EP 35
琥珀色の神水と、異世界食堂の革命
飛竜討伐という前代未聞の偉業を成し遂げ、特例でAランク冒険者へと昇格したその夜。
拠点である『便利屋アズマ』の居住スペースには、市場で買い込んできた大量の食材が所狭しと並べられていた。
「アズマ様! 見てくださいませ、ロックバイソンの霜降り肉がこんなに山盛りですの! それに、農家のおじさんからお祝いでいただいた新鮮な根菜と、小麦の太麺もたっぷりありますわ!」
リーザがエメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせ、食材を指差してはしゃいでいる。
「ふふっ。これだけの量があれば、アズマさんもお腹いっぱい食べられますね」
キャルルもエプロン姿でウサギ耳を揺らしながら、腕まくりをして気合を入れている。
異世界の一般的な料理といえば、肉を直火で焼くか、塩や香草を入れた湯で煮込むのが主流だ。素材の味は良いのだが、毎日そればかりでは現代日本で育ったアズマの舌には少し物足りない。
(せっかくの昇格祝いの宴だ。今日は俺の『秘密兵器』で、この異世界に新しい味覚の革命を起こしてやるか)
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を開き、2CPを消費した。(残高は50,208CPだ)
虚空から取り出したのは、小さな紙の箱と、緑色の破片が入った透明なジッパー付きの袋だった。
「アズマさん、それは……?」
「『粉末うどんスープの素』と、『カット乾燥わかめ』だよ。今日はこれを使って、最高の鍋料理を作ろう」
アズマは備え付けの大きな鉄鍋に湯を沸かし、沸騰したところで、紙箱から取り出した小袋の粉末をサラサラと流し込んだ。
――ふわぁっ。
その瞬間、立ち上る湯気と共に、カツオと昆布が織りなす芳醇な『和風出汁』の香りが部屋いっぱいに広がった。
「な、なんですかこの香りは……!? 嗅いだだけで、口の中に大量の唾液が溢れてきます!」
キャルルが驚愕に目を丸くし、鼻をヒクヒクと動かす。
「なんだか……すごく優しくて、心がホッとするような不思議な匂いですわ」
リーザもうっとりとした表情で鍋を覗き込んだ。
ただの湯だった鍋の中は、琥珀色に透き通った美しい黄金のスープへと変化している。
「これこそが、日本の食文化の結晶である『出汁(旨味)』のスープだ。カツオのイノシン酸と、昆布のグルタミン酸。二つの異なる旨味成分を掛け合わせることで、何倍にも味が深くなる『旨味の相乗効果』を利用しているんだよ。ここにもう一つ、海の恵みを足す」
アズマは、透明な袋からひとつまみの『カット乾燥わかめ』を取り出し、鍋のスープの中へパラパラと落とした。
カサカサに干からびていた緑色の小さな破片は、熱いスープを吸い込んだ途端、まるで魔法のように十倍以上に膨れ上がり、鮮やかな緑色の海藻へと蘇った。
「えっ!? ひからびた葉っぱが、一瞬で生き返りましたわ!?」
「これも日本の保存技術さ。海藻を湯通しして急速に乾燥させることで、栄養と風味を閉じ込めたまま長期保存を可能にしているんだ」
わかめが加わったことで、出汁の香りにふわりとした磯の風味が重なり、スープの完成度は極限まで高まった。
「よし、ここに肉と野菜、そして太麺をぶち込んで煮込む!」
アズマがロックバイソンの肉と根菜を投入し、ひと煮立ちさせたところで、特製の『異世界風うどん鍋』が完成した。
「さあ、冷めないうちに食べてくれ。Aランク昇格に、乾杯だ!」
「「乾杯です(わ)!!」」
三人は木製の器に鍋を取り分け、一斉に麺とスープを口に運んだ。
ズズッ。
スープを一口飲んだ瞬間、キャルルとリーザの動きがピタリと止まった。
「……っ!!」
「こ、これはぁぁっ!?」
二人の瞳孔が極限まで見開かれ、脳天を突き抜けるような衝撃に全身を震わせる。
「信じられません……! ただの塩味でも肉の脂でもない、深海のように底知れない『旨味』の奔流が、舌の細胞の一つ一つに染み渡っていきます……!」
「麺に絡みつくこの琥珀色のスープ、まさに神の雫ですわ! それに、この緑色の海藻のコリコリとした食感と磯の香りが、お肉の甘みを何倍にも引き立てていますの!」
二人はもはや言葉を失い、一心不乱に器のうどんを啜り始めた。
異世界の単純な調味料では絶対に到達できない、旨味の掛け算。うどんスープに含まれるカツオ節、昆布、粉末醤油、ネギのエキスが、ロックバイソンの強烈な野性味を見事に包み込み、上品な鍋料理へと昇華させていた。
「美味しい……! アズマさん、私、こんなに美味しい汁物を食べたのは生まれて初めてです!」
キャルルが感動の涙を浮かべながら、鍋の底が見えるまでスープを飲み干した。
「気に入ってくれて良かったよ」
アズマも自分の器のうどんを啜りながら、柔らかな笑みをこぼした。
前世では、仕事で疲れ果てた深夜に一人ですすっていたインスタントのうどんスープ。それが今、異世界で共に戦い、同じ屋根の下で暮らす大切な仲間たちをこんなにも笑顔にしている。
それだけで、過酷な現場で身につけた知識も、理不尽に異世界に放り込まれた運命も、全て報われたような気がした。
『ピンポンパンポーン♪ 異世界に旨味の革命を起こし、乙女たちの胃袋と心を完全に掌握した美食ボーナスで、20CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は刑務所長としての権力を濫用して刑務所を『超高級リゾートホテル』に改装してしまいましたが、視察に来た司法長官の怒りを買い、現在地下の懲罰房で逆さ吊りにされていまーす♪』
(神様のサクセスストーリー、急転直下でバッドエンドに向かってるじゃないか……!)
脳内で響く、自業自得の極みであるシステム音声に呆れつつも、アズマの残高は50,228CPとなった。
鍋の湯気越しに、満腹で幸せそうに微笑むキャルルとリーザの顔を見つめる。
平和で、温かくて、ささやかな日常の宴。
だが、アズマの胸の奥底には、かすかな不穏の影が落ちていた。
(Aランクの冒険者になり、軍閥の特任顧問にもなった。俺の力は、否応なく大陸全土の注目を集め始めている)
いずれ、このささやかな拠点の扉を、圧倒的な『権力』や『脅威』が叩く日が来るだろう。
その時、俺はただの便利屋の道具で、この温かい日常と仲間たちを守り切れるのだろうか。
アズマは残った琥珀色のスープを飲み干し、窓の外で怪しく輝く二つの月を、ただ静かに見上げていた。
読んでいただきありがとうございます。
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