EP 40
酸の神砂(クエン酸)と、仲間たちの一点集中
次亜塩素酸ナトリウムの豪雨によって外郭の腐肉を削ぎ落とされた怪物は、それでも滅びてはいなかった。
千切れた無数の肉片の奥底から姿を現したのは、真っ赤に脈打つ巨大な『核』。そして、地中から噴き出した漆黒の触手が周囲の何百頭もの魔獣の骨格を強引に巻き込み、編み上げ、幾重にも重なる『白骨の装甲球』を形成していた。
「ギチギチギチッ……オォォォォンッ!!」
骨と骨が擦れ合う耳障りな軋み音。
何重もの肋骨や頭蓋骨が圧縮されたその装甲は、まるで巨大な白い要塞だ。物理的な衝撃を何重もの骨の層が逃がし、魔法の直撃すら弾き返す絶対の防護殻。中央で禍々しく光る赤き核を、外界から完全に遮断している。
「くそっ、なんて頑丈さだ! 全軍、投石器で撃ち抜け!」
ガストンの号令により、攻城用の巨大な投石が放たれた。
ドガァァァンッ!
だが、数百キロの巨石が直撃しても、表面の骨が数本砕けただけで、内部の骨膜にはヒビ一つ入らない。逆に怪物の触手が鞭のようにしなり、投石器を一撃でへし折った。
「ダメです、アズマさん! 骨が幾重にも組み合わさったトラス構造になっていて、衝撃が全体に分散されてしまいます!」
キャルルが息を切らしながら後退してくる。彼女のダブルトンファーの一撃をもってしても、表面を削るのが限界だった。
「このままじゃ、奴が完全にエネルギーを溜め直して、都市防壁に特攻を仕掛けてきますわ!」
リーザも青ざめて叫ぶ。
「骨……トラス構造……」
防毒マスクを外したアズマの脳裏に、現場監督としての記憶が高速で巡る。
骨の主成分は何だ?
リン酸カルシウム、そして炭酸カルシウム。
コンクリートの主成分であるカルシウム化合物や、現場の頑固な白華、水回りにこびりつく頑固なカルキ汚れ。それらを現場の職人たちはどうやって除去していたか?
(力任せに削るんじゃない。『酸』で化学的に結合をバラバラに溶かすんだ!)
アズマは胸ポケットのポポ丸を軽く撫で、脳内の『生活改善カタログ』を叩いた。
(洗浄・食品・化学原料カテゴリー! 消費は50CP! 残高は50,095CPだ!)
ドサァッ! ドサァッ!
虚空から平原の泥濘の上に落下したのは、二十五キロ入りの巨大な紙袋が三十袋。
表面には『無水結晶クエン酸(純度99.5%以上・工業用)』の文字。
「アズマさん、それは……真っ白い粉!?」
「『結晶クエン酸』だ! 柑橘類に含まれる酸味の成分を、極限まで濃縮した純粋な有機酸の結晶だ!」
アズマは前線の水路に目を向けた。大雨で増水し、すぐ脇を流れている大量の泥水。
「キャルル! あの袋の口を全部切り裂いて、水路の激流にブチ込んでくれ! リーザ、お前は水流をあの骨の鎧の足元へ誘導するんだ!」
「水路に酸の粉を……!? 分かりました!」
キャルルが旋風のような足さばきで紙袋を次々と蹴り破り、純白の結晶の山を水路へと叩き落とした。
サラサラと溶け出す膨大なクエン酸。水路の泥水が一瞬にして、強酸性の激流へと塗り替えられていく。
「人魚の秘術、潮呼びの歌――いっけぇぇぇぇぇっ!!」
リーザが声を張り上げて歌い、両手を掲げた。普段はへっぽこなアイドルだが、彼女は深海王国の王女だ。彼女の魔力に引かれ、クエン酸が溶け込んだ高濃度の酸性水が、まるで大蛇のような奔流となって持ち上がり、怪物の足元――白骨の要塞の下部へと一気に押し寄せた。
ジュワワワワワワワワッ……!!
「ギギャァァァッ!?」
白骨の装甲に酸の奔流が触れた瞬間、激しい発泡現象が巻き起こった。
骨のカルシウム成分がクエン酸と激しくキレート反応を起こし、クエン酸カルシウムとなって急速に水に溶け出していく。頑丈無比を誇っていた骨の組織からカルシウムが急速に奪われ、まるで長年酸性雨に晒された古い石灰岩のように、ボロボロの多孔質へと変質していったのだ。
「骨が……みるみる白く濁って、砂みたいに崩れていきますわ!」
「酸の神砂が、骨の結合を解いたんだ! カルシウムを失った骨は、ただの脆いスポンジと同じだ!」
アズマは叫び、キャルルを指差した。
「キャルル! 狙いはあの装甲の最下部、一番脆くなった一点だ! そこを撃ち抜けば、全体のトラス構造がドミノ倒しのように崩壊する!」
「了解ッ!!」
キャルルが地を蹴った。
月兎族の怪力、120馬力の全身全霊。
両手のダブルトンファーを一点に重ね合わせ、彼女は光の矢となって突撃した。
「月影流奥義――破山穿孔撃ィィィィッッ!!」
ドッガァァァァァァァァァンッ!!!
酸によって結合を失いスカスカになっていた白骨の装甲は、キャルルの必殺の一撃を受け止めることすらできなかった。
衝撃波が内部を駆け巡り、蜘蛛の巣状の亀裂が一瞬で全体へと走る。
バキバキバキバキッ! ガラガラガラガラッ!
数千本の骨で編まれた絶対の要塞が、まるでガラス細工のように粉々に砕け散り、中央で無防備になった真っ赤な核が白日の下に晒された。
「ガストンさん、今だ!!」
アズマの合図と同時に、前線司令部の高台から、ガストン司令官が自ら構えた超大型の魔導バリスタが火を噴いた。
ヒュオォォォォンッ!
放たれた鋼鉄の極太杭が、空中で風の魔力を纏い、露出した核のど真ん中を寸分の狂いもなく貫通した。
ズドォォォォォッ!!
「……ギ……グ……ガァァァァァッ……!」
断末魔の震動と共に、真っ赤な核が内側からヒビ割れ、閃光を放ちながら粉々に砕け散った。
核を失った漆黒の触手たちは黒い灰となって霧散し、平原を満たしていた禍々しい瘴気は、秋の風に吹かれて綺麗さっぱりと掻き消えていった。
静寂。
やがて、前線の兵士たちの間から、一人、また一人と声が漏れ出し――。
「う……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
平原を揺るがすほどの、割れんばかりの勝鬨が爆発した。
「勝った……! あの悪夢のような大群を、俺たちは押し返したんだ!!」
「アズマ殿万歳! 便利屋アズマ万歳ッ!!」
兵士たちが武器を空に突き上げて叫び、ガストンが豪快に笑いながら歩み寄ってくる。
「はぁっ、はぁっ……やりましたね、アズマさん!」
キャルルが満面の笑みで駆け寄ってきて、アズマに抱きついた。
「アズマ様ぁぁ〜っ! 怖かったですの〜!」
リーザも涙目になりながら飛びついてくる。二人の体重をまともに受け止め、アズマは泥濘の上に派手に尻餅をついた。
「みゅっ! ぽぽっ!」
胸ポケットから顔を出したポポ丸が、アズマの頬をペロペロと舐める。
「痛たた……。おいおい、二人とも泥だらけだぞ。……でも、本当によくやってくれた」
アズマは泥にまみれた二人の頭をぽんぽんと撫でた。
『ピンポンパンポーン♪ 仲間たちと完璧な連携を成し遂げ、大防衛戦を完全勝利に導いた至高の善行ボーナスで、100CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は神界の衛生局による『異臭バイオテロ容疑』の包囲網を便所の窓から脱出し、現在下水管の中を全裸で這いずりながら「誰か私を救いなさい!」と神の権威を振りかざして大絶叫中でーす♪』
(神様の下落スピード、もはや重力加速度を超えてるだろ……!)
脳内で響く、壮絶極まりないポンコツ女神の末路に盛大にツッコミを入れつつ、アズマの残高は50,195CPへと回復した。
数千の魔獣の暴走、そして悪夢の融合巨獣。
都市の存亡を賭けた未曾有の危機は、ホームセンターの日常薬品と、仲間たちの絆の一点集中によって、完全なる勝利という形で幕を閉じたのだった。




