EP 46
祝いの結界具(水引)と、二人のヒロインとの婚約
秋の茜色の夕日が、新しく買い取った広大な敷地を優しく染め上げていた。
かつて雑草が生い茂り、放置されていた中庭と空き倉庫は、アズマたちの手によって綺麗に掃き清められ、作業資材の仮置き場と、風通しの良い憩いの場へと生まれ変わっていた。
騒がしかったマンミアは「ポポロ村の夕方の見回りに戻らねば!」と四足で大地を揺らしながら帰還し、ニャングルも正式な権利書を作成するために商会へと戻っていった。
静けさを取り戻した中庭の縁側に、アズマ、キャルル、そしてリーザの三人が並んで腰を下ろしていた。
アズマの膝の上では、夕暮れの心地よい風に吹かれながら、ポポ丸が満足げに喉を鳴らしている。
「みゅぅ……すぴぃ……」
「ふふっ、ポポ丸はすっかりこの場所を気に入ったみたいですね」
キャルルがエメラルドグリーンの瞳を細め、ポポ丸の背中の柔らかな毛を指先で優しく撫でた。
「当たり前ですわ。こんなに広くて、土の匂いと木の温もりがある場所ですもの。……何より、アズマ様がいてくださいますから」
リーザが膝を抱え、茜色に染まる空を見上げながら、どこか夢見るような声で呟いた。
「思えば……遠いところまで来たもんだな」
アズマは新調した作業着の袖をまくり、自分の手のひらを見つめた。
「ホームセンターの副店長として、毎日売り場の在庫管理とクレーム対応に追われていた俺が、理不尽にこの世界へ放り出されて。……最初は森の中で途方に暮れて、ハッカ油のスプレーで獣を追い払うのが精一杯だった」
「あはは、あの時は驚きましたよ」
キャルルが懐かしそうに笑う。
「月兎族の私が全速力で追いかけても見たこともない煙で威嚇されて。でも、アズマさんは最初から、誰も傷つけようとはしなかった。ただ生きるために、自分の知恵を使っていました」
「私なんて、帝都の吹きさらしの路地裏で段ボールハウスに籠もって、飢え死にする寸前でしたわ」
リーザが自嘲気味に、だが温かい笑みを浮かべた。
「深海王国を飛び出して、地上の人たちに自分の歌を届けたいって意気揚々とやってきたのに、誰も私の歌なんて聴いてくれなくて。お金も尽きて、冷たい地面の上で丸くなって……。そんな私を見つけて、温かいおにぎりと角砂糖をくださったのが、アズマ様でした」
リーザの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。
「私、アズマ様に出会うまで、自分が何のために生きているのか分からなくなっていましたの。でも、アズマ様は私を『ただの居候』じゃなくて、便利屋の仲間として、なくてはならない大切な存在として接してくださいました。……私の歌や潮呼びの魔法を、戦いの中で誰よりも信じて頼りにしてくださった」
「リーザちゃん……」
「キャルルさんだって、そうですわよね?」
リーザに視線を向けられ、キャルルは少し照れくさそうに長いウサギ耳を揺らした。
「……ええ。私は月兎族の長として、そして戦士として、常に『村を守る盾』でいなければならないと思って生きてきました。弱音を吐くことも、誰かに頼ることも許されない。それが私の義務だと信じ込んでいました。でも……」
キャルルは自らの両手を胸元で重ね、アズマを真っ直ぐに見つめた。
「アズマさんは、私の武器を油で磨いてくださり、怪我をすれば冷たい湿布を貼ってくださり、無理をすれば本気で怒ってくださいました。……生まれて初めて、誰かに『守られる側』の温もりを知ったんです。アズマさんの隣にいる時だけ、私は重い責任を背負った戦士ではなく、ただの一人の少女でいられる」
二人の瞳には、一点の曇りもない純粋な情愛と、絶対の信頼が宿っていた。
彼女たちの言葉は、アズマの胸の奥深くに染み渡り、熱い塊となって喉を詰まらせた。
(俺にとっても、そうだ……)
家族も友人もいない、見知らぬ異世界。
どれほど便利な道具をカタログから出せようと、それを使って共に笑い、共に飯を食い、背中を預け合える仲間がいなければ、自分はとっくに孤独に押し潰されていただろう。
二人がいてくれたからこそ、便利屋アズマはここまで歩んでくることができたのだ。
「キャルル、リーザ」
アズマは背筋を正し、二人の目をしっかりと見つめ返した。
「俺は貴族でもなければ、伝説の勇者でもない。ただの、元の世界じゃどこにでもいた冴えない便利屋の男だ。剣の腕もなければ、強力な魔法も使えない。これからも、君たちに戦いで前線に立ってもらう場面があるかもしれない」
「そんなこと、百も承知ですわ!」
「アズマさんがいなければ、私たちはとうに命を落としていました!」
二人が即座に否定するように身を乗り出す。
「聞いてくれ」
アズマは優しく微笑んで二人を制した。
「それでも……俺はこの場所で、この新しい城で、君たちと一緒に生きていきたい。ただの依頼主と護衛でも、店主と従業員でもない。……家族として、生涯を共に支え合う伴侶として、俺の隣にいてほしい」
「っ……!」
キャルルが息を呑み、ウサギ耳を限界までピンと直立させた。
リーザも両手で口を覆い、青い瞳を極限まで見開いて固まっている。
「こ、婚約……!? アズマ様、それって……私たち二人と、結婚を前提とした契りを結んでくださる、ということですの……!?」
「ああ。……不甲斐ない男かもしれないが、二人のことは俺の全霊をかけて、どんな理不尽からも守り抜くと誓う」
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を開いた。
冠婚葬祭・儀礼用品カテゴリー。
(消費は2CP。残高は50,195CPだ)
アズマの掌の上に、ふわりと二つの美しい飾りが現れた。
それは、鮮やかな真紅と純白の細い紐を幾重にも編み込み、中央で複雑かつ優美な結び目を形成した、手のひら大の伝統工芸品だった。
両端には金糸が上品にあしらわれ、結び目の形は、ふっくらとした梅の花のようにも、永遠に解けない固い環のようにも見えた。
「アズマさん、それは……? 見たこともないほど繊細で、美しい糸の細工です……!」
キャルルが吸い寄せられるように見つめる。
「『紅白絹巻水引飾り』だ。俺の故郷で、生涯に一度の婚礼や、決して解いてはならない固い誓いを交わす時に使われる、最も神聖な儀礼の具だよ」
アズマは水引を指先で優しく持ち上げ、その構造を二人に説明した。
「これは、強靭な和紙を細く縒って作った芯に、極細の絹糸を巻きつけて作られている。そして、この中央の結び方は『あわじ結び』、あるいはそれを応用した『梅結び』と呼ばれるものだ」
「あわじ結び……?」
「この結び目の最大の特徴はね、両端を引っ張れば引っ張るほど、結び目がより一層固く締まることにあるんだ。一度結ばれたら、二度と解けることがない。だからこそ、俺の故郷では『末永く途切れない絆』の象徴とされている」
アズマはキャルルの右手を取り、その細くしなやかな手首に、紅白の水引飾りをそっと巻き、優しく結び留めた。
「キャルル。どんな困難が訪れても、俺とお前の結び目は決して解けない。俺の生涯をかけて、お前を愛し、支え続けると誓う」
「アズマ、さん……っ」
キャルルは手首に結ばれた真紅と純白の飾りを見つめ、大粒の涙をポロポロと零した。
触れるだけで伝わってくる、絹糸の滑らかさと、紙のこよりが持つ強靭な芯。魔力など宿っていないはずなのに、どんな古代魔法の防護結界よりも温かく、力強い誓約が、自らの魂に直接刻み込まれたような感覚だった。
続けて、アズマは震えるリーザの左手を取り、同じように水引飾りを手首に結び留めた。
「リーザ。お前が暗闇の中で孤独に震える夜は、もう二度と来させない。お前が歌い、笑うための場所を、俺が一生作り続けると誓う」
「アズマ様ぁぁ……っ!!」
リーザはもはや言葉にならず、アズマの胸元へと勢いよく飛び込んできた。
ボロボロと溢れ出る涙が、アズマの作業着の胸元を濡らしていく。
「嬉しい……嬉しいですわぁ……! 私、世界で一番幸せな人魚ですの……! 絶対に、絶対に離れませんわ……!」
「私も……私もです、アズマさん!」
キャルルも涙を拭いながら、反対側からアズマの背中に腕を回し、力強く抱きしめてきた。
「私の命も、心も、この先にある全ての未来も……あなたに捧げます!」
「みゅぅ〜ん……♪」
二人に挟まれたアズマの懐から、ポポ丸が押し出されるようにひょっこりと顔を出した。
ポポ丸はキャルルの水引とリーザの水引を交互に小さな前足でチョンチョンと触ると、まるで二人の誓いを祝福するかのように、背中の羽をパタパタと震わせてアズマの顎の下をペロペロと舐めた。
「ははっ、ポポ丸まで立会人気取りか。……ありがとうな、みんな」
夕暮れの柔らかな光の中、アズマは両腕に二人の体温をしっかりと抱きしめた。
過酷な現場を生き抜いてきた男の手首に、言葉にはできない確かな幸福と、重くも心地よい責任の重みが宿っていた。
『ピンポンパンポーン♪ 己の真心と日本の伝統儀礼を尽くし、二人の至高のヒロインと生涯の契り(婚約)を結んだ真・英雄ボーナスで、50CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は神界公民館のタワシ磨き中に「便器の汚れを極限まで落とすプロフェッショナル」として近所の主婦神たちの間で話題沸騰となり、現在おばちゃん神たちからお裾分けされた煮物を貪り食いながら「これはこれで悪くない人生ね……」と完全に主婦層に溶け込んでおりまーす♪』
(神様、ついに神としてのプライドすら捨てて主婦コミュニティのアイドルになってる……!)
脳内で響く、どこまでも逞しく庶民派へとシフトしていくポンコツ元女神の実況に、アズマは呆れを通り越して感心すら覚えつつ、残高が50,245CPへと増加したのを確認した。
茜色の空は、次第に深い群青の夜空へと移り変わり、二つの月が優しく庭を照らし始める。
手首に結ばれた真紅と純白の水引は、夜風に揺れながらも、決して解けることのない強固な絆を静かに主張していた。
便利屋として始まった奇妙な共同生活は、この日、揺るぎない一つの「家族」の形へと昇華し、新たな未来へ向けて力強い第一歩を踏み出したのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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