EP 38
茨の魔導柵(有刺鉄線)と、大防衛戦の幕開け
城塞都市の早朝を切り裂いたのは、普段の起床ラッパではなく、空気を激しく震わせる重低音の警鐘だった。
ゴォォォン、ゴォォォン、と重々しい鐘の音が市街地に反響し、鳥たちが一斉に飛び立つ。
「な、なんですのこの音!? まだ朝の筋トレの時間じゃありませんわ!」
二階の寝床から飛び起きてきたリーザが、小豆色ジャージの裾を踏んで派手に転びそうになる。
「リーザちゃん、転んでる場合じゃありません! これは第三種軍事警戒警報――都市防壁の外郭に、大規模な敵群が接近している合図です!」
すでにダブルトンファーを両腰に装着し終えたキャルルが、険しい顔で階段を駆け下りてきた。彼女の長いウサギ耳は、都市の南門の方向へ向けてピンと張り詰め、微かな地響きを捉えている。
アズマの胸ポケットからは、フワフワの有翼毛玉――ポポ丸がひょっこりと顔を出した。
「みゅぅ……ぽぽっ!」
「よしよし、大丈夫だポポ丸」
アズマはポポ丸の小さな頭を軽く撫でながら、カウンターに置いてあった『特定小電力トランシーバー』を掴み取った。赤い通信ランプが激しく明滅している。
『アズマ! 聞こえるか、ガストンだ!』
ボタンを押すと、ノイズ混じりのガストン司令官の切迫した怒号が響いた。
「聞こえています、ガストンさん! 何が起きているんですか!?」
『南方の『黒枯れの森』で魔獣の生態系崩壊が起きた! 原因は不明だが、オークとワイルドボアの混成群、推定二千頭以上が都市の南側ゲートに向かってスタンピード(暴走)を起こしている!』
「に、二千頭……!?」
リーザが悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
『正規軍の防衛線は築いているが、南門の外郭は平原が広がりすぎていて包囲網を絞りきれん! このまま突進されれば、第一外壁の突破を許す恐れがある! 特任顧問、お前の現場構築の知恵を借りたい! 南門前線司令部へ至急合流せよ!』
「了解です、すぐ向かいます!」
通信を切り、アズマはABS樹脂製ヘルメットを頭に被ってあご紐を固く締めた。
「キャルル、全速力で頼む!」
「はいっ! しっかり掴まっていてください!」
キャルルがアズマを脇に抱え、リーザの手を引いて店を飛び出した。
120馬力の脚力による爆発的な加速で石畳を蹴り破り、三人は南門へと一直線に疾走した。
❖❖❖
都市の南門を出た外郭平原。
そこには、冷たい秋風を吹き飛ばすほどの凄まじい熱気と緊張感が満ちていた。
ガストン率いる辺境軍閥の重装歩兵大隊が、分厚い鉄の盾を並べて防陣を組んでいるが、兵士たちの顔には隠しきれない恐怖が滲んでいた。
平原の遥か彼方――砂煙を巻き上げながら、黒い絨毯のように大地を埋め尽くす魔獣の大群が押し寄せてきているのだ。
「ズドドドドドドドッ!!」
二千頭を超える蹄と足音が、大地を太鼓のように打ち鳴らす。
体長二メートルを超える筋肉質のオークと、鋭い牙を生やした巨大な猪の群れ。その瞳は血走り、何かに怯え、狂乱しているかのようだった。
「来たか、アズマ!」
前線司令部の高台で指揮を執っていたガストンが、駆け寄ってきたアズマたちを振り返った。
「平原の横幅が広すぎる。奴らは正面の重装歩兵を避け、手薄な左右の側面から防壁の裾野へ回り込もうとしている。左右を塞ぐための『障害物』を築く時間が足りんのだ!」
「左右の迂回路を遮断して、敵の突進ルートを中央の頑丈な防陣へ強制的に誘導すればいいんですね」
アズマは瞬時に戦況を把握した。現場のゾーニング――交通規制と同じ理屈だ。
「だが、木製のバリケードではオークの怪力で一瞬でへし折られる! 土嚢を積む時間もない!」
「なら、力任せに突っ込んでくる奴ら自身の『体重と突進力』を、そのまま自滅の刃に変えてやります」
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を開いた。
(土木・外構・防犯資材カテゴリー……これだ! 消費は50CP、残高は50,195CP!)
虚空からドサドサッと音を立てて出現したのは、木製の頑丈な杭の束と、銀色に光る細いワイヤーが巻きつけられた巨大なリール十数本だった。
ワイヤーの表面には、数センチ間隔でカミソリのように鋭利な四本爪の鉄片が、無数に編み込まれている。
「アズマさん、それは……?」
「『亜鉛メッキ有刺鉄線』だ!」
アズマはキャルルに杭を渡し、指示を飛ばした。
「キャルル! 平原の左右、敵が迂回しようとしている獣道沿いに、この杭を十メートル間隔で地面に深く打ち込んでくれ!」
「はいっ!」
キャルルが残像を残す速度で平原の左右へ駆け出し、怪力で杭を地面深くまで叩き込んでいく。
アズマは手袋をはめ、リールから有刺鉄線を引き出すと、打ち込まれた杭から杭へと、ジグザグに三段の高さで張り巡らせていった。
「なんやそれ……ただの細い針金やないか! そんなペラペラな紐で、オークの突進が止まるわけないやろ!」
後方で物資の補給に来ていたニャングルが、猫耳を震わせて叫んだ。
「普通の針金じゃない! こいつには、触れた皮膚を容赦なく引き裂く『棘』がついているんだ!」
アズマが張り巡らせたのは、前世の第一次世界大戦において、騎兵隊の突進を完全に無力化し、戦争の常識を覆した近代防御兵器の始祖――有刺鉄線だった。
「二層の鋼線をねじり合わせ、そこに鋭利な棘を固定してある。高張力の鋼鉄だから、引張強度は数トンに達する。しかも――」
アズマは左右数百メートルにわたって完成した銀色の柵を指差した。
「見えにくい細い針金だからこそ、狂乱して突っ込んでくる敵は、直前までその存在を認識できない!」
その言葉が終わるのとほぼ同時だった。
迂回して防壁へ取り付こうとしていたオークの先鋒部隊数十頭が、猛スピードのまま有刺鉄線の防衛線へと突っ込んできた。
ズババババッ!! ブチチチチッ!!
「「「ギギャァァァァァァァァァッ!?」」」
凄惨な肉の裂ける音と、絶叫が平原に響き渡った。
時速四十キロで突進してきたオークたちの強靭な肉体に、無数の鋭利な鉄の棘が深々と食い込んだのだ。
勢いを止められずに前進しようとすればするほど、有刺鉄線は彼らの皮膚を切り裂き、筋肉を巻き込み、骨にまで絡みついていく。先頭の個体が絡まり、後続の個体がそこに激突して折り重なり、一瞬にして左右の迂回路に『阿鼻叫喚の肉の壁』が出来上がった。
「なっ……!?」
ガストンが目を見張り、前線の兵士たちも息を呑んだ。
「あの細い鉄の糸が……大木をへし折るオークの突進を完全に絡め取り、自らの力で肉を引き裂かせているだと……!?」
「左右の道は完全に塞がれました! 痛みに怯えた後続の群れが、有刺鉄線を避けて、中央の平原へとなだれ込んできます!」
キャルルが高台から戦況を報告する。
アズマの目論見通り、敵のスタンピードは左右の侵入路を奪われ、中央に密集した一本の太い濁流となって、重装歩兵大隊の真正面へと押し込められ始めていた。
「見事だ、アズマ! 全軍、槍を構えよ! 敵の突進ルートは完全に掌握したぞ!!」
ガストンが抜刀し、大地を揺るがす号令を下した。
「茨の魔導柵に絡め取られた哀れな獣どもを、中央で一網打尽にしてくれる!!」
「「「オォォォォォォォッ!!」」」
兵士たちの恐怖は消え去り、勝利を確信した怒号が平原を満たす。
胸ポケットの中で、ポポ丸がパタパタと羽を震わせ、小さな瞳を真剣に前線へ向けていた。
「みゅっ! ぽぽっ!」
「ああ、ここからが本当の現場作業だ」
アズマはヘルメットの鍔を押し上げ、迫り来る魔獣の大群を真っ直ぐに見据えた。
近代土木資材の冷徹な知恵が、異世界の狂暴な大軍の足を止めた。
城塞都市の命運を賭けた未曾有の大防衛戦が、今まさに、その火蓋を切って落とされようとしていた。




