EP 4
魔法の白銀魔石と、異世界の異常な朝
ポポロ村での最初の朝は、騒々しい土音と奇声で幕を開けた。
借り受けた集会所の空き部屋で目を覚ました吾妻は、窓から差し込む爽やかな陽光に目を細めながら、外の様子を窺った。
のどかな田園風景が広がっている――はずだった。
「待てコラー! そっち行ったぞ!!」
農作業着を着たふくよかなおばちゃんが、信じられない猛スピードで土煙を上げながら畑を疾走している。
陸上の百メートル走の世界記録を優に超える、五秒台前半の神速。
彼女が追いかけているのは、オレンジ色をした人間の子供サイズの根菜――手足が生え、「ギャーーーッ!!」と鼓膜を劈く甲高い絶叫を上げながら時速四十キロで爆走する『人参マンドラ』だった。
おばちゃんは空中に跳躍すると、逃げ惑う人参マンドラの首元(葉の付け根)に完璧なチョークスリーパーを極め、そのまま地面に叩きつけてボキリとへし折った。
「よし、今日の晩飯はポトフだね!」
彼女は何事もなかったかのように、ピクピク痙攣する巨大な人参を小脇に抱えて歩き去っていく。
呆然とする吾妻の視線の先で、今度は隣の畑の農夫の足元から、拳骨大のニンニクのような植物が顔を出した。
「ねぇねぇ! オジサン昨日、嫁さんに怒られて廊下で寝てたっしょ!? てか聞いてるぅ〜〜!?」
「うるせぇッ!」
農夫が一切の躊躇なく鍬を振り下ろし、岩盤ごとそのニンニク植物(ガーリッ君)を木っ端微塵に粉砕した。
(……ここ、本当にただの農村なのか!? 住人も野菜も戦闘力が高すぎるだろ!)
ホームセンターの資材館で屈強な職人たちを見てきた吾妻でも、異世界の一般ピーポーが放つ異常な身体能力には白目を剥くしかなかった。
これが、マンルシア大陸の住人たちが生まれ持つ『微弱な闘気』の力だとは、この時の吾妻は知る由もない。
❖❖❖
身支度を整えて集会所の厨房へ向かうと、マンミアとリーザがエプロン姿で格闘していた。
「ううむ……やはりこの長年の油汚れと焦げ付きは、金束子で力任せに擦っても落ちんな……」
「お腹空きましたわぁ……。お鍋が使えないと、朝ごはんのスープが作れませんの……」
リーザがぐうぐうと腹の虫を鳴らしながら、涙目で焦げ付いた大鍋を見つめている。
どうやら、村の催し事で使われる大鍋や厨房周りの清掃を行っているらしいが、長年の蓄積した頑固な油汚れと、古い魔導具の表面に浮いた錆や水垢に悪戦苦闘しているようだ。
「おはようございます。俺も居候の身として、手伝わせてください」
吾妻が声をかけると、マンミアは振り返ってため息をついた。
「おお、アズマ殿。いや、これは我々でやる。貴殿のような優れた癒やし手に、このような下働きをさせるわけには――」
「前職では、店舗の清掃も大事な仕事でしたから。頑固な汚れなら、ちょっとした『道具』がありますよ」
吾妻は脳内の『生活改善カタログ』を開き、清掃用品のカテゴリーを検索する。
(消費は合わせて4CP。残高は59CPだ)
虚空から取り出したのは、白い粉末が入った袋と、何の変哲もない四角い白いスポンジだった。
「それは……小麦粉か?」
「いえ、『食品用重曹(重炭酸ソーダ)』です。鍋の焦げ付きにはこれが一番効くんですよ」
吾妻は大鍋に水を張り、そこに重曹をたっぷりと振り入れた。そして、厨房の魔導コンロに火を入れ、そのままお湯を沸かし始める。
「重曹は弱アルカリ性の性質を持っています。酸性である油汚れや、熱で炭化した焦げ付きを中和して、根元から柔らかく分解してくれるんです。無理に擦らなくても、お湯と一緒に汚れが浮き上がってきますよ」
数分後、グツグツと沸騰するお湯の中で、鍋底にこびりついていた真っ黒な焦げが、ボロボロと剥がれ浮いてきた。
「なっ……なんだと!? あれほど擦っても落ちなかった黒焦げが、ただの粉と水を入れただけで溶けていくぞ!?」
マンミアが馬の耳をピンと立てて驚愕する。
「ある程度焦げが浮いたら、お湯を捨てて、仕上げにこいつの出番です」
吾妻は次に、水を含ませた白い四角形の『メラミンスポンジ』を手にした。
「これは、ガラスより硬い微細な網目でできたスポンジです。消しゴムのように削りながら、表面の汚れを物理的に削り落としてくれます。洗剤すらいりません」
キュッ、キュッ。
吾妻がメラミンスポンジで大鍋の内側を軽く擦ると、残っていた頑固な焦げ付きや茶色い油膜が、魔法のように消え去っていく。
さらに吾妻は、厨房のくすんだ金属製の魔導シンクや、錆びついた蛇口周りの水垢も、メラミンスポンジで次々と撫でていった。
みるみるうちに、本来の輝きを取り戻していく金属面。鏡のようにピカピカになったシンクに、マンミアとリーザは唖然と口を開けたまま硬直していた。
「信じられん……! 万能の中和粉末に、研磨魔法を封じ込めた白銀の魔石だと!? アズマ殿、貴殿は一体どれほどの高位錬金術師なのだ!?」
「いや、ただの百円均一で買えるスポンジと、百均の重曹ですけど……」
「百均……? 百の金貨を要求されるほどの最高級魔導具、ということか! それを惜しげもなく我々のために……!」
異世界においては、重曹(炭酸水素ナトリウム)の精製技術や、メラミン樹脂の発泡技術など存在しない。彼らにとって、洗剤を使わずに水だけであらゆる汚れを削り落とすこの白い物体は、まさに伝説級のアーティファクトそのものだったのだ。
「アズマ様はやっぱり凄いですわ! これで朝ごはんが作れます!」
リーザが歓喜の声を上げ、厨房の入り口からは、様子を見にきていた村の農家のおばちゃん達が「あんた、すごい魔法使いなんだねぇ!」「うちの鍋もピカピカにしておくれよ!」と大騒ぎで群がってきた。
吾妻は苦笑しながら、手持ちのメラミンスポンジを小さくちぎって、おばちゃん達に配って回った。
「使い方にはコツがあるので、後で教えますよ。強く擦りすぎると傷がつくので気をつけてくださいね」
「ありがとうねぇ! これ、お礼の太陽芋だよ!」
「こっちは獲れたての肉椎茸だ! 食ってくれ!」
こうして吾妻は、剣も魔法も使わずに、ただ台所を掃除しただけで村の主婦層からの絶大な「信頼」と、両手いっぱいの食材を勝ち取った。
その日の朝、ピカピカになった大鍋で作られた肉椎茸のスープは、過労で冷え切っていた吾妻の胃袋と心を、優しく温めてくれるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




