EP 51
賢者の霊薬(ブドウ糖)と、拗ねる食いしん坊相棒
古代迷宮『常緑の回廊』の中層へと続く長い石造りの階段を、アズマたちは一段ずつ慎重に降りていた。
剪定バサミによる怪植物の伐採と薬草採取という、名ばかりの『迷宮デート』を存分に満喫した一行だったが、迷宮探索とは本来、極限の集中力を強いる重労働である。
周囲の気配に常に神経を研ぎ澄まし、魔獣の奇襲を警戒しながら歩き続けること数時間。
いかに屈強な月兎族のキャルルやタフな人魚のリーザといえど、その表情には徐々に疲労の色が滲み始めていた。
「ふぅ……アズマさん、少し足元が重くなってきましたね。頭の奥も、なんだかぼんやり熱いです」
キャルルが自慢の白いウサギ耳を力なく垂らし、額に薄っすらと汗を浮かべて立ち止まる。
「私もですわ……。足取りがフラフラして、さっきから視界の端っこがチカチカ星が飛んでいますの……。お腹は空いていないのに、身体の芯から力が抜けていくような……」
リーザも壁に肩を預け、ぜえぜえと小さく肩で息をついた。
「集中力が切れて、脳のエネルギーが枯渇してるんだな」
アズマは二人の様子を見て、すぐにピンときた。
前世のホームセンターでも、真夏の棚卸し作業や大型改装の徹夜現場でよく見かけた光景だ。
激しい運動や極度の緊張状態が続くと、血液中の糖分が消費され、低血糖状態に陥る。
どれほど強靭な肉体を持っていても、脳を動かす唯一のエネルギー源が底をつけば、集中力は途切れ、身体は言うことを聞かなくなるのだ。
「よし、ちょうど広場に出たし、ここで少し休憩――」
アズマが足を止めようとした、その時だった。
「…………ぷいっ」
胸ポケットの中から、あからさまに不機嫌そうな鼻息が聞こえた。
見れば、お馴染みの古代幻獣の幼体・ポポ丸が、ポケットの奥深くに潜り込んだまま、背中を向けて真ん丸い毛玉と化している。
「あれ? どうしたんだポポ丸」
アズマが指先でつんつんと突くと、ポポ丸は「みゅーっ!」と抗議の声を上げ、短い羽根をパタパタさせてさらに奥へと引っ込んでしまった。
「あ、アズマさん……もしかしてポポ丸ちゃん、拗ねてます……?」
キャルルが苦笑しながら覗き込む。
「そういえば、さっきからアズマ様は私とキャルルちゃんにハサミの使い方を教えたり、採取した薬草の袋詰めに夢中でしたものね! ポポ丸ちゃんを全然構ってあげていませんでしたわ!」
「うっ……そう言われてみれば」
先ほどの乱れ刈り劇場の間、ポポ丸はずっと胸ポケットの中で揺られっぱなしだった。
おまけに、鼻が良すぎる有翼毛玉にとって、周囲から漂う薬草の濃厚な匂いと主人の放置プレイは、なかなかのストレスだったに違いない。
お腹を空かせ、構ってもらえず、完全にすねてしまった食いしん坊の相棒。
「ごめんなポポ丸。悪かったよ」
アズマはポケットからそっと両手でポポ丸をすくい上げた。
両手の上に乗せられたポポ丸は、頑なに目を合わせようとせず、短い両手で顔を覆って「きゅぅ……」と小さくいじけている。
「二人も限界だし、ポポ丸の機嫌も直さなきゃな。……ここは、即効性のあるあれを出すか」
アズマは意識を集中し、脳内の『生活改善カタログ』を開いた。
(健康食品・サプリメントカテゴリ。消費は3CP。残高は50,292から50,289CPへ)
ふわりと淡い光が手のひらに集まり、現れたのはチャック付きの小さなパウチ袋。
表面には『いつでも手軽に脳へチャージ! ブドウ糖100%タブレット』と書かれている。
袋を開けると、中から現れたのは、真っ白で四角い小さな錠剤のような塊だった。
「アズマさん、それは……薬、ですか?」
キャルルが不思議そうに鼻をひくつかせる。
「薬っていうより、極限まで純度を高めた『ブドウ糖』の塊だよ」
アズマはタブレットを二粒取り出し、キャルルとリーザに手渡した。
「噛まずに、口の中でゆっくり溶かして食べてみてくれ。脳と身体の疲れが一瞬で吹き飛ぶから」
二人は半信半疑のまま、白いタブレットを口に放り込んだ。
その瞬間――。
「……んんっ!? ひゃっ、冷たい……!?」
リーザがエメラルドグリーンの瞳を丸く見開いた。
「舌の上に乗せた瞬間、スーッと熱を奪いながら、優しくて爽やかな甘みが広がっていきますわ! 角砂糖のようにくどくなくて、スッと身体の中に染み込んでいきます……!」
「本当だ……! 噛まなくても、唾液だけでサラサラとほどけていく……!」
キャルルも驚愕の声を上げる。
「あ……すごい……! 頭の奥のモヤモヤした重さが、嘘みたいに消えていく……!? 視界が急に明るくなって、指先の先まで力が満ちてきます!」
「ブドウ糖は、体内で分解する必要がないからな。胃腸に負担をかけず、数分で直接血管から脳と筋肉へエネルギーを送り込めるんだ。現場の職人や受験生がここ一番で頼る、最高の急速充填剤だよ」
「即座に脳を満たす、純白の霊薬……! アズマ様、これがあれば何日徹夜で歌い続けても倒れませんわ!」
「いや、ちゃんと寝てくれ」
二人が見違えるように血色を取り戻し、元気を取り戻したのを見て、アズマは手元の毛玉へと視線を戻した。
そこには、白いタブレットから漂うほんのり甘い香りに釣られ、指の隙間からチラチラとこちらの様子を盗み見ているポポ丸の姿があった。
鼻先をピクピクと忙しなく動かし、喉が「ごくり」と鳴っている。
「ほら、ポポ丸。お前の分もあるぞ」
アズマはタブレットを一粒、小さく指で割って手のひらに乗せ、ポポ丸の鼻先へ差し出した。
「みゅ……?」
ポポ丸は警戒するように一瞬立ち止まったが、甘い香りの誘惑には勝てなかったらしい。
意を決したように小さな舌をペロッと伸ばし、白い欠片を口に含んだ。
次の瞬間。
「きゅぴぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!!」
ポポ丸の全身の綿毛が、ボフンッ!と二倍近くに膨らんだ。
背中の小さな羽を猛烈な勢いで羽ばたかせ、まん丸い瞳をキラッキラに輝かせている。
「みゅ〜〜〜〜ん♪ ぽぽっ、ぽぽぽぽっ!」
全身からあふれ出すエネルギーに歓喜したポポ丸は、アズマの掌の上でくるくるとブレイクダンスのように回転したかと思うと、そのままアズマの胸元へ飛び込み、頬へ激しくすりすりと頭を擦り付けてきた。
先ほどまでのいじけた態度はどこへやら、甘えん坊全開の猛アピールである。
「わかった、わかったから! くすぐったいって!」
アズマが笑いながら顎の下を撫でてやると、ポポ丸は目を細めて喉をゴロゴロと鳴らし、完全に機嫌を直して満足そうに息を吐いた。
「ふふっ、ポポ丸ちゃんったら、本当に現金なんだから」
キャルルが愛おしそうに目を細め、ポポ丸の頭を指先で優しく撫でる。
「でも、アズマさんの手にかかれば、どんな魔獣も……ううん、私たちの心も、一瞬で解きほぐされちゃいますね」
「アズマ様は、お腹も心も満たしてくれる最高の旦那様ですわ!」
リーザが再びアズマの腕にぎゅっと抱きついてくる。
『ピンポンパンポーン♪ 過酷な迷宮探索において仲間の低血糖危機を未然に防ぎ、相棒(F7)との絆をより強固なものにした善行ボーナスで、15CPを獲得しました!』
脳内に軽快なチャイムが鳴り響く。
(よしよし、これで残高は50,304CPだな)
『なお、下界の掘っ立て小屋で極貧生活を送るルチアナ様は、空腹のあまり「神の奇跡で雑草を高級スイーツに変換する!」と豪語して道端のキノコを生食した結果、強烈な幻覚作用により「推しのアイドルが部屋一面に増殖して私にプロポーズしてくる!」と狂喜乱舞しながら全裸で野原を猛ダッシュし、現在地元の自警団にネットで捕獲されて連行中でーす♪』
(神様、下界に落ちてもなお捕獲されるレベルの奇行を繰り返すのやめてくれませんかね……!?)
相変わらずの救いようのないポンコツ速報に心の中で盛大にツッコミを入れつつ、アズマは大きく息を吸い込んだ。
「よし、エネルギー補給も完了したし、相棒の機嫌も直った。……それじゃあ、この先の中層エリアへ足を進めるとするか!」
「はいっ!」
「お供いたしますわ、アズマ様!」
「きゅぴっ!」
足取りも軽く、一行はさらなる迷宮の深淵へと足を踏み入れていくのだった。
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