EP 37
禁断の美味ペースト(チュール)と、食いしん坊な有翼毛玉
帝都からの使者オルソンが去り、帝国政府との間で有利な技術協力契約を取り付けてから数日が過ぎた。
城塞都市の大通りから一本入った路地裏。『便利屋アズマ』の店舗兼住居には、初秋の穏やかな日差しが差し込んでいた。
カラリン、と店の呼び鈴が鳴る。
「いらっしゃいませー! 本日の受付は、世界一健気な専属アイドル、リーザが承りますわ!」
カウンターで元気よく声を上げたリーザだったが、扉の足元を見て「あら?」と小首をかしげた。
そこには客の姿はなく、ただ秋風に乗って一枚の枯れ葉が舞い込んできただけに見えた。
「誰もいませんわね……風の悪戯かしら」
「いや、リーザ。カウンターのすぐ下だ。何かいるぞ」
奥の作業机でヘルメットの点検をしていたアズマが立ち上がり、指を差した。
カウンターの影から、もぞもぞと小さな毛玉が這い出てきた。
大きさは両手で包み込めるほどのリンゴ大。
全身を覆うのは、綿飴のようにフワフワとした淡いクリーム色の体毛。頭の上にはピンと立った三角形の小さな耳があり、背中には昆虫のような透明で薄い羽が二枚、パタパタと小刻みに震えている。そして何より目を引くのは、顔の半分ほどを占めるクリクリとした漆黒の大きな瞳だった。
「みゅぅ〜……」
毛玉は情けない声を漏らしながら、ぺたりと床に突っ伏した。
お腹がペコペコなのか、背中の小さな羽もしおしおと垂れ下がっている。
「きゃああっ! な、なんですのこの愛らしい生き物は!? フワフワの綿毛の妖精さんですわ!」
リーザが目を輝かせて駆け寄り、両手で抱き上げようとした。
だが、その瞬間。
「リーザちゃん、待って! 触っちゃダメです!」
二階から降りてきたキャルルが、鋭い声で制止した。彼女のウサギ耳はピンと張り詰め、警戒の色を帯びている。
「キャルルさん? こんなに小さくて可愛いのに、どうしてですの?」
「それは普通の小動物じゃありません……! 深山幽谷の最奥にしか生息しないとされる古代種、幻獣【有翼毛玉】です! 普段は人前に姿を現さず、その唾液や毛には微弱な神聖魔力が宿っていると伝えられる、絶滅危惧の超希少魔獣ですよ!」
「神聖魔力を持つ古代の幻獣……!?」
アズマは眉をひそめて毛玉を観察した。
手のひらサイズの毛玉は、キャルルの物々しい解説など気にも留めず、床に転がったまま「きゅぅ〜……ぎゅるるる」と盛大にお腹を鳴らしていた。
どうやら、迷子になって街に迷い込み、空腹で力尽き寸前のようだ。
「とにかく、何か食べさせてやらないとな。キャルル、パンか干し肉はあるか?」
「あ、はい! 昨日の残りのライ麦パンがあります!」
キャルルが小皿にちぎったパンを乗せて差し出す。
だが、有翼毛玉はパンの匂いをフンフンと嗅ぐと、プイッと顔を背けてしまった。
「みゅぅ……ぺっ」
「えっ、食べない!? 贅沢な毛玉ですわね!」
「幻獣は警戒心が極めて強く、添加物や硬い人間の保存食は受け付けない個体が多いんです。自然界の純粋な魔力草や、極上の蜜しか口にしないと言われていて……」
困り果てるキャルルを見て、アズマは顎に手を当てた。
(自然の魔力草ねえ……。だが、どんな警戒心の強い動物でも、生物としての本能を根底から狂わせる『あの禁断の嗜好品』ならどうだ?)
アズマは前世で、野良猫の保護ボランティアをしていた友人の言葉を思い出した。
『どんなに人間を威嚇してご飯を食べない凶暴な猫でも、これの封を切った瞬間、理性を失って喉を鳴らしながらすり寄ってくる』
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を開き、ペット用品カテゴリーを選択した。
(消費は1CP。残高は50,225CPだ)
虚空から取り出したのは、赤と金色の細長いアルミパウチだった。
表面には、美味しそうに魚にかぶりつく猫のイラストが描かれている。
「アズマさん、それは……?」
「『犬猫用ピューレ状おやつ(とりささみ&マグロ味)』だ」
アズマはパウチの上部の切り込みに指をかけ、ピッと封を切った。
――スッ……。
パウチの先端から、肉と魚のエキスを極限まで濃縮したペーストが、ほんの少しだけ顔を出す。
その瞬間だった。
「……ピクッ!」
床で瀕死のように倒れていた有翼毛玉の耳が、電撃を受けたかのように跳ね上がった。
クリクリとした瞳孔がカッと見開かれ、背中の透明な羽が「ブゥゥゥゥン!」と蜂のような猛烈な速度で回転を始める。
「みゅっ!? みゅみゅみゅみゅッ!?」
「お、おい、急に羽の回転数が上がったぞ!?」
アズマが驚く間もなく、有翼毛玉は重力を無視してフワリと宙に浮き上がると、パウチを持ったアズマの手元へ突撃してきた。
そして、パウチの先端にペタッと両前足を張り付かせ、夢中になってペーストを舐め始めたのだ。
ペロペロペロペロペロペロッ!!
凄まじい舌の動きだった。残像が見えるほどの超高速でペーストを巻き取っていく。
「みゃう! ふみゃぁぁぁっ! んまーい!」
毛玉の喉の奥から、ゴロゴロという重低音の歓喜の唸りが漏れ出す。全身の毛が感動でフワァッと二倍ほどに膨らみ、まるで生きている綿飴のようだ。
「な、なんですかその食べっぷりは……!? 警戒心のかけらもありませんわ!」
リーザが呆気にとられる。
「アズマさん、一体そのペーストには何が入っているんですか!? 古代の幻獣を、一瞬で狂気に近い歓喜へと叩き落とす魔薬ですか!?」
キャルルも戦慄したようにウサギ耳を震わせている。
「魔薬なわけないだろ。ただのペット用のおやつだよ」
アズマはチューブを少しずつ押し出しながら、苦笑交じりに解説した。
「肉と魚の旨味成分であるイノシン酸をペースト状にして、動物が一番舐め取りやすい水分量と粘度に完璧に調整されているんだ。動物の鋭い嗅覚を刺激する香料と、舌触りの滑らかさ。地球のペットフードメーカーが、何十年もの研究を重ねて開発した『嗜好性の極致』さ」
パウチの中身が空っぽになると、毛玉は「きゅ〜ん……」と名残惜しそうにパウチの切り口をペロペロと舐め回した。
そして、満腹になってぽんぽこに膨らんだお腹をさすりながら、アズマの胸元へとスルスルとよじ登ってきた。
アズマの作業着のポケットにスポリと収まると、顎を縁に乗せ、うっとりとした顔でアズマの首筋にスリスリと頭を擦り付けてくる。
「みゅぅ〜ん……♪」
「あはは、くすぐったいって。……すっかり懐かれちまったな」
アズマが指先で顎の下を撫でてやると、毛玉は目を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「ずるいですわアズマ様! 私だって、アズマ様の胸元にスリスリしたいですのに!」
リーザが頬を膨らませて地団駄を踏む。
「ちょっとリーザちゃん、何を言ってるんですか! ……でも、本当にアズマさんを親だと認識してしまったみたいですね」
キャルルが苦笑しながら、毛玉の頭をそっと撫でた。今度は逃げる様子もなく、毛玉はキャルルの指にも小さなお手をして見せた。
「名前、どうするんですか? 飼うつもりなら、名前をつけてあげないと」
「そうだな……ポポロ村の綿毛みたいに丸いし、『ポポ丸』でどうだ?」
アズマが呼びかけると、毛玉は嬉しそうに羽をパタパタと震わせた。
「みゅっ! ぽぽっ!」
「よし、今日からお前はポポ丸だ。よろしくな、相棒」
『ピンポンパンポーン♪ 絶滅危惧の古代幻獣を胃袋の力で完全調教し、神聖なる相棒(F7)を獲得した善行ボーナスで、20CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は懲罰房の逆さ吊りから自力で脱出を試みた結果、ズボンが脱げて頭から肥溜めに落下し、現在神界の衛生局から『歩く生物兵器』として厳重指名手配中でーす♪』
(神様の転落人生、底が抜けて地下水脈まで到達してるじゃないか……!)
もはやツッコミを入れることすら哀れになってくるシステム音声を聞き流しつつ、アズマの残高は50,245CPとなった。
過酷な戦いと、国家の陰謀が渦巻く異世界。
だが、作業着のポケットから顔を出し、無邪気に毛づくろいをする小さなポポ丸の温もりに、アズマは張り詰めていた心がじんわりと解けていくのを感じていた。
頼もしい仲間たちに加え、食いしん坊で愛らしい新たな家族を迎えた『便利屋アズマ』。
やがて訪れる大防衛戦の嵐を前に、小さな拠点には、確かな笑顔と温かな絆が満ちていくのだった。




