし、そのままペタンと床に突っ伏して恍惚の表情を浮かべた。
「ア、アズマ様ぁぁぁっ! 次は私ですわ! 私にもその奇跡の布を、首と背中に余すところなく貼ってくださいましーっ!」
その劇的な効き目を目の当たりにしたリーザが、必死の形相で這い寄ってきた。
小豆色のジャージの襟元を自ら両手でぐいっと広げ、白い首筋と鎖骨のラインを惜しげもなくアズマの前に差し出す。
「お、おい、リーザ、自分からそんなに広げるなって……!」
「なりふり構っていられませんわ! この激痛から救ってくださるなら、私はアズマ様の前でどんな姿にでもなりますのっ!」
「はいはい、分かったからじっとしてろ」
苦笑しながら、アズマはリーザの首筋と、張りのある背中の中央、そして酷使した両ふくらはぎへ次々と湿布を貼っていった。
「ひゃああっ……! つ、冷た気持ちいいですわぁぁぁん……っ!」
冷感と有効成分の浸透に、リーザが身をくねらせて甘い声を漏らす。
「首の奥の熱が、急速に引いていきます……! 声が……声が出しやすくなって、喉のつっかえが消えていきますわ……! やっぱりアズマ様は、傷ついた私たちを癒やしてくださる唯一無二の神様ですわ……っ!」
「ただの市販の消炎鎮痛テープだってば……」
やれやれと息をつきながら、アズマもまた、悲鳴を上げていた自らの腰とふくらはぎに湿布を数枚貼り付けた。
湿布特有のピリッとした清涼感が広がり、腰の重苦しい鈍痛がみるみるうちに和らいでいく。
部屋の中には、清々しいメントールとハッカの香りが心地よく漂っていた。
床の上には、全身に肌色の湿布を貼られ、完全に痛みの呪縛から解放されてフニャフニャに脱力した二人の美少女。
キャルルは幸せそうにウサギ耳をペタンと寝かせ、リーザは満足げにお腹を上にして微睡んでいる。
「きゅぴ〜♪」
ポポ丸が二人の間をとてとてと歩き回り、湿布の貼られたキャルルの二の腕の上にぽすんと丸まって、温かい毛玉の重みを提供していた。
「……ふぅ。これで今夜ぐっすり眠れば、明日には筋肉の炎症もあらかた治まるはずだ」
アズマが壁に寄りかかり、ようやく訪れた平穏に深く息を吐いた、その時だった。
『ピンポンパンポーン♪ 死闘を乗り越えた仲間たちの肉体的苦痛を完璧に癒やし、的確なアフターケアによってパーティの戦力を迅速に回復させた名監督ボーナスで、25CPを獲得しました!』
脳内に、馴染み深い軽快なチャイムが響き渡る。
(よし、これで残高は50,466CPだな)
『なお、神界の保護施設で粘土細工の強制労働に従事させられていたルチアナ様は、推しのアイドルの超リアル等身大フィギュア(全高百八十センチ・小豆色ジャージ着用)を驚異的な執念で完成させ、面会に来た闇ブローカーに横流ししようとした現場を看守長に現行犯逮捕され、独房のランクが「地下特級懲罰房」へと格下げとなり、現在はスプーン一本で壁を削って脱獄用のトンネルを掘り進めておりまーす♪』
(神様、いよいよ完全に映画の脱獄囚みたいなムーブを極め始めてるじゃねえか……!!)
相変わらず懲りることを知らないポンコツ元女神の最新情報に、アズマは額を押さえて心の中で盛大にツッコミを入れた。
どんな過酷な刑罰に落とされても決してへこたれず、変な方向へバイタリティを発揮し続けるあの神の図太さだけは、ある意味で見習うべきなのかもしれない。
「……アズマさん」
不意に、床から顔を上げたキャルルが、湿布の貼られた腕をそっと伸ばし、アズマの手の甲に自らの手を重ねてきた。
そのエメラルドグリーンの瞳には、尽きることのない深い敬愛が満ちている。
「どんなに強い敵が現れても、どんなに身体がボロボロになっても……アズマさんが後ろにいてくださるから、私は限界を超えて戦うことができます。……私を助けてくれて、本当にありがとうございました」
「私もですわ、アズマ様」
リーザも身を起こし、反対側からアズマの膝にすりすりと頭を預けてきた。
「アズマ様のくれる道具も、言葉も、その手の温もりも……全部が私の宝物ですの。これからもずっと、ずっとお側にいさせてくださいましね」
「ああ。二人とも、本当にお疲れ様」
アズマは微笑み、二人の頭を優しく撫でた。
手首に結ばれた紅白の水引飾りが、二人の髪に触れて微かに揺れる。
激闘の迷宮を越え、便利屋の絆はより一層深く、固く結ばれた。
心地よいメントールの香りと愛しい妻たちの温もりに包まれながら、アズマたちの夜は、穏やかな回復の眠りの中へと静かに溶け込んでいくのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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